MUJIキャラバン

八丁味噌

2013年03月15日

木樽の上で芸術的に石を積み上げるこのシーン。
一体、何の作業中かわかりますか?

実はこれ、八丁味噌を熟成させるための準備段階。
発酵する味噌の振動にも耐えうるように、3トンもの石を積み上げる熟練の技です。
この状態で味噌を2年以上、熟成させます。

今回、このキャラバンでは初めての味噌蔵の取材でしたが、
味噌も地域によってその味が異なるもの。

全国的に広がる「米味噌」、九州を中心に食される「麦味噌」、
愛知を中心とした中京地域では「豆味噌」とありますが、八丁味噌は豆味噌の類い。

味噌はたんぱく質と塩分が多分に含まれているため、
戦国時代には兵糧(陣中食)として重宝され、
強い武将がいた地域では味噌造りが盛んだったそうです。

八丁味噌の名前は、徳川家康が生誕した岡崎城から
西へ八丁(約870m)の距離にある八丁村(現八帖町)で造られていたことに由来します。

この八丁村は、矢作川の舟運と旧東海道が交わる水陸交通の要所で、
原料の大豆や塩を調達しやすかったこと、良質な伏流水があったことなど、
好条件がそろっていたことが、味噌造りが盛んになった理由だそう。

八丁味噌は、味噌蔵としては最も古い歴史を持ち、
今も昔も変わらず2つの蔵が、昔ながらの製法で味噌を造っています。

全国的にもその名が知られている八丁味噌の製造元が、
昔から2社だけだったというのにまず驚きました。
大豆の収穫は秋なので、稲刈りが終わった後に
地域のみんなで味噌を仕込んでいたという歴史があり、
つまり、八丁味噌は八帖町の地域の人によって守られてきたものだったのです。

「この地域は夏場は高温多湿なため、米麹を使った米味噌だと熟成が進みすぎる。
大豆麹を使った場合はゆっくり熟成するので、
この辺りで豆味噌が造られるようになったと聞いています」

「まるや八丁味噌」の石原友保(ともやす)さんが説明してくださいました。

八丁味噌と一般的な豆味噌との違いは、その大豆麹の大きさだそう。
また、仕込みに使う水が少ないことも特徴で、
それは八丁味噌を長期間かけて、ゆっくりゆっくり熟成させるから。

現在でも杉樽を使い、樽の中で大豆麹と塩を混ぜ合わせ、
熟成期間の二夏二冬以上置くと、自然に発酵するんだとか。

その自然発酵を手伝うのが、石積み職人によって一つひとつ並べられた石です。

「石の重さで内部の水分の対流を促してあげるんです。
石には顔があって、表情を見ながら積んでいきます。
熟成の途中で石が動くことがありますが、丸い石だと互いにバランスを取ってくれる」

作業の途中で手を止めて、石積み職人の染次一郎さんが教えてくださいました。

石をうまく積めるようになるまでは7~8年かかり、
社内でも、この石積み職人さんたちだけを「味噌屋」と呼ぶといいます。

熱がゆっくり伝わるという木樽の中で、ゆっくり熟成した八丁味噌は、
大豆のたんぱく質がじっくりと旨味成分へと変化し、濃い赤茶色の味噌が完成します。
名古屋の味噌汁に「赤だし」が多い理由はこれでした。

また、八丁味噌は、熱を加えても風味が損なわれにくい特性があるそう。
「味噌煮込みうどん」や「味噌カツ」など
名古屋名物に味噌料理が多いのも、こうした背景からかもしれません。

「先人たちが作った哲学を商売のために変えてはならない。
欲を出さずにやってきたのが会社を670年以上続けてこられた理由かもしれません。
『極力変えないこと』を大事にしながら新しいことにもチャレンジしていきたい」

そう話してくれた社長の浅井信太郎さんは、
まだ有機という言葉が一般的に認知されていなかった30年ほど前から、
有機栽培の大豆を使った八丁味噌を造り、
当時国内ではなく、オーガニックへの関心が高まっていた海外へ輸出。

現在では海外20カ国へ味噌の魅力を発信し、
最近も自ら海外へ足を運んで、新たな市場を開拓しています。

「八丁味噌は、八帖町の財産。
地域のみんなにとって自慢に思ってもらえるような企業でありたいですね」

最後に見せていただいたのが、
毎日欠かさず付けているという"仕込み帳"の創業時のもの。

今も昔も変わらない味を守り続けられているのは、
先人たちから受け継ぐ作り方に従い、丁寧に歩み続けてきたから。
その証を"仕込み帳"とそこで働く人々に見ることができました。

  • プロフィール MUJIキャラバン隊
    長谷川浩史・梨紗
    世界一周の旅をした経験をもつ夫婦が、今度は日本一周の旅に出ました。
    www.cool-boom.jp
    kurashisa.co.jp

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