近くて遠きは彼我の言葉
はぁぁ
、そうだった、そうだった。
と中国に戻ってきてからというもの、ため息をつくことが多くなりました。
ラマダン明けのムスリムたちにとって特別な時期に入国したせいもあってか、
新疆ウイグル地区の取締まりは去年にも増して厳重になっていました。
中国政府のムスリム装束やラマダンの禁止令もあって
緊張が走る中、街の至るところで公安や装甲車両が目につきます。
人出が足りていないのか、明らかに一般人に見える人間も臨時で駆り出されていて、
こん棒を持って縦列に隊列を組んで巡回しています。
また、どの宿でも公安の制服を来た男がいましたが、
受付業務を行っていたり、掃除をしていたり、
こちらも明らかに従業員が公安の制服だけを貸与されているようでした。
薄々感じていることですが、もうこの地域を抑えこむことは
素人目に見てももう限界に感じ、
力ではなく別な方法での平定を模索するべきではないかと思います。
ちなみにとある街のウイグル人地区では、
"中国"と名のつくものが塗りつぶされているのを見かけました。
さて、ため息の原因はこういう辺境の現状を再び目の当たりにしたこともあるのですが、
それ以上に実生活に密接した部分でうんざりすることが多かったからです。
例えば、国境から去年区切ったハミへと戻るためのバスで自転車の追加料金で揉めたこと。
チケット売場の係と相談の結果、
自転車に追加料金はかからないことに決まったにも関わらず、
ドライバーは目的地に着いた後でべらぼうに高い金額を要求してきました。
「お金を払え。さもなくば自転車の入っている荷台を開けないぞ」
もうここには仲裁をしてくれたチケット売りはいません。
相手の足元を見た後出しジャンケンが
前回の中国滞在でも何度かあったことを思い出してしました。
例えば、宿の薄っぺらな壁の向こう側で他の客が、
朝から晩まで懸命に痰を吐く音が聞こえてくること。
その産みの苦しみたるや、腹の底から魂か、もしくは未知の生物が出てくるのでは
というような断末魔のうめき声が響くのです。
例えば、この国の凄惨なトイレ事情のこと。
昔の中国のトイレといえば衝立てがなく、時に並んで、時に向かい合って
用を足すため"ニイハオトイレ"などと旅行者の間では呼ばれていました。
今でこそ多くのトイレは仕切りで区切られるようになっていますが、
それでも誰も扉の鍵を締めないため(もしくは壊れているため)、
空いていると思って扉を開けると、中で用を足すべく屈んでいる人と目が合って、
「ニイハオ」と慌てて扉を閉じることになります。
隣のトイレの扉を開けるとまたニイハオ。
いったいどこのトイレが空いているのか、開けてみるまで分かりません。
ニイハオトイレは形を変えてまだ存在しているのでした。
頼むから鍵を締めてくれ!
脱線ついでになかなか取り上げづらいトイレ事情の話をすると、
どういうわけか彼らは流さないのです。
中国のトイレはまず流すところから始まるのだから、
キャンプの時に穴を掘ってする青空トイレの方がどれだけ気が楽なことでしょう。
拝金主義的なところはともかく、
痰もトイレも生理現象なのだから仕方のないことなのかもしれませんが、
自分の中に形成されたそれらの処理方法との違いに
やっぱり僕は戸惑いを隠すことが出来ず、ついついため息がこぼれてしまうのでした。
そして、せめて僕の思いの丈を彼らにぶつけることが出来たならと思うのです。
「無料って確認しただろう? そんなの後出しだ!」
「そんなに苦しいのならタバコを吸うことを止めたらどうですか?」
「鍵くらい閉めてくれよ。それに用が済んだらちゃんと流せよ!」
けれど、僕の空っぽな頭にとって中国語は話すことも聞くこともしち難しく、
なかなか意見の一つも伝えられないのでした。
ここで言う中国語とは、普通話を指しています。
普通話は、数ある中国語方言同士では
時にお互いの意思疎通が困難になるほどに言葉が違ってくるため、
北京語音と北方話をベースとして定められた共通語です。
一般に外国の人間から見た中国語とはこの普通話のことを指します。
この中国語の何が難しいかというと、四種類の声調です。
中国語は同じ音の読みだとしても、
声調の違いによって意味が全く異なる言葉へと変化します。
中国語の入門編でよく出てくる、
"mā ma qí mǎ, mǎ màn, mā ma mà mǎ"
という早口言葉。
"ma"という発音だらけですが、声調の違いによって
"妈妈骑马,马慢,妈妈骂马(母親が馬に乗り、馬が遅いから、母親は馬を叱った)"
という意味になります。
語学センスゼロの人間にとって、
この声調の使い分け、聞き分けの壁がどれほどそびえ立っていることか。
これが使い分け出来ないせいでいつまで経っても、
中国語を話しているつもりが「聴不懂(分からない)」と返されてしまい、
中国語で話しかけられれば『聴不懂』と答えざるを得ないのです。
そうは言っても漢字文化圏なのだから、なんとかなるでしょう? と思うかもしれません。
実際に筆談ならばどうにか簡単な意思疎通は出来ます。
中国の漢字は楷書体から発展した文字である簡体字を採用しているため、
少し日本の漢字とは異なっていますが法則を掴めばお互い概ね理解出来ます。
がしかし、この漢字の存在がこと会話においては大きな障害になってくるのです。
これまで訪れた各国諸国もたくさんの言語があって、
英語が通じない国も多くありましたが、地名やモノ、食事の名前といった名詞に
簡単な形容詞をつければ案外会話になったものでした。
『クロアチア ドブロ(クロアチアは良いね)』
『ラグマン フクースナ(ラグマンは美味しいね)』
ところが中国と日本の間では文字が一緒だとしても、
読み方が異なってくるので頭に答えがあっても、
中国語読みが分からないことで地団駄を踏むことも多いのです。
"東京"と伝えたくて、僕が『トウキョウ』と答えても「聴不懂」、
相手が「ドンジン?」と尋ねてきたとしても今度は僕が『聴不懂』です。
あぁ、この伝えたいけど伝えられないモヤモヤといったら、もう!
と、このように思ったよりも苦労している中国語ですが、
言葉が通じなければ通じないほどにこの言葉の強固な強さを僕は感じてなりません。
中国の田舎では中国語以外を話す人間に出会うことはまずありませんが、
それが何故かと簡単に言えば、中国語以外を使う必要がないからです。
中国にいるのだから当たり前と思うかもしれませんが、
実は母国語だけでやり過ごすことの出来る国というのは世界では稀な方に入り、
多くの国の人々は母国語以外の言葉を話す必要があります。
ここで鍵になってくるのは自国の経済力。
自国のみで資源から生産、消費に至るまでのサイクルを
循環させる経済力と市場を持つ中国は
外国語を習得する必要に迫られなかったのです。
ちなみにアジアの中でもよく英語が通じたのはネパールでしたが、
この国は経済的に困窮している国の一つであり、
有数の出稼ぎ労働者大国です。
お金を稼ぐためには外国語を覚えて外で仕事を手に入れなければならない。
こういった事実からも、
今の時代において母国語だけを貫くには圧倒的な経済力が必要なのでしょう。
また、中国は(共産党の民族識別工作に準ずれば)56の民族を持つ超多民族国家ですが、
それらの頂点に立つのが全体の95%を占めるという漢民族の言葉である中国語。
国内全土に漢民族が住み渡った今、中国語を話せれば
広大な国土のどこに行ってもまず困ることはないのだから、
ますます外国語を習得する必要性はありません。
しかし独自の言語を持つ少数民族にとっては
中国語自体が外国語にあたるということもあり、
外国語に対する意識の垣根は低いのか、
英語を話せる・英語を知っているという人間は漢民族よりも多かった気がします。
それにしても中国語は面白いです。
中国に入ってしまえばあらゆるものが中華世界で内製化され完結するように、
外来語もまた中華ナイズされています。
例えばコーラを中国語で書くと"可乐"、日本の漢字に直すと"可楽"。
恐らくコーラを意味する音を持つ漢字は他にもあると思うのですが、
この飲み物の爽快感や美味しさを表現するために
この漢字が当て字として採用されたのでしょう。
音に漢字をあてたかと思えば、元々の言葉の意味を中国風に訳したものも。
有名なあのコンビニエンスストアはといえば、"七十一"と書きますし、
世界展開するあのコーヒーショップは"星巴克"です。
音遊びも出来る、文字遊びも出来る中国語は
アルファベットやカタカナ表記では感じられない
言葉の面白さが詰まっているように感じました。
ただし、最近はと言うと経済発展に伴い外来語が流入してきて、
中国語化が追い付かない現象が起きているようです。
昔、どこかのニュースで目にしましたが
世界で一番使われている外国語はO.K.だそうです。
このO.K.も今では中国でもよく耳にし、通用するようになってきました。
それに観光地などではFollow meやLet's Goといった言葉も聞こえてきて、
こういう言葉を使いこなすことが今どきの様子のようです。
そして中国国内で最もよく見かける外来語といえば、Wi-Fiの文字。
英語を筆頭に中国に押し寄せる外来語の氾濫。
英語が世界の公用語としてなり得たのは何も話者の数ではありません。
話者の数で言えば中国語やヒンドゥー語の方が遥かに多いのですから。
モノを言うのはやはり経済力です。
世界で最も経済力を帯びた言語である英語が
内向きで頑強な中華世界に風穴を開けようとしている現状は少し恐ろしくもあり、
経済発展の影にはこんな咎も隠されているような気がしました。
新疆ウイグル自治区を抜けると
シルクロードの関所が置かれた河西回廊のある甘粛省へと入りました。
このあたりから遊牧世界が段々と終わりに近づき、
漢族を中心とした中華世界が徐々に始まります。
希薄だった人口や家々も少しづつ増えてきました。
しかし相変わらず無茶な運転をする人も同じように増えだして、
また一つため息の要因が増えてしまいました。
ある日の昼下がり、何でもない長閑な集落を通りがかったときのこと。
目的の街まであと少しだと軽快なペースで自転車を漕いでいると、
路肩に止まっていたバイクが突如急発進し、僕に向かって突っ込んできました。
とっさに自転車から飛び降りた僕は無事でしたが、
車道へ飛ばされた自転車は無残にも鞄が破け、ハンドルが曲がってしまいました。
どう贔屓目に考えても過失はあっちにあります。
けれど運転手の男は謝るわけでも心配するわけでもなく、開口一番発したのは言い訳です。
「ちょうど左手にペンキ持ってたから、気づかなかったんだ。
ほら、どこか自転車が壊れたのならそこに自転車屋があるよ」、
まるで他人事な彼の素振りに、表面張力のようにギリギリのところで
こらえていた感情がここで爆発してしまいました。
『ふざけるんじゃない!なんでミラーを見ないんだ!
だいたい左右も見ないで発車するなんてありえないだろ!
この鞄も自転車もどうしてくれるんだ!!』
怒りに任せ、大きな声で日本語でまくし立ててしまいました。
言葉は通じないものの彼は、目の前にいる人間は中国人ではなくて、
そしてとにかく壮絶に怒っているぞということだけは理解したようです。
彼は騒ぎを聞きつけて集まってきた野次馬の一人に頼み、
コーラを買ってこさせたかと思うと、それを僕に押し付けてきました。
いらないと言っても無理やりボトルホルダーに挿して、
「分かった、分かった、ごめんなさい。これで勘弁してくれよ。な? もう行っていいだろ?」
そう言って罰が悪そうに走り去って行きました。
何だかとても後味の悪い結末です。
なにも彼から何かをせしめたくて怒ったわけではありません。
僕が怒ったことは彼に伝わったかもしれないけれど、
きっとミラーを使うことや交通ルールを守って欲しいこと、
それにこの自転車がどれほど大事で価値のあるものなのかは
伝わっていないことでしょう。
とにかくこの場を凌げればそれでいい、そんな雰囲気が伝わってきました。
この時ばかりは、僕も中国語を話すことが出来ればもっと建設的に、
彼と話すことが出来たのになぁと思ったものです。
曲がったハンドルの、ボトルホルダーに押し付けられたコーラは、
いつになくとてもよく冷えていたのですが、
これを飲んでも全くもって可楽な気分にはなれないのでした。
はぁぁ
。