白い醤油
愛知県三河地区のうどん屋さんでは、
つゆを黒と白の2種類から選べるという話を耳にしました。
なんでも愛知県には、黒い醤油と白い醤油が存在するとか。
白い醤油とは、淡い琥珀色で、
ほんのりとした甘みと独特な香りが特長の醤油のこと。
通常、大豆と小麦を半々の割合で仕込む醤油に対して、
黒いたまり醤油は大豆の割合が多く、
白醤油は原料のほとんどが小麦という非常に珍しいものです。
醤油というと黒いイメージを持っていた私たちは、
1938年以来、白醤油を造り続けている、日東醸造株式会社を訪ねました。
「色みを気にする和食の調理において、
料理人が欲したことが白醤油の始まりではないかと考えられます。
真っ黒のたまり醤油文化だからこそ、真逆の白醤油が生まれたんだと思いますよ」
代表取締役社長の蜷川(にながわ)洋一さんに
白醤油の歴史について伺うと、そんな答えが返ってきました。
醤油を白く仕上げるためには、一般的な醤油の醸造過程で行う
「櫂入れ(かいいれ)」というかき混ぜる作業を行わず、
3~4ヵ月の間、静かに寝かせて置きます。
それは空気と触れて酸化することを防ぐためで、
琥珀色を保つ目的の一つだといいます。
加えて、仕込んでいる間に温度を上げないことと、
光に当たらないようにすることも、白醤油の醸造上のポイントだそう。
日東醸造では、「他にないオリジナルの白醤油を作ってみたい」という先代の思いから、
平成6年、国産小麦を通常の2倍量使用して、
大豆を使用せずに仕込む、白醤油を発売しました。
三河地方では、昔から醤油のことを"たまり"と呼んでいたそうで、
三河の白醤油という意味で「三河しろたまり」と命名。
「実は、うちの"しろたまり"は厳密にいうと、醤油ではないんです。
原料に大豆を全く使っていないので、農林水産省の規定で、
醤油と呼ぶことはできずに、"小麦醸造調味料"と表記しています」
農水省の指摘を受けて、蜷川さんは大豆を入れるか、
醤油表記をなくすかの2択を迫られました。
迷った蜷川さんは付き合いの長いお客様に手紙を出し、意見を仰いだそう。
「醤油屋が醤油ではないものを造るのに、少なからず抵抗があった。
それでも多くのお客様が、名称は変わっても中身を変えないでほしい
と望まれているのが分かりました」
最終的に決め手となったのが大豆アレルギーのお客様からの
「やっと見つけた大豆不使用の醤油をやめないで!」
というひと言だったといいます。
そんな「三河しろたまり」を醸造しているのが、
本社のある碧南市から車で1時間強の山間にある、旧足助町(あすけちょう)。
蜷川さんが醸造において重要な水を探し求めていたなかで巡り合った場所で、
標高720mという夏場でも冷涼な気候も、
白醤油をより淡く仕込むのに最適でした。
「最初は水だけ運び、碧南市の本社で仕込むつもりでした。
それが、峠から見た風景に惚れてしまって。
どうしてもここで仕込みたくなってしまいました」
ただ、この場所で実際に醸造をするには、越えなければならない壁がありました。
それは、旧足助町の住民たちの了承です。
「地域の自治会に出て説明して回りましたが、
どうにも怪しまれましてね。
どうして2時間近く離れた醤油屋が、わざわざここで仕込むのかって」
蜷川さんは1年の間に何度も足を運び、交渉を続けたそう。
そして、最後にはマイクロバスを出して、
住民たちに碧南本社の蔵の見学に来てもらったのです。
そこで、ようやく住民たちの理解を得ることができ、
16年前から、「足助仕込蔵」での醸造がスタートしたのでした。
実はこのピンク色の可愛らしい木造校舎が、醸造蔵。
昭和62年に廃校になった校舎を使わせてもらっています。
一見普通の校舎のようですが、中に入ると、
醸造用の杉樽がズラリと並んでいました。
今ではすっかり地元の人ともなじんだ蜷川さんたちは、
平成14年から、仕込み蔵周辺で畑を借り、小麦の栽培も始めました。
毎年、6月下旬には足助仕込蔵の校庭で、
地元の人や関係者、お客様を集めて、
「三河しろたまり」を使った料理を振る舞う収穫祭を実施。
20世帯・50人ほどの町に、今では400人が集うイベントになっているそうです。
「子どもたちが離れていってしまった町に、収穫祭をキッカケに人が戻ってくる。
地元のおじいちゃん・おばあちゃんが、子どもや孫たちに会える機会が増えたと言って、
喜んでくれることが何よりうれしいですね」
先代の想い、お客様の想い、旧足助村の住民たちの想いなど
たくさんの想いが詰まった、日東醸造の「三河しろたまり」。
煮炊き料理を中心に、卵料理との相性がとてもよく、
白身魚のお刺身やカニ酢ともよく合うそうです。
素材の色を消さずに風味をもたらしてくれる万能調味料は、
目でも味わう日本料理に欠かせないものかもしれません。