合理性では図れない価値観
国境の街から走り出して三日目、
ようやく地平線に近い丘の上に人家の連なりを捉えました。
ゴビ砂漠の縁に位置する街サインシャンドです。
ただ、喜び勇んで街へと向かうも、
ラマ教の著名な僧院もある中堅都市だと耳にしていた割には
街の影はやけにまばらで頼りありません。
それもそのはず、首都一極集中であるモンゴルでは
ウランバートル以外の街の規模は極めて小さく、
この街も例外ではなく県庁所在地であっても人口2万人弱の規模でしかありません。
ただしかし、集落もほとんどない砂漠の三日間を過ごした後であれば、
規模の大小はどうあれ人工物の色彩がやけに目に染みるのでした。
街は中心に盛り上がる山で鉄道駅のある北側と
市場やマンションの集中する南側にきれいに寸断されていました。
久しぶりの街に到着して気持ちがぷっつりと途切れてしまった僕は、
わざわざ山向こうの北側まで行く気にはなれず、南側で宿を探しました。
国境の街ですでに気づいていましたが、モンゴルの物価はなかなか高いです。
自給できているであろう肉類はとても安価で食べることが出来ますが、
食品の、特に加工食品は輸入にかなり頼っていて
ロシア製品や韓国製品が相当に目立ちます。
その中に僅かに日本製品も見られますが、
市内をすれ違う車の多くが日本製の中古車だということを踏まえてみると、
これらは朝鮮半島・極東シベリア経由の物流ルートに乗って
一緒にやってきているのでしょう。
食品や日用品でさえこれだけ遠方から届けられているのだから、
この国の物価が高いのはごく当たり前のことでした。
国内のビジネスが未発達となると、
それに伴って往来する商人やビジネスマンの移動も少なくなるので
宿に関しても中国と比べて数が少なく
価格もおよそ3~4倍程となかなか値が張っています。
シャワーのない部屋がほとんどで、
シャワー付きを探すとなると一日の予算はそれだけでオーバーしてしまい、
インターネットなんてものも到底望めません。
首都まで行けば事情が違ってくるのでしょうけれど、モンゴルの地方事情はこんなところ。
現地の暮らしぶりと物価のギャップは相当にアンバランスです。
国境の街とこのサインシャンドを歩いてみて感じたことは、
同じように元遊牧民国家でソ連の影響下にあった中央アジア諸国と比べてみても
社会主義的な雰囲気がより色濃く残っているように感じることです。
人々の表情はどこか硬く映り、僕のような外国人に対しては尚更警戒の色を浮かべます。
長い間、資本主義的競争の真逆にいたからか、
商店や食堂からはまるで商売っ気が感じられません。
街の中心に建つコンクリートビルにはいくつか商業施設が入っているようですが、
どんなお店なのか、何を売っているお店なのか、
はたまた営業しているのかどうかさえも外からはおおよそ判別不可能です。
"スーパーマーケット"とキリル文字で書かれた看板を見つけたけれど、
肝心のお店が見つからないことがありました。
右往左往と周囲を彷徨うと銀行の中に階段があって、
不法侵入にならないものかと恐る恐る二階に上がってみてやっとお店を発見しました。
食堂にしても通りに面した場所で営業しているところはあまりなくて、
家具屋の店内を通っていかなければ辿り着けない構造になっていたり、
小さな扉を開いて、麻薬の取引でも行われていそうな階段をあがって、
何かの事務所がいくつか入った廊下の一番突き当りにようやく食堂を見つける
という分かりづらさです。
そんな商売っ気の感じられないお店や食堂は
この国が以前は社会主義国家であったことを毅然と物語るわけですが、
店内に入ると案外賑わっていて品揃えや雰囲気も悪くありません。
外観と違って内面はしっかりと時代が変化しているようでした。
だからこそ余計に、寂しげな外観と中身のギャップからは
入り口を広く分かりやすくして、ヴィジュアルのしっかりした看板を立てれば
もっとお客さんが来るのに、とお節介にも思う自分もいたりするのですが。
この国ではちょっとした場面で、こんな風にちょっとした違いに戸惑う場面が多く、
いまだ時代の影を感じることがあるのです。
けれど一方で、けばけばしい広告を並び立てて、
いかにお客さんを呼び込むかに腐心する大量消費社会に
彼らを巻き込んでしまって良いのだろうか、
果たしてそれが本当に正しいことで彼らの望むことなのだろうかとも思います。
もしかするとそれは高効率で合理さを標榜とする資本主義社会に
骨の髄まで毒されて育ってきた僕の勝手な押し付けなのかもしれないと。
こういう場面でいつも思い出すのは
女優でもある片桐はいりさんの著書"グアテマラの弟"の一説です。
この本は中米のグアテマラに移り住んだ弟を訪ねた彼女が、
現地での体験を通して日本とは全く異なる暮らしや価値観を
面白おかしく綴ったエッセイです。
グアテマラを初めて訪れた当初、
ごみをそこら中にポイポイと捨てる国民性に驚き、慣れずにいた彼女ですが、
ある日、朝になると街のゴミが消えていることに気が付きます。
不思議に思って尋ねてみると、ペットボトルなどのプラスチックゴミは
売ればお金になるので誰かが拾い集めていったり、
タバコの吸い殻もシケモクを探す人が拾っていってしまうからとのことでした。
国がゴミ問題まで手が回らないという実情があり、
ポイ捨てを肯定するものではないにせよ、
混沌の中にもそこにはそこなりの仕事や存在価値が生まれて
一つの循環が成り立っているのかもしれない。
合理的ではないけれど、こうして仕事が生まれている側面もあるのだから、
あながちこの国においてポイ捨てのすべてを否定するものではない。
そんな話でした。
世界中でなかなか理解のし難い不思議な仕事をたくさん見かけてきました。
道端で体重を計ってあげる体重計屋、
自動販売機や券売機の横に立ってボタンを押してあげるだけのボタン押し屋、
とある街で見かけた定時出社の定時退社でどこかへ帰っていく物乞いなど
どれもこれも突っ込みどころが満載の仕事ばかりです。
そんな仕事が果たして成り立つのか!? としばらく様子を伺っていると、
行き掛かりの人が思い立ったように結構な数で体重計に乗っているし、
切符を買った人も気前よくお釣りを渡している。
悲壮感の全く感じられない物乞いにお金を差し出す人も
「今日ぐらいは下手な嘘に乗ってあげよう」そんな顔をしています。
彼らは仕事を通じて誰かの命を救ったり、人の心を動かす感動を与えたわけでは
恐らくないけれど、それでも今日一日を凌げる日銭を得た。
その日銭を持って食堂でご飯を注文する。
食堂の人間も得たお金をまた別なところで消費する。
案外、こんな風にして世の中は回っている側面もあるのです。
仮に合理さだけを追求していったとしたら、そんな彼らに仕事は存在しえず、
かといって未成熟な社会ほどに
それらに取って代わる仕事を彼らに与えることも出来ないでしょう。
交通機関が良い例です。
一般に途上国ほどタクシーやミニバス、トゥクトゥクといった
私的な交通機関が増える傾向がありますが、
増えすぎた車体は渋滞の原因にもなってしまっています。
深刻な渋滞を改善するために新興国では
地下鉄の設置や個人営業車の締め出しを行っていますが、
それは彼らの仕事を奪うことに他なりません。
だから渋滞の緩和とは単にインフラを整えることだけでは不十分なのです。
交通渋滞という都市問題の陰には、それを生業にして生活している人たちが
それだけいるというところをまず認識しなければなりません。
非合理の存在はある種のセーフティネットを機能させている、
という視点も時には必要なのかもしれません。
以前の自分であれば筋の通らない事柄に理解を示すことは
難しかったと思いますが、世界各地で様々な事象に触れてきた今ならば
以前よりもずっと分かるような気もしています。
なぜなら究極の合理性は必ずしも
目指すべき最良の社会ではないと思うようになったからです。
このモンゴルでの体験で言えば、
宿にシャワーがなくてもシャワー屋が街のどこかに一軒はあって、
そこに仕事が生まれています。
また、極端な寒暖差でアスファルトが傷みやすいこの国にとって
実は未舗装路の方が管理しやすく、メンテナンスのための定期的な仕事が生まれます。
そしてシャワー屋の場所を尋ねるために地元民との関わりが出来たり、
シャワーの順番を待つ時間に他のお客と世間話をする時間が出来る。
何もないダートを走ることの大変さをみんな知っているから、
すれ違う車は止まって「乗ってくかい? 水いるかい?」と声をかけてくれる。
非合理な社会ほど、繋がりを意識する機会が多いのです。
もしかすると究極の合理主義はあらゆることを自身で完結してしまうため、
社会との繋がりを切り捨ててしまうことなのかもしれません。
だから少しぐらい非合理な世の中の方が社会との繋がり意識を持てる。
補ったり、分け合える場所を社会と呼ぶのではないかと思います。
ところで、入り口が小さくて分かりづらいと悪態をついたモンゴルの建物ですが、
これはひとえに厳しい冬の寒さを遮断するためだと思われます。
だからいつも室内は温かく柔らかい空気が停滞しています。
冬は寒いと同時に長いから、明度の高い木材や暖色の絨毯が
ふんだんに使われていて少しでも明るく過ごそうという意思を汲み取ることが出来ます。
無機質な外観と小さな入り口とは裏腹に温もりのある室内。
それは、初めは警戒心が高く表情が硬いと感じたとしても、
同じ時間を共有するうちに少しずつ懐が開いて、
なんとも人の良さそうに目じりを垂らす
モンゴル人の人柄にも似ていて、実は好きだったりするのでした。