各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

一望千里の想像力

2016年01月27日

例えば僕が中央アジアの小国キルギスに心惹かれた理由を考えてみると、
首都ビシュケクから望む天山山脈の山並みが、
故郷の福島市から眺める吾妻連峰の山々にも
どこか似ていたからかもしれないと今になって思います。
今は分厚い雪雲が停滞する故郷の山並みですが、
晴れの日には美しい山の連なりを見せてくれ、
その景色こそが僕の記憶の原風景と言っていいかもしれません。
そして盆地に広がる家並や森、道の切れ切れに、
ここで生まれ育った思い出の断片が散らばっていて、大切な友人たちが住んでいます。

ここに広がる風景は今も昔もほとんど変わっていないように見え、
それは僕に安堵をもたらす一方で、
果たして僕は本当に世界を自転車で周ったのか、少し覚束なくもさせてしまいます。
息を切らして、汗を流し、世界の端から端まで走ったあの日々。
旅の非日常はあっという間に日本の日常に取り込まれようとしてしまうのです。
帰る家があって、僕を知っている友人たちがいる、
温かい布団で眠ることが出来る、貴重品の心配もしなくてもいい、
旅の間では決して約束されなかった事の数々は、
良くも悪くも僕を世界から切り離そうと働きかけてきます。

何年かぶりに千貫森山に登りました。
僕の育った飯野地区のランドマークは今も変わらずそこにどっかり座っていて、
小さな頃から何度も歩いた山頂へのトレイルを歩いてみると、
まるで目をつむってでも歩いていけそうな感覚で足が進んだことに驚きました。
こっちを曲がれば頂上への近道で、この先の小径は足場が悪いから要注意…
僕の歩幅は昔より随分大きくなっていたけれど、
ちゃんと僕の体の中にこの山のかたちが変わらず刻まれていたのでした。
展望台のある山頂から一望することが出来る吾妻小富士、
霊山や女神山などの県北の山々。
小さかったあの時と今で違うことと言えば、
今の僕はあの山の向こうに何があるかを知っているということです。

旅に出る前の自分は、世界はあくまで"世界"として完結していて
それ以上でもそれ以下でもない、そんな捉え方をしていたと思います。
例えばワールドトレードセンターに二機の飛行機が突っ込んだあの大事件でさえ、
僕にとっては"世界"で起きた事件のワンシーンでした。

ところが自転車で旅に出てみると、
世界にはアメリカがあってスペインがあり、中国などがあって
それらの集合体が世界なのだと身をもって実感しました。
それらはルート66であったり、巡礼の道、シルクロードというもので
有機的に繋がっていて、
道だけでなく、歴史や文化、思想など様々な軸で繋がっていることも知りました。
そしてその先に日本がありました。

だからあの時は漠然としかわからなかった世界との繋がりが
自転車で地球を走り回った今は、
手ごたえをもって感じることが出来るような気がしています。
一つの物事の向こう側に立体的で複雑に絡み合う世界を連想できる想像力。
これが僕の旅で得た財産だと思っています。

旅を終え、この先で難しいことは、
手に入れた想像力がぼやけてしまわないようにしていくことだと思っています。
日本は生まれ育った国で愛着もあります。
プサンから福岡に到着して福島まで一カ月間、日本を走ってみて
この国はすごい国だということも改めて思いました。

けれど、知っている世界に戻ってしまったからこそ、
急速に旅の感覚がスポイルされていくことも実感としてあって、
それを忘れないように踏ん張っていくことを、
意識していかなければならないと思ったのです。

そんな意味では旅の手段が自転車でよかったと思います。
ペダルを踏みしめた時の足裏の感覚や、重力に身を任せて下り坂を駆け降りる疾走感、
Tシャツに染みた汗が気化熱と一緒に体を冷やしていく心地よい涼感、
そういったもので世界に楔を打ってきたから、
もし行き詰まったときは自転車に跨れば
僕はいつでも世界との繋がりを取り戻すことが出来るはずです。
五感を研ぎ澄ませて、刻み込んだ記憶ほど
それは自分にとって本物の手応えなのだから。
久しぶりに登った千貫森山のかたちを一糸乱れず覚えていたことも、
そんな思いをより一層深いものとしたのでした。

山の頂上から見渡すことの出来る奥羽の山並み。
その向こう側にも僕の旅した世界が途切れることなく
遥かに続いていることを忘れずに、
一望千里の想像力を持ち続けて、
この先も生きていきたい、そんな風に思っています。

2015年12月31日。
71ヵ国75136kmを走り切り、最終目的地の福島県福島市に到着。
1654日の旅を終えました。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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