各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

誤解を解き明かす鍵

2015年05月06日

チャオプラヤ川に沿うようにタイ国道1号線を北上。
バンコクの戦勝記念塔から延びるこの道路は
起伏の全くない退屈なシャム平原を突っ切り、タイ最北部まで続いています。
もう暦の上では雨季のはずなのに、暑さが和らぐどころか
ますます厳しくなる一方の気候に苦しみながらも400kmほど北へ進んだ後に、
進路を西へと向けると、今度は打って変わって
道路がねじれるように波打つ険しい山岳地帯へと変わりました。

その山岳地帯のちょうど中間地点に広がる平野部にミャンマー国境があります。
国境は簡単に渡れてしまいそうな小さな川で隔てられていて、
そこにタイ・ミャンマー友好の橋と名付けられた橋がかかっていました。
ここを渡ればずっと楽しみにしていたミャンマーなのです。

ところがそんな期待とは裏腹に、国境をいざ目前にすると、
軍事政権、民族紛争、最貧国…ミャンマーに対するネガティブなキーワードが
たくさん頭の中に浮かんでは消えて、同じくらい尻込みもしてしまいました。
それに現金なものでエアコンの効いたホテルや
探していたものが確実に手に入るショッピングモール、
食べたいものを食べることが出来るレストランなど、
あれだけ斜に構えて見ていた場所から離れてしまうことに、
今度は躊躇を覚えてしまい、
タイ側国境付近にあった最後のコンビニエンスストアで僕は、
しばらくの間動くことが出来ませんでした。

かつてアメリカからメキシコに渡ったときも、
国境付近にあったハンバーガーチェーンで、
しばし呆然とリオグランデ川の向こうにあるメキシコに
途方もない不安を感じたことをよく覚えています。

あれから何年も旅をして、たくさんの国々を訪ねてきましたが、
いったん文明の便利さや手軽さに浸かってしまうと、
その安心感から抜け出すことへの難しさは自分の中で何も変わっていませんでした。

でもそんな中であって、自分を先へと進ませるものは
この地球上どこにでも家庭があって、仲睦まじく暮らす家族がいるはずという期待です。

日本とは関係が薄く、場所が遠い国ほどに
伝わってくる現地のニュースは、極端に偏ってしまいがちです。
凶悪なテロがあったとか、深刻な自然災害に見舞われただとか、
尖った情報だけが届けられると
そういった事件事故は多くある真実の一部にしか過ぎないのに、
いつの間にかその国の覆う分厚い先入観として出来上がってしまいます。

世間的な常識の中ではもちろん、自分の中でも
大きく凝り固まってしまった偏見は取り除くことがなかなか難しく、
ましてや文字や映像の情報だけでは到底拭いきれません。
生活習慣は違えど、僕たちと変わらず普通に暮らしている人達がいるとは
心では期待していても、揺るぎない確信には至ることが出来ない。
だから、自分にとって期待を確信に変える作業は
実際に行って感じてみるのが遠回りに見えて一番手っ取り早い方法なのです。
こうすることで複雑に絡み合った誤解を一本一本解きほぐすことが出来るように思います。
そして訪ねた国々に対しては自信をもって、
どんな国だったかを言葉に出来るのだと思います。
百聞にしても一見にしても、一つの経験に勝るものはありませんでした。

ちょうど、時を同じくして遠く離れた南アフリカで
自転車旅行者の仲間が自転車を盗まれてしまう事件が起きました。
事件が起こった街は僕も以前に訪れていて、
瀟洒な街の雰囲気や周辺に広がる広大なぶどう畑の景色を覚えています。
そして、そこで挨拶を交わした人々の顔もはっきりと思い出せるだけに、
この事件を耳にした時はまさか…という思いでした。
犯行の手がかりもほとんどない状態でしたが、
長年連れ添った相棒を諦めることが出来ない彼は、
地元の自転車店やメディアに働きかけ、インターネットの力を借りると
瞬く間に情報が拡散していき、人々の協力を得て
事件発生の翌日には自転車を取り戻すことが出来ました。

南アフリカで自転車盗難と聞いてどう感じたでしょうか。
やっぱりな、と思った人もいるかもしれません。
実際に"残念だけど難しいよ"とか"無理だと思うよ"
といった心ない言葉も散見されました。
確かに南アフリカの治安は日本に比べたら悪い。
日本でもなかなか戻ってこない盗難自転車を
海外で取り戻すなんてことは夢物語に聞こえたのかもしれない。
でも、僕らと同じ正義感を持ち、
困っている異邦人に手を差し伸べてくれる人たちが
たくさんいたのだということを、
アフリカで自転車を盗まれたというトピック以上に注目してほしいと思います。

やっぱり僕の知っているアフリカは間違っていなかった。
だから事件解決の報を受けた時は、僕も思わず握りこぶしをグッと構えてしまいました。

奇しくもその後、国境の街で僕は南アフリカからやってきた女性と出会ったのですが、
彼女は『あの事件のことなら、みんな知ってるわよ』と、
まるで見つかるのは当たり前だと言わんばかりに誇らしげに笑っていました。
テレビやラジオ、新聞が全盛の時代、情報は送り手と受け手に分けられていて、
それがものごとの先入観や偏見を産んだ恣意的な原因の一つだと僕は考えます。
今は、昔よりもずっと個人の体験談を広く発信出来る世の中なのだから、
こういうポジティブなニュースがもっと広まっていけば、
凝り固まった先入観をフラットにすることも出来るかもしれないなと思ったのでした。
そして今度は僕が自分の中にたむろするミャンマーの偏見をぶち壊す番だと
大きく背中を押されたように感じました。

友好の橋を渡ると、道はイギリス領だったはずなのに何故か右側通行に変わりました。
国境ゲート付近には、ぎゅうぎゅうに人や荷物が押し込められたトラックやバンが
ところ狭しと渋滞をつくっていて、
鳴らしても何も解決するわけでもないのにクラクションを鳴き散らしています。
大通りを一本外れれば、土埃が舞うひび割れた道路に変わり、
魚の発酵臭が鼻をつくように立ち込めていました。

男性も女性もロンジーという巻きスカートを巻いていて、
顔には日除けのためのタナカを塗りたくっています。
他の国ではすっかり見かけなくなったビンロウの噛みタバコもここでは
まだポピュラーで、男性の口周りは真っ赤に染まっています。
食堂で朝ごはんを食べていると、朝の托鉢まわりをしている少年僧がやってきました。
タイに比べると随分しけた街なのに、黄金に光るパゴダだけは荘厳な雰囲気で、
僕は仏の国にやってきたことを身にしみて実感しました。

確かにミャンマーにやってきた、
でもまだまだ僕はこの国の上っ面しか知らず、きっと先入観だらけのことでしょう。
2011年の総選挙以来、民主化が進むこの国はいま急激に変化を遂げていて、
だからこそ現在進行形で変わりゆく姿を、身をもって知る必要があると思います。

秘密のヴェールに閉ざされたミャンマーを、
自分の言葉で表現するために
自転車に乗って隅から隅まで見てやろうと思います。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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