各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

旅するための3ステップ

2015年05月27日

"点と点で土地を跨いでいく行為が旅行で、
線で繋いでいく行為が旅、なのかもしれません"
以前に"道を巡る旅"と題して僕はこう書き記しました。
あれから二年近く経った今でもこの思いはそのままで、
相変わらず道に息衝く物語を探して自転車を漕ぐ日々が続いています。

けれど、そんな気持ちとは裏腹に、
果たして本当に自分は旅と言えるような旅をしているのだろうか?
と不安になることが時々あります。
確かに一つの線を描くように旅をしているつもりだけれど、
結局のところ誰かの切り拓いた方法と情報をなぞっているだけになっていないだろうか。
テレビで見た場所に行って、本で見た構図と同じ写真を撮って、
どこかで聞いたことのある感想を口にしていたりしていないだろうか。
誰かと同じであることを否定したいわけではないのですが、
せっかく自分の足で世界を見て回ろうと決めたのだから、
旅が旅の中に埋没することはないようにと思っています。

もっと言えば"旅"という言葉を使うことが少し苦手です。
言葉の響きや便宜上、旅という表現をすることはありますが、
それを安易に使えば使うほど、
旅が消費社会にあっという間に取り込まれてしまうような気がするからです。

飛行機やバスの路線が世界中を網の目のように覆い、
地球の反対側の情報がリアルタイムで手に入る今、自由旅行は格段にしやすくなりました。
しかし一方で訪問しやすくなった世界は
エアコンにインターネット、ウエスタンフードが氾濫し、
ある意味で期待通りの想像出来る世界へと急速に均されてしまっています。
日常の中の旅行ならばそれでいいのかもしれませんが、
旅がもともともっていたはずの意味
―文化や言葉、生活習慣、肌や瞳の色も内面も全く異なる人やものに触れることで
新しい外の世界を発見し、他者との違いを認める。そして内なる自分とも対話をする。
いい事ばかりではなくて、時に失敗や痛みが伴うもの―
が失われつつあって、言葉だけが先行しているような状況に抵抗を覚えてしまうのです。

昔の先人たちは、前もって与えられた情報も少なく、
試行錯誤の毎日であったと思いますが、
今よりももっと自由に旅に生きていたような気がします。
油断するとすぐに誰かの足跡に引き込まれてしまう今は、
旅をするためにはちょっとだけ肩肘を張らないといけないのかもしれません。
だから本当の意味で、線で繋いでいくための旅には、
プロセスに意味を込めた轍を刻んでいかなければならないと思います。

ミャンマーからインドへの道は、そんな自分の考える
旅らしい旅が出来る数少ない場所だと思っています。

ミャンマーからインドへ抜ける。
バックパッカーやアジアを旅したことがある人や勘のいい方ならば、
「そんなことが出来るのか?」と思ったかもしれません。

長きに渡る軍政が続いていたミャンマーは、
昔からユーラシア横断の壁として旅行者の前に立ちはだかっていて
国境近辺の治安の問題もあり、隣国に陸路で抜けることは不可能でした。

しかし近年、その風向きが変わりだし、
2008年の憲法改正から2011年の国民選挙の実施と、
(形だけとの批判はあれど)民主化へのプロセスを歩みだしています。
国境地帯に住む少数民族との紛争もいくつか停戦を結び、
結果、2013年頃からタイ・ミャンマー間の国境が開かれ
陸路で旧首都ヤンゴンまで行くことが可能になりました。

ただし、未だに国内に外国人が訪れることが出来ない地域もあって、
ミャンマー・インドの国境間も旅行者には公には開かれていません。

けれど、僕が世界各地を走り回っている間に、
ミャンマーの状況が刻一刻と変わっていったように、
タイミングさえ合えばインドへの道も開かれるかもしれない。
そう思いながら東南アジアにいる最中は、時間があれば国境情報を調べ、
抜けれるかどうかは分からない状況にも関わらず、
ミャンマーのビザを申請していたのでした。
そしてビザを取得した日に、インドへ抜けるための許可書を取得代行してくれる
代理店とコンタクトが取れたのは自分にとって僥倖でした。

直ぐ様、必要書類を作って送付し、スケジュールを組み立てました。
一日だけに限って許可されるという国境通過日を逆算し、
それに合わせて二ヶ月も前からその日のために動きまわったのでした。

なにせ前例があまりないから、何もかもが手探りです。
それでも旅を始めた当初は限りなくゼロに近かった
陸路でのミャンマー・インド越えの可能性が少しずつ広がっていく手応えは、
まさに"旅をしてる感"があって自分にとっての線で繋ぐ旅を体現するものでした。
だからヤンゴンで、国境越えのための許可書を受け取って
インドへの道が開けた時は本当に報われた気分でした。

これが旅の序盤の頃だったら、陸路でインドは行けないものと決めつけて、
きっと見向きもしなかったと思います。
そこに国際情勢の変化があったことは確かですが、
これまでの多くの経験が情報の鉱脈を探し当てる勘を養い、
出会った旅人の数だけ自分らしい旅を実現するための刺激を与えてくれたから、
行動を起こすことが出来たのだと思います。

旅は決して冒険ではないと思うけれど、
冒険心をくすぐったり、好奇心を昂らせるエッセンスは時として必要です。
そういう意味で、このミャンマーは自分にとって、
東南アジアの快適な環境でなまくらになってしまった旅心を
再びたぎらせるにはピッタリのフロンティアでした。

自分らしい旅を求めるためのステップは、守破離の思想にも似ています。

物事の習得段階について、まずは基本を忠実に守り基礎を築く"守"が第一である。
次に出来上がった基礎に自分でより良くなると思われる改良を加える"破"。
そして、基本から離れ、新しい自分自身の型を作りあげる"離"。
この三段階を経ることで
物事は自分自身のものにすることが出来るという考え方です。

ガイドブックに従い、見どころや観光地を周遊するプランを立てる。
慣れてきたら自分で宿を探してみたり、本に載っていないけれど
地元の人が教えてくれた人気の食堂でローカル定食を頼んでみる。
そして今度は自分の興味にもっと忠実に自由な旅のプランを組み上げる。
こうして旅行は旅へと深化していくのだと思います。

守破離は日本の武道や茶道から生まれた道を極めるためのステップです。
だから道を住処とする自転車旅行にとってもこの発想はうってつけ。
旅行から旅へ。点から線へ。
道を巡る旅はミャンマー深部、そしてインドのインパールへと続いていきます。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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