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寛容な国の寛大な懐

2015年06月03日

あまり知られていませんが、ミャンマーには世界最大の人型建造物があります。
マンダレーから西に120km、ミャンマー中部にあるモンユワ近郊にある仏像がそれで、
レーチョン・サチャー・ムニという巨大な立像はなんと130mもあるというから驚きです。
小高い丘の上に建てられているから尚更目立ち、黄金色の袈裟も相まって
遥か20km以上離れた場所からもハッキリと見つけることが出来ました。

足元にはこれまた100m以上ある立派な寝釈迦とパゴダがあり、
更にはもう一体の寝釈迦を目下建設中で、
なぜこの場所に? という唐突さで僕の目の前に現れました。

ここから幹線道路へと戻る手前には、タウンボーディー寺院があり、
あっちが大きさで勝負ならこっちは量だと言わんばかりに、
針山のような無数の小さな仏塔の中に今度は58万体に及ぶ仏像が収められています。

ここにやってくる前に訪れた5000以上の仏塔が点在するバガン遺跡や
各地で見かける巨大なパゴダもそうですが、
ミャンマー人の信仰心の懐の深さは僕の想像の及ばない範疇にあります。
モンユワの街も典型的なミャンマーの街の構造をしていて、街の中心にパゴダが建ち、
昼夜問わず人々が祈りを捧げていました。

この街はチンドウィン川に面しています。
東南アジアの三大河川の一つであるイラワジ川の源流の一つであり、
上流はミャンマー最深部へと続いていて、そこで採れる良質のチーク材や
あるいは阿片の原料となる芥子の花が密かに流通しているのだとか。
インド東端や中国国境とも近いため、それらの国々との国境貿易でも使われていて、
街のマーケットには見慣れた中国製品のパッケージが目につきました。
また、戦時下のインパール作戦では日本兵の前にこの川が立ちはだかり、
渡河点では多くの命がこの川に流されていきました。

ミャンマーでも特に仏教信仰の具現化志向の強かったモンユワですが、
その余波は同心円上に周囲に拡散していくのではなく、
チンドウィン川を堺にぷっつり途切れます。

川をさかのぼってインド国境近くまで来ると、
ほとんどの住民はキリスト教徒へと変わりました。
イギリスの植民地だっただけに、これまでの地域でも教会は散見していましたが、
ここまで大きなキリスト系コミュニティが存在していたとは盲点でした。
他の地域のパゴダと同じように、いくつもの教会が目につきます。
豪奢なパゴダと違って教会は木造やレンガ造りの建物に簡素な十字架が
貼り付けられているだけのものがほとんどですが、
それでも周囲の建物に比べると遥かに立派で、
この地域に住むキリスト系ミャンマー人の拠り所になっていることがよく分かります。

もともとミャンマーに11世紀半ばに上座部仏教が伝来する以前は、
土着の宗教があって"ナッ神"という三十七の精霊を信仰していました。
ナッ神は森や川、石などに宿っていて
日本の八百万の神々に近いものと考えれば分かりやすいかもしれません。
今でもナッ信仰はミャンマーに広く根ざしていて
各地やパゴダの一角でナッ神の社を見かけることもあります。

ナッ神が信仰されていた土壌を考えると、
ミャンマーにおける神仏習合のヒントが見つかるような気がします。
仏様もキリスト様もたくさんいる神仏の一つである、という解釈なのではないでしょうか。
"神仏は水波の隔て"という言葉があるとおり、
水と波のようで本質は一緒であると考えればいいのかもしれません。
それにナッ神は日常のご利益を願うのに対し、仏教は来世へより良い転生を、
キリスト教は罪から救われて魂が天国へ導かれるためのものだとすれば、
祈りの先は現世か死後の世界かで異なってきます。
ミャンマー人のかたくなな信心深さの一方で
こうした少し都合のいい解釈があるとすれば僕はなんだか少しホッとしてしまいます。
それに、こういう寛容さがミャンマーだな、アジアだなと強く感じるのです。
この国の懐の深さは今に始まったことじゃなく、
ずっと昔の宗教観から持っていたものだとすれば納得です。

国境付近のキリスト教地域でも、人々の僕に対する反応は変わりありませんでした。
ミングラバーとにこやかに微笑んで手を振って、
時に僕を招いて食事やフルーツをご馳走してくれました。
話してみると初めて日本人を見たという人も多かったのですが、
臆したり、威圧的な態度を取る人には出会わず、みな穏やかです。

ミャンマーを旅している最中、何となく感じていたことですが、
この国ならばどうとでも生きていけるな、と感じていました。
もし僕がこのままこの土地に住み着いたとしても、
彼らは何の疑問を持たずに受け入れてくれるのではないか。
もし僕が生活に困窮していたとしたら、そっと手を差し伸べてくれるのではないか。
もちろん自分勝手な意見であって、
ここで暮らすに伴う生活の困難さも放りなげた上での想像ですが、
そう思わせるだけの寛大さがこの国には満ちていると感じました。

このミャンマーという国は経済的にも国際的にも弱い立場にあります。
未だ軍部の立場が強く、実際に僕も警察官に追跡をされたり、
宿泊を拒否されることが何度かありました。
新首都のネピドーは国の中央に配置することで
国境周辺に住む少数民族に対する影響を強めるためだと言われています。
また、訪れたとある街で起こった仏教徒とイスラム教の暴動は
政府によって仕掛けられたとまことしやかな噂もたっていました。
ただ、こうした状況に批判はある一方で、軍事政権というカーテンが
ミャンマーの人々を外界からの過当な競争から遠ざけ
異国情緒とノスタルジー、それに敬虔な信仰心に満ちた
唯一無二の国にしているという点も見逃せません。

ミャンマーも残り僅か。
もう少しだけ、この国の寛容さに身も心も預けて旅をしたいと思います。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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