記憶に残る生活の音
山西省はその名の通り太行山脈を挟んだ西側に位置する省で、
反対側に位置する省もそのまま山東省です。
西域から伝えられた小麦と黄河の流れる豊かな水源が出会って
花開いた数々の麺料理がこの省の名物。
小麦の塊を包丁で削った刀削面や文字通り猫の耳のような形をした猫耳、
蒸籠で蒸した筒状の麺ユンミェンなど珍しい麺料理をたくさん試すことが出来ました。
ここまでやってくれば首都・北京は目と鼻の先の距離。
さぞ首都から届く余波でどこも賑わっているのだろうと期待していたのですが、
省都の太原を除くと北へ行くほどに貧しい一時代昔の街々が続きました。
中国の近代の発展の歴史を辿っていけば、
まず開放経済の導入で沿岸部に資金が集まり、
次いで西部大開発でチベットや新疆、四川省や陝西省、
重慶市などにスポットライトが当たります。
そして昨今の一帯一路政策に基づくシルクロード経済路と
東南アジア経由の海の経済路の強化へと続いていきます。
これらを踏まえてみると、どのルートからも外れている山西省が
発展に二の足を踏んでいるのはごく当たり前のことだったのかもしれません。
省内には中国有数の炭鉱があり、主要産業の一つとなっていますが、
大気汚染は世界のどこよりも凄まじいものがあり、
目に見える程の炭塵が大量に空気中に舞っています。
けれど深刻な大気汚染をしてまでも運ばれてゆく石炭で作られる
エネルギーの行き先は、きっとここではないでしょう。
先富論にもとづいて、この地域が豊かになる順番は本当に来るのだろうか、
中国夢(チャイニーズドリーム)は本当にあるのだろうか、と思ってしまいます。
そんな山西省も以前は中国に強い影響力をもった時代がありました。
明から清の時代にかけて中国の経済界で活躍した山西省出身の商人たちは
モンゴルからの防衛のため万里の長城に駐屯していた軍の兵站を
受け持つことで巨万の富を得、山西省人と呼ばれる一大勢力となりました。
また、現代銀行の前身にあたる為替金融業の票号を
中国で初めて創業したのも山西商人です。
中国のみならず海外にも支店を延ばした票号の最初の店舗は
山西省中部の平遥にありました。
中華民国になって以降、銀行の仕組みが整えられ票号は衰退していきましたが、
平遥の街は今でも明代の街並みを残していて
山西商人の築いたかつての栄華を偲ぶことが出来ます。
約6kmの城壁で囲まれた街はいくつかの城門から入場することが出来、
夕暮れ時に平遥に到着した僕は少し道に迷ったこともあって
車の通ることが出来ない小さな城門から中に入りました。
裏通りの細い路地に出るとレンガ作りの古い街並みに変わり、
そこは地元民しかいないような生活感のある場所でした。
けれど、そこに入った瞬間に城壁の外のけたましく鳴るクラクションや
工事車輌の轟音、いささか度が過ぎる商業施設の宣伝音楽が
ぷつりと途切れ、明らかに雰囲気が変わったことに気づきました。
かしましい音の喧騒の代わりに、子供たちがはしゃぐ声や駆けて地面を蹴る足音、
石畳の上を走る自転車が段差を越えてカシャンと震えるフレームの軽い金属音、
開けっ放しの窓からはトントントン
とリズミカルにまな板を叩く音が聞こえてきました。
一つ一つの音の輪郭が鮮明で、邪魔をする雑音は城壁にすっぱりと遮られていたのです。
なんだかそれは音の延長線上に様々な物語を連想出来るような味のある音でした。
ここで聞こえてきたのは生活のノイズじゃなくて、生活の音。
久しく聞いていなかった静けさの中に響く音に、
こんな場所が中国にもあったのだと思いがけず心が震えたことを覚えています。
裏路地から城内の繁華街に出ると、
再びピッピーと鳴らすバイクのクラクションが鳴り交い、
商業施設のネオンが煌々と怪しく光り、
観光地らしいうわついた賑やかさが幅を利かせていましたが、
夜10時も過ぎればどこも店じまいをして、
落ち着きを取り戻したメインストリートにも音が響く空間が生まれます。
自分の足音やカメラがシャッターを切る音が一番目立つような
静かな夜の街を歩いていると、
閉店した軒先でお供え物と何かの送り火を焚いている様子をあちこちで見かけました。
立ち昇る煙の中に線香の懐かしいにおいが混じる。
火袋に様々な衣装を施された提灯は
明かりが届く範囲だけ古い街並みを闇の中にぼうっと浮かべます。
生活のノイズが取り払われた街には五感を刺激する発見がたくさんありました。
いい街だな、と思いました。
中国の街々はあまり記憶に残る場所が多くありません。
同じような作りの、同じような表情の建物が広大な国土の至る所に建ち連なり、
特徴を感じにくいからかもしれません。
そしてクラクションや工事の音、叫び声やスピーカーから流れる機械音が
四方八方から四六時中降り注いできます。
それは東南アジアやアフリカの混沌の中で聞いた音のような
躍動感を覚えるものというよりは、
傍若無人の身勝手な音に僕は聞こえ、そのノイズから耳を塞ごうとしていたら、
いつの間にか、この国を見ることや感じることも止めてしまっていたように思います。
けれど平遥を囲う城壁は、そんな外部からの主張の激しい音を
食い止めていたこともあって入場した時に
他とは違う雰囲気を感じ取ることが出来たのかなと思います。
音には視覚から受けとる情報以上に脳裏に印象を焼き付ける力があると思います。
例えば、メキシコのタコス屋台で熱せられた鉄板に
押し付けられるように焼かれジュウジュウと音を立てる牛肉と、
アルミのヘラが鉄板にカッカッと当たる小気味いい音。
チレアンパタゴニアで聞いた、
連日止まない雨が絶えずタタタタタッとトタン屋根を叩く安っぽい音と
ストーブの中の薪がパチッと爆ぜる音。
ボツワナのブッシュでやむを得ずキャンプをした夜に聞いた
グモーッグッグッという不気味な鳴き声(翌朝、確認したらただのロバでした)。
どこかで似たような音を聞くたびに僕はこれらの景色や
当時考えていたことを思い出します。
キルギスの街々の雪解け水を引いたカラカラ流れる水路の音や、
冬のヨーロッパの雪が音を吸収して生まれる静寂も好きでした。
心に刻まれる場所はやはり単に目に移った景色ばかりではなかったのです。
それどころか音として記憶した風景の方が時として
より鮮明に当時の情景を呼び起こしたりするのでした。
言葉には出来ないけれど感覚として体が覚えている感じをクオリアと言うそうですが、
この平遥の街も自分の中でクオリアの質が高い場所でした。
それはこの山西省が過熱する経済発展から取り残された田舎だったから
昔ながらの素朴な中国が垣間見えたのかもしれません。
往時に栄えた街並みを現代に残す平遥は、
そこに暮らす人々の息づかいが直に聞こえてくるような
なんとも奥行きのある素敵な街でした。