まり木綿
名古屋駅から電車で30分ほどの有松地区は、
かつて丘陵地帯で稲作に適する土地ではなかったため、
新たな産業として"絞り染め"を行うようになりました。
旧東海道沿いの地域だったので、街道を行き交う人々に、
三河木綿に絞り染めを施した手ぬぐいをお土産物として販売したのが始まり。
江戸時代以降は日本国内における絞り染め製品の大半を生産していたそうです。
そんな有松地区の有松駅から程近い場所に、
一軒の絞り染めのお店を見つけました。
店内を覗いてみると
「か、かわいい~♥」と思わず叫んでしまう世界がそこに!!!
以前、藍の葉の産地である徳島県で絞り染め体験をしましたが、
それまで持っていた絞り染めのイメージは、藍や柿渋などの単色に施したもの。
しかし、このお店に並ぶ絞り染めはどれもとってもカラフルなものばかり。
見ているだけで、なんだかわくわくしてきます♪
「これらは絞りの中でも、"板締め絞り"といって、
昔は赤ちゃんのおしめに染めていたそうなんです。
年配の方がお店に来られると、『これおしめだね』って言われます(笑)」
食い入るように商品を見ていると、一人の女性がそう声をかけてくれました。
彼女はこのお店「まり木綿」の店主、伊藤木綿(ゆう)さんです。
名古屋芸術大学在籍中に、授業で「有松鳴海絞り」と出会い、
大学卒業後に、クラスメイトの村口実梨(まり)さんと一緒に
自分たちのブランド「まり木綿」を立ち上げました。
「授業の課題で作った有松鳴海絞りの作品が、
講師である『SOU・SOU』の社長に気に入ってもらえて。
『若い子のテイストでやってみたら』っていわれて、
有松の老舗染め工場にもお世話になりながら、2011年の5月にオープンしました」
「SOU・SOU」は、日本の伝統の軸線上にあるモダンデザインをコンセプトに
オリジナルテキスタイルを作成し、地下足袋や和服等を製作・販売している京都のブランド。
私たちも京都滞在時にショップを訪れ、その斬新さに目を奪われました。
「伝統のものは得てして高価で手が届きにくいものが多い。
もっと気軽に手が届く、自分たちが買えるようなものを作りたい」
と、2人は手ぬぐい、地下足袋に加えて、小物や洋服も扱うように。
「同じ方法で染めても、一つひとつ柄が変わるんです。
全部均一である必要はないと思っています。
均一だったらプリントと同じだし、違うからこそ、選べる楽しみもある」
そういって、見せてくださったTシャツの柄は同じようで違うものでした。
伊藤さんいわく、伝統工芸士の絞りにおいては、
柄の大きさが均一ではないことは御法度なんだとか。
伊藤さんと村口さんは交代でお店に立ち、
お店にいない方が工場で染めるという体制を取っています。
お店が休みの日には2人で染めていると聞いて、後日工場にも訪れました。
この日は2人で地下足袋に筆で絵を描く作業中。
30分以内に仕上げる必要がある染料とあって、
2人とも黙々と染色に没頭されていました。
ちなみに、"板締め絞り"の場合は、三角形にたたんだ手ぬぐいを
三角形の板に挟んで留め、染めていくそうです。
「伝統工芸士でしかできない、ではなくて、誰でもできるようにしないといけない。
伝統工芸のどこに価値があるか、現在がゴールではなく
次のゴールがどこかを見極めていくことが必要だと思います」
そう話すのは、まり木綿の2人に工場の一角を提供し、
技術指導も行う、大正元年創業の久野染工場・4代目の久野剛資さんです。
久野さんは、
「有松鳴海絞りが次の時代をどう切り抜けていくかを考える際に、
自分たちの世代だけでは答えはみつからない」
と話します。
「本来必要なのは、『絞りの要素(挟む・縛る・縫う)を使いこなしながら、
いかにデザインに取り入れるか』なんです。
彼女たちと一緒にやっていて、私たちも勉強になっている。
2人にはここの産地におけるモデルケースになってもらって、
後輩たちに自分たちのストーリーを語っていってほしいですね」
色違いの長靴にキュートな作業着姿の、まりさんと木綿さんが
最後に今後に懸ける想いを語ってくれました。
「この地域に"なくてはならない存在"になりたいです。
ギフトに地元のものを贈りたいと思っても、みんな知らないことが多い。
絞りが高級なものとしてではなく、
身近な存在として根づいていければいいなと思います!」
伝統の技術を分解して、今の時代に合わせたものづくりが、
有松地区では始まっていました。
これも伝統産業そのものの底上げにつなげていくための、
ひとつの方法ではないでしょうか。