安全とは何だろう
もしかして、来る場所を間違えたのかもな。
フィリピンでの三週間を終えた今、
あるいは道中ずっと心の片隅にこびりついていた率直な感想です。
そう感じてしまった理由の一つとして、
入国前にフィリピン出国の航空券を用意しなければいけなかったこともあるでしょう。
もともとは、どこかの港でマレーシア・ボルネオ島へと渡る船を捕まえて、
そこからあわよくばインドネシアまで南下出来ればいいなと思っていました。
そんな漠然とした予定だけでフィリピンにやってきたのですが、
出国証明としての航空券を提示しなければ入国を許可しないと言われてしまいました。
こうした場面には今までも何度か直面したことはあって、
いつもあの手この手でなんとかやり過ごしてきたのですが、
今回はわざわざ入国にあたっての規則集をどこかから引っ張り出して
「ほら、ご覧なさい」と見せてくる力の込めようだったので、
白旗を挙げ、ボルネオ行きを諦めて韓国への復路チケットを購入したのでした。
いざ出国のフライトが決まってしまうと、
それを逆算するかのように日々の予定や、
島々を繋ぐ船のスケジュールに合わせて動かなければならず
途端に窮屈な旅へと思えてしまう閉塞感がつきまとうようになったのでした。
もう一つの大きな理由としては、前回も書きましたが
この国の他のアジア諸国とは異なる殺伐とした雰囲気に、
不意に後ろから頭を打ち付けられたような衝撃を受けたからです。
初日、すっかり日が暮れてからマニラ中心部に着いた僕は、
いくつか目星をつけておいた宿の一つに駆け込みました。
広く小奇麗に演出されたレセプションの前に一台の自転車が飾られているのを見て、
僕はホッとしました。
僕がいつも宿を決めずに旅をするのは、予定に縛られた旅にしたくないということと、
自分と自分の自転車とがきちんと安全の確保される宿かどうかを見極めたいからです。
ところが、僕が自転車を停める場所を尋ねると、
丁寧な英語で回答はしてくれたものの、
とても冷酷で揺るぎないトーンで「ありません」と言われてしまいました。
そんなバカな、じゃあここに飾られている自転車は何だっていうんだ、
そんな調子で詰め寄ると、
受付の若い女性は瞳の奥に「やれやれ」という表情を滲ませ、
レセプションとはうって変わって掃き溜めのような地階を案内してくれ、
ここに停めるといいと言いました。
そこは表通りに面したほとんど外と変わらないような場所で、
まだ納得のいかない僕に女性は不請不請に言いました。
「ここは24時間警備員が立っていますし、カメラもありますから安全です。」
本当かよ
。
そうは思ったものの、ここに至るまでの道のりを思い返すと、
あちこちで散弾銃を抱えたガードマンが立ち、遠くからパトカーのサイレンが鳴り響く、
生き馬の目を抜くような連中ばかりがやたら目につく夜の街を
これ以上徘徊する気にはなれず、やむを得ずその日はそこに泊まったのでした。
その後、マニラのスペイン時代の古い街並みを見に行くため、
旧市街近くの宿に移ろうとしたのですが、
やはりそこにも自転車を停める場所はありませんでした。
『もし盗まれてしまったらどうするんですか?』
「その責任は負えません。他を当たってください。」
途端に頭がカッとなって、その宿を飛び出し自転車にまたがりました。
ここが都会だからなのだ、
田舎に行けばもっと話を分かってくれる人間がいるに違いない。
安心して滞在が出来ないなら、観光どころではないのだ!
凄まじい交通量とジープニーと呼ばれる独自の乗り合いバスでごった返す
ルソン島の幹線路を70kmほど南下し、それなりの規模の街に着きました。
しかしここでも、さらに言えば結局のところ
フィリピンに滞在している間のほとんどを
「自転車を停める場所はない、でも警備も防犯カメラもあるから安心だ」
と言われることとなってしまったのでした。
この国に限らず、途上国におけるヒエラルキーは分かりやすいものがあって、
単純に小さいものより大きなものが、良いもの・強いものという傾向が感じられます。
乗り物で言えばバイクよりも乗用車、
乗用車よりもバスやトラックが強いのだという暗黙の了解があって、
自転車などは最も力の弱い層に分けられてしまうのです。
だから、お前の自転車を盗むやつなんて誰もいないから
外に停めておけばいいということになるのだろうし、
自転車で旅をしていますと言ってもなかなかその意味を
理解してもらえないことも多いです。
ただ、逆手をとって言えば自転車旅行は彼らにとって、
バスに乗るお金もない貧乏旅行者とイコールで結び付けられることが少なからずあって、
それはそう思われていた方が自分にとって
強盗や盗難からのリスクヘッジになるから、一概に悪いとも言えないことなのですが。
けれど、どうしても納得のいかないことが、みな口裏を合わせて揃えて言う
「警備もカメラもあるから安全だ」ということです。
警備員がいて、カメラもあるということは"何か"が起こる可能性があるから
そうしているのではないか?
安全とは何も起こらない、起こる可能性すらないことを言うのではないだろうか
?
だいたいカメラなんてものは抑止力にはなるかもしれないけれど、
その瞬間を捉えるだけであって決して安全をもたらすものではないのです。
彼我の考える"安全とは?"にとても大きな隔たりがあるように思えてなりません。
この国では商店で買い物する際も、鉄格子や金網越しでのやり取りも多く、
自由に商品を取って確かめることもなかなか出来ません。
路上のハンバーガー屋台でさえも同じように鉄の柵で守られているのです。
そんな屋台のカウンターに座り、ホットドックを注文すると、
何となく囚人になったような気分さえ湧いてきてしまうのでした。
一部、大きなスーパーでは日本のスーパーのように
商品を直接手に取ることが出来ますが、それでも入店前にロッカーに私物と鞄を預け、
退店の時には警備員にレシートと買ったものを照合してもらわないと
出られない仕組みになっています。
結局ここでも"何か"が起こるかもしれないから
このような対策を取っているのであって、
中南米でもよく見られたこのシステムは、
信用よりも先に疑いから入る社会の写し鏡のように思えます。
つい先日まで長い間、ユーラシア大陸を旅してきて、
特にイスラム世界や遊牧民世界の、外の世界への寛容さに身を預けていた僕にとって、
急に冷や水を浴びせられたような、
世界にはやっぱりこういう現実もあるということを思い知らされたのです。
なぜこのような相手を疑ってかかる社会が構築されてしまっているのか、
問題の根源に貧困があることは間違いありませんが、
かとって貧困だけが諸悪の根源ではないような気もしています。
その対の存在である裕福さや富がすぐ隣に見えるからこそ、
妬みそねみが生まれ、持たざる者が持てる人間から略奪が起き、
反対に持てる物が持たざる者に狙いをすました搾取が起こるのではないでしょうか。
貧しいといわれる地域もあちこち旅をしてきましたが、
例えば同じ生活のレベルの、暮らしの分母がみんな一緒のような地域では
極端な治安の悪化や安全が脅かされるということはあまりなかったように思います。
こういう地域ではむしろ互いに分け与えたり、共有するということが当たり前でした。
肌で感じ取れるほどの身の危険を感じるのはいつも決まって
首都や経済都市などの富やお金の集まる場所です。
格差を感じやすい社会こそがお互いの収奪を生んでしまう。
それを無理やり力で抑え込んだり、人を疑うことから始まる社会は
やっぱり安全とは言えないよなぁと思うのです。
そして格子や網で区切られた間柄で触れ合う人々とは
どこか大きな隔たりを感じてしまって、
僕自身も彼らの懐に飛び込むことがはばかられるように感じてしまったのでした。
あまりすっきりとした気持ちで旅をすることが出来なかったフィリピンでしたが、
それでも良い出会いはたくさんあって、尊敬できる人にも会ったりしました。
特にフィリピン人の天真爛漫とした明るさは、あぁここは南国だな、
と思わせるようで毎日元気をもらっていました。
小さな少女にカメラを向けると、彼女たちは随分大人びたポーズをとって
はつらつと笑います。
きっとこういうことを国民性というのでしょう、
日本人にはちょっと真似できない笑顔だなぁと思うのです。
一方でその笑顔の源流は、"純粋無垢だから"という理由だけでは
片付けられないような、明日には"何か"が起こるか分からないからこそ
出来る表情な気がして、
その刹那的な表情を思うと、やっぱり僕の胸は痛むのでした。