面の十字路
その国を満喫するコツは、その国の主食を美味しく食べられるようになること。
腹が減っては何とやらですから、何がなくともこれが大事だと思っています。
これがどういうことか、いくつか例を挙げてみると、
東部・南部アフリカではウガリやポショ、シマと地域によって名前を変える
トウモロコシやキャッサバの練り物が主食の一つですが、
これを初めて食べた時の印象は"味のない蒸しパン"といった印象でした。
あるいは、中央アジアに入っていきなり砂漠に放り出され、
暑さでヘロヘロになって辿り着いたチャイハナで出されたナンは、
とても固くもそもそしていて飲み込むことも一苦労、
唾も乾ききった僕にはとても"食えたシロモノ"ではありませんでした。
だからどちらの場面にしても、周りのお客がテーブルに出されたウガリやナンを
ワシワシガツガツと美味しそうに食べている様子を見ることは
少し不思議な気持ちであったりもしました。
けれど、時間というものは良くも悪くも正直なもので、
何度もそれを食べているうちに、シチューに浸して食べるウガリのほんの僅かな甘み、
まぶされたゴマの風味がナンに味の広がりを与えていることに気が付くのです。
それはまるでツヤや触感を味わいながら食べる日本米と同じような感覚で。
すると、いつの間にか僕もあの時のお客のようにモグモグと主食に手が伸びているのです。
初めは何の味も感じなかった主食の微細な味の変化に気が付くことにできたら、
それは自分の主食になった瞬間なのです。
目立たないけれど、実は深く飽きのこない味わいがある。
主食とはそういうものなのかもしれません。
それに主食の味をよく知った国ほど、
たくさんの思い出や出会いがあったような気がします。
さて、日本の主食と言えば米が第一に上がりますが、
他にも様々な麺料理が主食の一つとして食べられていることに異論はないと思います。
特に手ごろな価格と多様な出汁から作られるラーメンは日本の国民食の一つ。
スープが絡んだ麺をすすった瞬間に、口にいっぱいに広がる小麦の香りで
味の良し悪しが分かるという点から見てもラーメンは紛れもなく僕たちの主食です。
そして昔ながらの醤油味のラーメンを"中華そば"と呼ぶように、
ラーメンは大陸本土とも深い関わりを持つ料理でもあります。
甘粛省の省都・蘭州は街の東西を黄河が流れ、
中国のちょうど真ん中に位置しているため、昔も今も交通の要所として栄えてきました。
この街の名物といえば、蘭州拉麺。
牛肉麺の看板を掲げた食堂が通りのあちこちに連なるラーメン発祥の地と言われる街です。
蘭州に限らず中国の拉麺は手延べ麺であり、ラーメンの切麺とは製法が異なりますが、
すごいのはどんな食堂でも、手弧ね麺をその場で作ってくれること。
厨房の端にこぶし大の小麦粉の塊が寝かせられていて、
注文が入るとそれを手に取って、まるで綾取りをするように両手を重ね合わせては離す。
五、六回ほどそれを繰り返すとあっという間に細長い麺が出来上がって、
ヒョイっと蒸気の立つ大釜に投げ入れる。
そこでは別な男が左手にどんぶり、右手に箸を持って待ち構えていて、
大釜に入れて一分程が過ぎた麺をササッとすくって、
どんぶりにスープを注ぎ、牛肉とねぎをトッピング。
最後に辣椒というラー油のようなものをスプーン一杯かければ出来上がりです。
シンプルな見た目ですが、どれもこれも外れのない味ばかり。
乾燥した厳しい地域終わりに近づき、少しずつ緑が目立つようになってきましたが、
まだまだこの辺りは小麦の粉食地域です。
拉麺が小麦粉を使った麺ということからも分かる通り、
漢民族よりも回族などの少数民族が好んで食べる料理で、
街ではムスリム帽を被った人間やイスラム料理を出す清真食堂をよく見かけます。
この辺りの牛肉拉麺はだいたい6元(114円)ほど。
対してご飯は一杯2元ぐらいです。
新疆では一杯3元ぐらいだったことも考えれば安くなりましたが、
それでもご飯に一番安い麻婆豆腐をつけても10元は下りません。
これがさらに四川省の方まで行くとご飯は1元になったり食べ放題になったりして、
牛肉拉麺は8元ぐらいだったことからも、
漢民族がその地域にどれほど入り込み、影響力をもっているかということは
主食の値段から推し量ることが出来るのかもしれません。
そうは言ったものの、中国人は民族問わず拉麺を好みます。
かつて安藤百福が発明したインスタントヌードルは海を越え、
今では中国は世界一のカップ麺消費大国です。
特に列車旅では必携のお供で、鉄道駅前を通りがかると
大きな荷物と一緒に大量のカップ麺を抱えた人民をあちこちで見かけます。
ところで現在の中国では麺料理は"面"という簡体字で表記されていますが、
ばくにょうの"麦"を含んだ部首が示す通り、以前は小麦にまつわるものを指し、
細長い麺だけではなく、小麦の粉食料理全般を指しました。
今では小麦粉以外のそば粉や米粉から作られる粉食料理も含むようになりましたが、
パンのことを面包と書くところにその名残が見て取れます。
また、粉物が麺であるという考え方から、
涼粉や河粉のような麺の字を持たない麺料理が中国には存在し、
ここに麺をめぐる彼我のとらえ方の差が表れていて興味深くあります。
また、シルクロードの対面にあるイタリアでも
スパゲッティやリングイネのような細長いものから、
蝶のような形をしたファルファッレ、板状のラザニアなども全てまとめて
中国における面と同義の言葉であるパスタとして総称していることからは
この古の道の大陸的つながりを見出すことが出来る気がします。
それに、蘭州から西にいった甘粛省と青海省の省境にある遺跡では、
世界で最も古い麺が出土されていて、この麺は粟で作られていたそうですが、
この辺りを中心として東西南北に麺食文化が散らばっていることも興味深くあります。
東は韓国から日本へと至るラーメン料理、
西は中央アジアのラグマン、イタリアのパスタ、
さらにはモロッコに住むベルベル人の食べるクスクスまで。
南へ行くと、雲南省の米線、ベトナムのフォーといった
米粉ベースのものへと変わっていきます。
タイやマレーシアのクァイティオは名前からも
中国の麺、粿條(クイティオ)から影響を受けていることが分かります。
面の漢字を持った緬甸(ミャンマー)に至っては、
ナマズスープのモヒンガーに、きな粉のかかったモンティ、
ココナッツミルク風味のオウノカウスェーなど麺料理には事欠きません。
チベット文化圏でもトゥクパといううどんに似た麺が食べられていました。
北はまだ訪れたことがありませんが、
モンゴルではきしめんに似た麺料理が家庭料理で食べられていると聞いています。
つまり僕のユーラシア大陸の旅は、
そのまま麺料理をたどる旅だったと言い換えることも出来るかもしれません。
そんな麺の道の十字路がこの牛肉麺で有名な甘粛省一帯にあたるのです。
ちなみに僕が世界で一番おいしい麺料理と思ったのは新疆ウイグル自治区の拌面です。
中央アジアではラグマンと呼ばれているうどんに似た食べ物ですが、
新疆の拌面は味のクオリティが頭一つ抜けていました。
注文すると、厨房の奥からドカンドカンとタダゴトではない
叩きつけるような凄まじい音が響いてきますが、この捏ねが麺に強力なコシを生みます。
ボソボソの出来合い麺をスープに入れただけのような
中央アジアのラグマンとは雲泥の差の歯ごたえはちょっと衝撃的です。
スープなしタイプである拌面の上に乗る具材は何でもありで、
茄子や豆腐といった中華的具材をはじめ
ヨーロッパからもたらされたであろうトマトやジャガイモとの相性も抜群。
どんな小さな食堂でさえ、抜群のコシの、ボリュームたっぷりの拌面を
食べられるのが新疆ウイグル自治区の楽しみでした。
これが新疆を出ると途端に姿を消してしまうことが不思議なことの一つで、
新疆拌面を掲げる食堂を訪ねたとしても僕の知っている拌面とはまるで別の料理です。
使っている小麦や水が違うからなのでしょうか。
だから、僕がどんなに新疆拌面の美味しさを熱っぽく語ったとしても、
新疆ウイグル自治区に行ったことがある人以外は
なかなか共感してもらえることが少ないのが悲しいところだったりするのですが。
さて、この蘭州の街はシルクロードの最終チェックポイントのような場所で、
ここを過ぎれば西安はいよいよ目と鼻の先です。
足掛け一年半をかけて走ってきたシルクロードの旅が
もうすぐ終わってしまうのは少し心寂しい気もしますが、
その先の山西省は麺料理のふるさとと呼ばれていて、
そこにも刀削麺をはじめとして様々な麺料理があると聞いています。
それに韓国で食べる本場の冷麺も今からとても楽しみで、その先は待望の日本です。
今日もどこかの食堂で、ズルズルと麺をすするその行為は
僕を日本へと手繰り寄せる行為そのものなのかもしれません。
絹の道は終わっても、"面の道"は遥か東方、日のいずる国まで続いているのでした。