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遠き親戚は近くの隣人に如かず

2015年10月28日

8月末から9月頭にかけては少しだけ神経質になりながら北上を続けていました。

多くの日本人にとって第二次世界大戦は
1945年8月15日の天皇陛下の玉音放送をもって終戦と捉えられていますが、
国際的には日本がポツダム宣言に調印した9月2日が一般的です。
中国ではその翌日9月3日を抗日戦勝記念日となっていて、
戦争終結70周年にあたる今年からはこの日を祝日に定め、
国を挙げての大行事となっています。

どれほどの盛り上がりかと言えば、
数日も前から小さな街々でも前夜祭のような催しものを目にし、
当日に向けて特設会場を建設している様子もたびたび見かけていました。
多くの日本人が駐在している沿岸部と違って、
外国人も珍しい内陸の田舎にポッと現れた日本人に対し、
愛国心をくすぐられた人民が暴徒化したりしないだろうかと少し心配だったのです。

ところが当日は北京にもほど近い中規模都市に滞在していたのですが、
それまでに見られたような催事は見かけず終いで、
街は閑散としていて心配は杞憂に終わったのでした。
ただ、今日はやけに空が綺麗だなと思っていたのですが、
北京で行われた式典パレードのために周辺工場の操業を停止し、
青空を演出していたことを後で知りました。

ご存知のように先の大戦を巡っての日中間の認識には大きな隔たりがあり、
日本はこのパレードには参加をしていません。
この認識の差が互いに反目しあう原因の一つになっていることは周知の事実で、
双方の舌戦やデモの様子がニュースで報道されることもしばしばです。
そういった様子が映像や写真、文字などで繰り返されることによって
僕自身も記念日前までナーバスになっていましたが、
けれど、冷静になってこの通算四か月に及ぶ中国滞在を振り返ってみると、
いわゆる"反日"というものに出会ったことはありませんでした。
普段接している情報がいかに偏っていて、一部の事象がその国の全てであるかのように
知らず知らずのうちに印象の刷り込みがされているのが分かります。
それどころか、出会った中国の人々を思い返してみると、
彼らの時に行き過ぎるくらいの親切と屈託のない笑顔が
真っ先に浮かんでくるのですから。

夏の時期のシルクロードでは夏休みを利用して国内旅行をする学生に
たくさん出会いましたが、彼らはいつも僕を食事に誘ってくれました。
今どきの世代らしくインターネットを通じて日本のアニメや漫画をよく知っていて、
日本人の僕の方が話についていけなかったりすることも。
「初めて日本人の友達が出来たよ。日本は行ってみたい国の一つなんだ。」
と嬉しそうに話す彼らにつられて僕も嬉しくなったことを覚えています。

宿でもオーナー家族が旬のフルーツを差し入れしてくれることは度々あって、
僕が部屋に籠もって出てこない時などは、「大丈夫? ちゃんとご飯食べた?」
とよく気をかけてくれました。
時には仕事そっちのけで一緒に飲みに行こうと誘ってくれ、
終いには「お前からお金はもらえない」と言って宿代を返されて
一宿一飯の世話になってしまうこともありました。

彼らの触れ合いの間には、いつも食が関わっていて
それはなんだかとても中国らしいなあと思わせるのですが、
僕はそんな気が良くて飾らない素朴な中国人の振る舞いは
受ける側としてとても心地よかったことを覚えています。

もちろんなかなか相容れない面もあることは事実で、
どんな場所でもタバコの紫煙と騒音に塗れ、そこら中で異臭が漂う
劣悪な衛生環境に頭をもたげたくなることもあります。
けれど、いざそういう輪の中に混ぜてもらうと、
受け入れてもらったことの方が嬉しくて
それほど気にならなくなってしまうのだから不思議なものです。
マナーや常識はもちろん大切です。
けれど人と人が付き合っていく上で、
そこだけにこだわり過ぎて、人となりを見つめられないことがあるとしたら
僕はそっちの方が大いに問題有りだと思います。

国内外に強硬な手段を展開する政治や末端まで蔓延る汚職など、
この国は共産主義という日本とは性質が異なる国ということもあって
なかなか理解には難しい国ではあります。
そしてメディアが衆目を集めるために垂れ流す
尖った見出しやインパクトの強い話題によって、
あたかもそういう人間しかいないという印象操作をされ、
ときどき中国という国と中国に住む人々を一緒くたに捉えてしまうことがあります。
冒頭の抗日行事で神経質になっていた自分は正にその典型だったのですが、
けれど結局のところは一人ひとりが違う人間で、色々な性格の人間がいるのですから、
国と人とを混同して捉えることがないように、常々気を付けなければならないと思います。
それに訪れてきた他の国々がそうだったように、
国の印象で人を決めつけるのではなくて、
出会った人の印象で国の印象を持つようにしたい。
これは無限の情報が溢れているかに見えて、
実は偏った情報ばかりな事もある情報化社会に対する自分なりの抵抗であって、
そういう旅にしたいという願望でもあります。

"遠くの親戚より近くの隣人"という故事があります。
肝心なときに頼りになるのは近くにいる人間だから
隣国とは良い関係を保つべきという教えですが、
ただし、日中間のみならず世界中で隣国同士の仲が悪いことは結構あって、
なかなか故事通りにはいかないことはこれまでの世界史が物語っています。

距離も近いがために関わる機会が多くあるからでしょう。
けれど自国の利益を求めるがために、相手の悪いところだけにフォーカスし、
自分の主張だけを押し通してしまうことは無益で残念に感じます。
隣国は歴史や文化、言語や人種などにも共通するものがあるから、
主張することも似通ってくるというのは何となく分かるのですが。
しかしそんな風にお互いをよく知っている隣人同士だからこそ
解決の糸口もそこにあるようにも感じます。
蹴落とし蹴落とせで揚げ足取りに躍起になるよりも、
相手を子細に見つめ、話し合えるゆとりを持てればいい。

ある日、昼食に立ち寄った幹線道路沿いの食堂は、
昼下がりという時間帯もあって客はおらず、
自然と店主が僕の席に座って世間話をすることになりました。
やはり時期が時期だけに大戦のことに話は及びます。
僕自身、当時の日本の帝国主義を肯定するつもりはありませんが、
戦争なんていつだって勝てば官軍、負ければ賊軍の世界です。
立場によって正義が変わるこれほどまでに曖昧なものに
明確な白黒をつけることは出来ないのだから、
特定の過去にネガティヴなこだわりを持ち続けて発展の妨げとなるよりも
もっと未来のことを一緒に考えた方がいいということを筆談で伝えました。
全てが伝わったかどうかはわかりませんが、うんうんと頷く店主。
がらりとした店内の少しだけ重くなってしまった雰囲気をごまかすために
『でも僕は鬼子(日本兵の意味)ですよ。』
と書くと、彼はクスリと笑ってくれました。

おかしかったのは彼が
「日本はアメリカと仲がいいだろう。でもアメリカは遠いぞ。
中国の方が近いんだから仲良くやろうよ」
と言っていたことです。
"遠くの親戚よりも近くの隣人"は、
なるほどどこの国でも同じ事を考えているんだなと思いました。

そして食事を終えて勘定を済まそうとすると、彼はブンブンと顔を振っています。
それがお金はいいよという意味だとは何となく分かったのですが、
それでもどうして? と尋ねると彼は僕の持っていたペンを取って
伝票の裏に"中日友好"と書いて渡してくれたのでした。

こんな風に僕たちはフラットに心を通わすことが出来る。
いがみ合うよりも手を取り合う方がどんなに楽なことか。
幸いにして今の世の中は個人の体験も広く外に知らせることが出来る世の中です。
ネガティブじゃなく、ポジティブなエピソードの連なりが
いつか今よりももっと友好的な関係を気づく足がかりになればいい。
彼からもらった伝票の裏紙は、パスポートに挟んで大事にしまってあります。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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