つなぐ轍
秦嶺山脈のアップダウンを繰り返す険しい道を抜けると、
いよいよ集落や民家が途切れなく続くようになりました。
同時に空は灰色に変わり、晴れの日でも太陽はしょんぼりと元気がありません。
そういえば昨年このあたりを走った時も連日こんな天気だったことを思い出しました。
周囲を山に囲まれた地形が年中、汚染された大気を上空に留めているのでしょう。
道の状況もガタガタにひび割れてひどいものです。
そこを山盛りに土砂を積んだトラックがひっきりなしに行き交うのだから、
たまったものではありません。
二時間も走ると歯の隙間に茶色の砂塵がびっしりと付着し、
鏡を見てギョッとしてしまいました。
それが西安市内に入ると、途端に整然としたビル群と道が現れるのです。
顔を歪めず目も開けていられる環境に安堵を感じつつ、
いつものことながらどちらがこの国の本当の姿なのかと戸惑いを覚えてしまいます。
渋滞をすり抜けて市内へ入っていくと見覚えのある場所に出ました。
ラクダを曳いた商人たちが西へと向かうキャラバン隊の石像。
中心部から外れ、観光客はおろか地元民すら見当たらない寂しい場所ですが、
ここはかつての長安の城門あった場所です。
すなわちシルクロードの始まりの場所であり、終わりの場所。
大航海時代以前の、ユーラシア大陸を跨いだ歴史的な道をついに完走したのです。
同時に既に西安からシンガポールまでも走っている僕にとって
ここはユーラシア大陸横断の終着点でもありました。
ポルトガルにあるロカ岬に立ったのが2013年4 月のことだから、
あちこち寄り道はしたけれど、ここに至るまで実に2年半近い時間が経っているのです。
あっという間だったとも、長かったとも思いますが、
自分がこの大陸に記してきた轍はたったの一本である、
これには自分で自分に賞賛を贈ってもいいのかなと思います。
人それぞれ色々な旅のスタイルがありますが、
僕の旅のルールは"自転車で走れる場所は一本でつないでいく"です。
国際情勢や地形によって走れない場合を除いて全て走る、
何らかの事情で飛ばしたりした場合は、その場所に戻って走り直す。
今どき古くさい頑固一徹な縛りかもしれませんが、
だからといってこのルールによって
旅の楽しさが損なわれたり、失ったりすることはありませんでした。
自由な旅もルールは絶対に必要だと思います。
ルールがなければ、どこに行くかも、どのくらい期間を旅するかも定まらず、
あてもない放浪になってしまいます。
だから予算や季節、場所などを組み合わせて無意識のうちに設定されるものですが、
ここを意図的に意識すると窮屈になるどころかむしろ旅の輪郭は浮き上がってきます。
"一日1000円以内で旅をする"
"各国の一番高い山を登る"
"その国のローカルご飯しか食べない"
自分なりのルールを定めると旅の難易度はあがるかもしれませんが、
その分俄然面白さや発見も増えるのです。
実際に僕も轍をつなぐことでたくさんのヒト・モノ・コトに出会えてきました。
ヒトもモノもコトもお互いに干渉し、影響をしあって変化していきます。
そんなつながりや変化のうねりを感じることが陸路を巡る大きな楽しみの一つです。
断片的に土地をつないだり、その土地を俯瞰的に見ようとすると、
時に真実が歪んでしまうこともあります。
例えば全体の統計では少数民族である人々も、
ある地域においてはマジョリティだということに気づかなかったり、
所得の平均値でその国の暮らしを見てしますがゆえに、
そこに隠れる圧倒的格差社会を見落としてしまったり。
全体像を捉えようとするがあまり、虚像の姿を映してしまうことがあるのです。
けれど世界は合理性や効率、平均値などでは計り知れないものだから、
こればかりは根気よくつぶさに地域を見て歩かなければ分からないものです。
もちろん、すべての場所を訪れることは難しいから、
僕の見て回ってきた場所や土地はどこか一方に偏っているものだと思います。
しかし、そこには歪んだ平均値や真実を映さない全体像よりも価値があって
そこに轍をつなぐ意味もあるのではないかと思っています。
実際の世界は、良くも悪くも偏りと不均衡に満ちているのです。
この世には完璧なものも、誰もが納得できる価値観も存在しないから、
それぞれが干渉し影響しあって生まれるゆらぎや曖昧さの中に
自分が納得できる落としどころを見つけたい。
以前、"地球の凹凸"と題して、本当は丸くなくて
歪ででこぼこしたこの星の形を確かめてみたいと書きましたが、
そのたった一つの方法が一筆書きで地球を一周することなのだと思います。
それに、毎回バスで行こうか、飛行機にしようかと考えて、
次に時間を調べて、ターミナルを調べてチケットを買って、
当日はちゃんと乗り物がやってくるのかそわそわして
と実はやることが煩雑で落ち着かない交通機関の旅よりも、
またがって漕ぐだけの自転車の方がずっと気楽で僕は好きです。
(おかげでたまに飛行機に乗るときなどは、
いつも何時間も前に空港に着いてしまってやることもなく弄んでしまうのですが)
"どうやって"次の目的地に行くかあれこれ考えるよりも、
"どんな風に"次の目的地に行くかあれこれ思案して、
道に期待を込めていた方が気楽でシンプルで自分には合っています。
そしてそんな道のりで出会った昼ご飯をご馳走してくれたトラックのおじさん、
一晩の寝床を提供してくれた食堂の家族、
いつまでも手を振って見送ってくれる子供たち
。
僕の旅に驚き、応援してくれる彼らの期待にはいつまでも応えていたいと思いますし、
刻んだ轍がいつかまた彼らに会いたくなった時の道しるべであって欲しいのです。
西安のランドマークになっている鐘楼の北東側には
回民族の集まるエスニックな地域が広がります。
屋台では羊の串焼きやナン、ヨーグルトなどの
中央アジアではお馴染みの食べ物が売られる一方、
肉夹馍(中国風ハンバーガー)や羊肉泡馍(羊肉と春雨の入ったスープ)など、
この土地の郷土料理を出す食堂も多く、それらは緩やかに街に馴染んでいます。
回民族街とはいいますが、実際はイスラム系少数民族の集う界隈のようで、
茶色や青い瞳の人間もいれば、明らかに中央アジアの顔立ちの者もいます。
彼らの傍を横切る時に耳に入ってくるテュルク系の言葉の懐かしい響き、
燻された串焼きから立ち上る煙のにおい、
なんだか五感に飛び込んでくる様々なものがエンドロールのように、
僕の走ってきた道を優しく回想させるのです。
『色々あったなぁ、みんな元気でやっているといいなぁ。』
夜になると、辺りにはぞろぞろと人民が溢れかえり、
黒山の群衆が、けたたましい活気を呈しています。
そんな凄まじいエネルギーの流れに身をゆだねながらも、
僕は地球大の手応えをぼんやりと感じていました。