信頼のおける道具と品質との関係
自転車旅行にまつわる旅道具は本当に多岐にわたります。
パソコンやカメラといった記録をつけるための電子機器、
服は着たきり雀、というわけにもいかないので数セットの下着類や、
風雨から身を守るためのレインウェアも持たなくてはならないですし、
テントや寝袋、それにガソリンコンロといった住を司るアイテムだけでも
数キログラムに及ぶ大荷物です。
それに自転車本体だって、実は一つの道具として完結している訳ではなく、
フレームを軸としてタイヤにハンドルにブレーキ、荷物を受け止めるキャリアまで
たくさんの道具の集合体なのです。
目をよく凝らしてみると、ワイヤーの張りやタイヤの空気圧など、
実に繊細なバランスで自転車は構成されています。
たった一つの部品の調子がおかしくなるだけで、
途端に前に進むことが出来なくなってしまうから、
旅を続けていくためにも定期的なメンテナンスや調整は必要不可欠です。
さて、そんなわけでシンガポールにいた頃からこのバンコクまでで
大都市恒例の旅道具と自転車のメンテナンスを行いました。
前回はトルコのイスタンブールで、
そのまた前は南アフリカのケープタウンで。
恐らく今後の道程でバンコク規模の世界都市には、
もう立ち寄る予定がなさそうだったので、旅の最終準備の心づもりで
いつもより念入りにあれこれ動き回ったのでした。
迫り来る雨季に備えてレインウェアは専用洗剤を手に入れ、
洗濯した後、乾燥機にかけます。
こうするとすっかり水が染みこむようになってしまった生地の撥水性が蘇ります。
擦り切れて微細な穴が空いてしまったカバンも
一つ一つの穴や裂け目をテープで補修していきます。
見た目はより不格好になりますが、肝心なのは中身を雨から守ること。
それにこっちのほうが悪人も金目のものが入ってるとは思いにくいでしょう。
特に損傷が激しかった食料品バッグは、良い物が見つかったので買い替えました。
このところほとんど使っていなかった
自転車の空気入れやガソリンコンロのポンプの部分には油を差して、
ゴムリングが紫外線で劣化していないか、しっかりチェックします。
自転車はワイヤーやブレーキパッドを交換し、
調子の悪かった変速機もこのタイミングでじっくりと調整。
基本的には自分でやる作業ですが、バンコクには設備の整った自転車屋もあり、
万が一、自分の手に負えなくなった時は駆け込み寺があるという心の余裕を
もってやれることがメリットです。
そして今回の一番大きな作業は、リム(タイヤの金属の輪っかの部分)の交換です。
これまでも一切問題なく使えてきましたが、
二代目にあたるこのリムは既に三万キロメートル以上使っています。
意外かもしれませんが、リムは消耗品です。
ブレーキをかける度にブレーキパッドに挟まれ、
側面が目に見えないレベルで削られていきます。
それが積もりに積もると、
リムの側面を触った時に手でもはっきり判別できるほどの削れとなります。
この先に待ち受けるミャンマー、インドの悪路でいつ壊れるともしれない
リムを使い続けることは不安があったので、
郵便事情も良いこの街で日本から新しいリムを送ってもらい交換することにしました。
これまでのパフォーマンスと今度を勘案して道具に見切りをつけることも、
必要な判断の一つ。
とはいえ、ホイールを構成する他のパーツであるハブ(軸の部分)と
スポーク(放射状に伸びる針金)に関してはまだ使えそうだったので、
これらは流用することにして、交換作業に入りました。
宿の部屋の一角でパキパキとホイールを分解し、
スポーク一本一本の状態を確認しながら、
『最後まで持ちますように』と念を込めてポキポキと組みあげる。
組み上がったこの三代目のホイールで、日本まで帰る腹づもりです。
不思議なことに、こうして愛着を込めて扱ってきた道具ほど、
絶対に壊れちゃいけない場面で壊れることは絶対にありませんでした。
形のあるものだから、いつかはきっと壊れる、
でもそのタイミングはいつも数日間に及ぶ砂漠地帯を抜けた直後や、
なくてもなんとかなる場面でそっと静かに限界を迎えたものでした。
偶然やたまたまと思えるかもしれませんが、そうでない部分もあって、
四六時中行動を共にし、定期的に掃除やメンテナンスをしているから、
それはまるで手足の延長線上のように、
蓄積されたダメージの状態を感じることが出来るのだと思います。
もうほとんどずっと履き続けているサンダル。
かかとはもう地面につきそうな程すり減っていて、ソールが剥がれ、
ベルクロテープもダメになっていましたが、
代わりのサンダルが見つからず、修理を繰り返しては使っていました。
ようやく良さそうな新しいサンダルを見つけて散々悩んだ挙句、購入したのですが、
店外に出た瞬間、古いサンダルはプツリとストラップが切れて最期を迎えました。
まるでサンダルに意思が宿っていて、このあたりが自分の潮時だとばかりに
新しいものに買い換える瞬間まで踏ん張っていてくれたようです。
ペダルが壊れて回らなくなった時、ちょうどそこに自転車屋があった。
自転車のフレームが折れた時、目の前が溶接設備のある自動車工場だった。
長きに渡って愛用してきた物たちが壊れるのは、
いつも示し合わせたようなタイミングなのだから、やっぱりただの偶然じゃなくって
道具を扱う人間に対して、これらは品質でもって応えてくれたのです。
この最期のひと踏ん張りが出来るか出来ないかが、
信頼のおける道具かそうでないかの差なのだと思います。
必要な場面では壊れることはないと信頼出来るから、
使う人間も躊躇せずにためらいなく使うことが出来る。
でもそこに求めるのは100%の性能ではありません。
80%のパフォーマンスがいかに長く発揮出来るかというところに、
今の旅道具たちの立ち位置があると思っています。
色褪せはしてもしっかり汗を吸ってすぐ乾く下着、
煤がこびりついた鍋底でも変わらず美味しいご飯を炊き上げる平鍋、
外装は剥げ、傷だらけだけど確実に旅の軌跡を記録するスピードメーター。
買った瞬間から道具がどんどんと寿命へと向かっていくことは、
変えようがない運命だとしても
道具の本質に影響しない20%ならいくら損なっても、
その価値は落ちるものではないと思っています。
そして、しっかりとこだわりを持って選んだ道具ならば
使う人間が手助けをしてあげることで
その寿命を延ばすことが出来る事は、先に書いた通りです。
世界の市場やマーケットを覗いてみると、
それはもうとにかく偽ブランド品やコピー品で溢れかえっています。
見た目には割と精巧に作られていますが、
やむを得ずそれらを使う場面となると
最初は思い通りのパフォーマンスを発揮しても、なかなか長続きしません。
充電ケーブルはすぐに断線し、Tシャツを洗えばたちまち色が落ちてしまい、
縫製はすぐにぽろぽろと解けだす。
電池に至っては最初から放電しきっていて使えません。
偽物とはいえ、それに記されているブランドロゴの意味はいったい何なのでしょう。
ブランドやロゴは品質の証明や保証であったはずが、
いつの間にかそれ自体に価値を求めているようになっていて、品質が伴っていない。
ものを扱う人間がものに支配されている立場に
陥ってしまっているのでは何とも言えなくなってしまいます。
時にタフな自転車旅におあつらえ向きの道具は、それほど多くはなく
場所によってはなかなか見つかりません。
だから一度それを手に入れたら、破れたら縫い、裂けたら貼り合わせ、
歪んだら叩いて直して最後の最後まで大切に使うのです。
そして大切に使うとは、後生大事に鞄の中にしまっておくのではなく、
必要な場面でためらいなく取り出せる軽やかさを備えていなくてはなりません。
僕の持つ装備品は新品のものはほとんどなく、見た目にはもうボロボロですが、
旅道具のあり方はこれでいいのです。
使い捨ての道具じゃなく物語のある道具を使っていきたい。
それが信頼のおける道具と品質に対する僕の姿勢です。
調整を済ませたこの装備たちと一緒に日本を目指したいと思います。