各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

本音と建前の不文律

2015年09月23日

ロシア、カナダに次ぐ世界三番目の広大な国土、
日本を抜いて世界第二位に躍り出た経済規模、
そして世界一の人口を有する中国は、文句無しの大国です。

建国70周年を控え、大躍進政策の失敗や文化大革命、天安門事件などで疲弊した
かつての姿はなくアジアの盟主となるべく破竹の勢いをもった大国へと成り上がりました。

何も国際外交や政治に関わることだけでなく、日常生活に視点を合わせてみても、
この広い国のどこでも同じ商品が同じ価格で手に入り、
宿一つとってもどんな僻地であれ、必要な機能は一通り揃った宿が提供される。
どこにでも必ずある銀行のATMだって使用手数料を取るようなせせこましいこともなく、
お金を切らしているなんてこともまずありません。

当たり前のように感じることかもしれませんが、実はこうした水準の平準化は
インフラや物流、需要や供給などがすべて安定して整っていなければ
実現出来ないものであって、中央アジアやインドなどの周辺国と
照らし比べてみてもその差は歴然としています。
目を細めて見れば質の程度はあるにせよ、不自由を感じさせることは少なく、
そういう一面から見てもこの国は押しも押されぬ超大国の一つなのです。

けれど、同時に喉の奥が引っかかるような居心地の悪さも感じていました。
周辺国と比べれば何もかも揃っていて、便利で快適なのに
なにかすっきりとしない掴みどころのないこのかんじ。
ずっと正体の分からないもやもやを抱えてこの国を旅してきましたが、
入国して数ヶ月が立ち、広い国土を東西南北あちこちに周ってみて
ようやくこの居心地の悪さの正体がつかめてきたように思います。

次の二つの写真を見てください。

まず一枚目はウルムチの街を見下ろす丘に建つ塔に飾られていた写真です。
ウルムチが新疆ウイグル自治区の区都として目覚ましい発展を遂げ、
今ではシルクロードの拠点都市として
海外からも多くの人がやってくる国際観光都市になったと主張するように
昔と今の写真と街のジオラマがそれぞれ比較して展示されていました。
しかし、塔から街を見下ろす西洋人女性の下半身に目をやると、
足が塔の柵をすり抜けるように跨っているではないですか。
つまり合成写真が堂々と展示されているのでした。

次に二枚目ですが、こちらは甘粛省にある万里の長城で有名な
嘉峪関市で見かけた彫像です。
親子の睦まじい姿ですが、どうしてこのシーソーは
父親が軽々と持ち上げられているのでしょう?
この場に本が積まれているシチュエーションにしてもどうもピンと来ません。

揚げ足取りに思えるかもしれませんが、
僕には多分これらこそがこの国で感じる居心地の悪さの正体、
つまり"矛盾を黙認する社会"ではないかと思うのです。
そしてそれは誰もが気づいているけれど声を上げてはいけない空気が蔓延し、
有無を言わせない圧倒的縦割りの構造が頑なな圧力をかけ続けているようにも感じます。
僕がおかしいと感じたことは、きっと人々もおかしいと感じている。
そう思うと、この国で経験したあらゆることに合点がいくような気がするのです。

この国では様々な矛盾に直面することがままあります。
10秒と持たず赤信号に変わってしまう片側5車線の大交差点、
禁煙と書かれた部屋に置いてある灰皿、
新築マンションの前に高く積まれた瓦礫の山など
挙げていけばきりがない程です。

少数民族が多い地域に行けば行くほどに
民族団結を謳うプロパガンダが増えることだってそうです。

始めの頃は、全ての人間がこれらのことに何の疑問を抱かずに
暮らしているのかと思っていましたが、
色々な人に話を聞いているとどうやら少し違うようです。
正義を貫こうとすれば必ずどこかで挫かれてしまう社会が存在しているから、
彼らは黙って何となく平和に生きていければそれでいい、それもまたこの国なのさと
そんな諦観が漂っているのだと知りました。

例えば中国VISAの申請や延長に必要な顔写真は、
写真のサイズ自体がミリ単位で決まっていますが、
そこに写る顔のサイズすらもミリ単位で指定され例外は認められません。
こんなクレイジーな規定の写真は用意することが難しいだろう、
代わりに私達が用意してあげようと言わんばかりに
VISA申請場所の公安局には決まって撮影所が併設されています。
仮に以前に撮った規定サイズの顔写真があったとしても、
難癖をつけて否定され、撮影所送りにされます。
決して安くはない顔写真代を必ず払わなければいけない仕組みが出来ていて、
僕に限らず全ての人民が支払っているのです。
支払先は何故か公安の制服を着た人間に、です。
これを癒着と言わずして何と呼べばいいのでしょう。
それでも申請を通すためには大人しく指示に従っていかなければなりません。
お上が黒といったものは真っ白なものだとしても黒なのです。

だから、この国でルールを守ろうとすると、
途端に窮屈になるどころか袋小路にぶちあたることになります。

例えば高速道路は当然、自転車は走行禁止ですが辺境地域では
高速道路以外に街と街を繋ぐ道路は存在しません。
だから高速道路を走ることが黙認され、
料金所の係も道中すれ違うパトカーも何も言ってきません。
ただただ各所に"自転車走行禁止"の看板が大きく掲げられているだけです。
他の地域に関しても、あえて交通ルールを無視して言うとすれば、
広くてフラットな路肩の続く交通量も少ない高速道と、
トラックから電動バイクまであらゆる車両がひっきりなしに行き交う
まともなメンテナンスもされていない一車線の一般道の
どちらを走る方が交通事故の可能性が高いことでしょう。

この国ではあらゆる矛盾に疑問を持ってはならず腹の中にしまい、
持つべきものは生き馬の目を抜くような小賢しさでなければ
普通に生活することすらも難しいのです。

こうした矛盾に拍車をかけているのが、
共産圏に共通して見られる強固なセクショナリズムにあると思います。
部局割拠主義と言えば聞こえは良いかもしれませんが、
実際には触らぬ神に祟りなしの見て見ぬ振りです。
信号無視をして目の前に警察がいようともそれが交通警察でなければまるで無問題。

みんながみんな自分の身を守ることだけで精一杯だから、
誰かに迷惑をかけることじゃなければ何をしても大丈夫という風潮があるように感じ、
"青信号は渡れ、赤信号は気をつけて渡れ"、"全館禁煙はトイレなら喫煙してもよい"、
と暗黙の了解の下、本音と建前が使い分けられているのです。

そういう僕もまた正論でこの国に挑む度に跳ね返されることが多く、
暗黙の了解を利用してこっそり外国人の泊まれない宿に泊まったり、
赤信号といえど無理矢理にでも渡らなければ先へ進めない、
閉塞感と後ろめたさとの葛藤にいつも晒されていました。

個人対個人で付き合うと過剰なくらい親切で、
それでいて飾り気のない素朴な人柄の多い中国なのに、
それを国や組織という実態のない単位で捉えた時の虫の居所の悪さは
こうしたことに起因しているのでした。

大国と先進国。
似たような響きを持つ二つの言葉ですが、実際には大きく異なるものなのかもしれません。
大国とは何か特定の分野に突き抜けていれば大国になり得て、
仮に他のことが抜け落ちていても大国足りえるもの。
先進国はその歪な不均衡を出来る限り整えていった国、
整える方向性を目指す国ではないかと思います。
少なくとも僕の訪れた先進国とはそういう国々でした。

以前も書きましたが、ぼったくり料金を請求された新疆ウイグル自治区でのバス移動。
乗車時に無料でまとまったはずの自転車積載なのに
下車時に法外なお金を要求され、揉めに揉めていると、
ぞろぞろと周りの人間が集まってきて
同情するかのような表情で「払うしか無いよ」と僕に促すのでした。
そんな雰囲気に飲まれそうになりながら、
それでも到底払えるような金額ではなかったので、
その半額を運転手にねじ込むように渡し、なんとか自転車を取り返したのですが、
興奮のあまり、口にしてはいけないような罵声を運転手に向かって叫んでしまいました。
すると、さっきまで運転手に同調していた周囲の人間が、
そうだそうだと深く頷いている様子に熱くなった頭のほとぼりがさめていく思いでした。
長いものに巻かれることや臭いものに蓋をし続けることは
決して出来ないことをみんな知っているんじゃないか。
本音と建前を使い分けていくことが処世術な世の中よりも
正直者が馬鹿をみない世の中の方がずっといい。

ところで、今いるこの街を抜ける道路。
高速道路を除くと、下道はどうやら完全封鎖で工事をしているこの道路以外ないようです。
誰かこの街を抜ける正しい方法を僕に教えてくれませんか…?

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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