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寒麹と甘酒
私たち日本人が主食のごはん(お米)のお供として、
古くから親しんできているお漬け物。
ひと口にお漬け物といっても、各家庭や地域によって
それが指すものは違っています。
きゅうりや大根、白菜といったお漬け物の原料も違えば、
塩漬け、醤油漬け、糠漬け、浅漬け
といった漬け方も様々。
もともとお漬け物は、野菜をはじめとする食品保存が目的で作られました。
秋田を含む東北地方では、冬の間雪で作物が採れないため塩漬けに、
逆に九州地方では、暑さからの腐敗を防ぐために
醤油漬けや味噌漬けにすることから始まったそうです。
その後、同じ保存食として作るならできるだけおいしく食べたい
という気持ちがお漬け物文化を発展させていったよう。
秋田弁ではお漬け物のことを"がっこ"と呼び、
大根などを囲炉裏の上につるして燻製にしてから
主に米糠と塩で漬けこんだ「いぶりがっこ」が有名ですね。
降雪の時期が早い山間地で、
秋に採れた大根などの野菜を天日で干すことができなかったため、
室内につるして囲炉裏火の熱と煙で干したのが始まり。
噛むと燻した香りがじわりと鼻に広がります。
これは、ごはんのお供よりもお酒のつまみに合うおいしさ!
歯ごたえも普通のたくあんよりコリコリしています。
また、米どころの県南を中心に、
"米麹"を使った「麹漬け」が昔から盛んです。
横手市では、今でも町に麹屋さんが20軒ほどあるそうです。
仙北市の角館で160年の歴史を持つ、安藤醸造さんでも
"寒麹(かんこうじ)"が人気。
最近でこそ、TVや雑誌などで"塩麹"のワードをよく目にしますが、
安藤醸造さんでは20年以上も前から、"寒麹"を販売していました。
米麹と塩、水を混ぜて発酵させた"塩麹"に対し、
"寒麹"は米麹と塩、砂糖、お米(もち米)を原料に
寒い時期に作ってゆっくり発酵させたもの。
お米をお漬け物の素に使うなんて、なんと贅沢なことでしょうか!
"塩麹"も"寒麹"も米麹に含まれている酵素の働きで
食材に甘みや旨みをもたらしてくれます。
特に"寒麹"は、麹が砂糖を分解した時にできる甘みが特徴で、
口に含んだ時、確かにしょっぱさよりも、まろやかな甘さを感じました。
ところ変わって、県北の大館市。
1軒の麹屋さんを見かけて中に入ってみました。
こちらが米麹。
見た目はおこしのようです。
この米麹をそのまま買うこともできますし、
自分でお米を持ち込んで、米麹を作ってもらったり、
大豆を持ち込んで、味噌を造ってもらったりできるそう。
私たちが滞在した10分余りのうちにも
次から次へとお客さんがやってきました。
塩麹を買いに来たおじいさん、
出来上がった味噌を取りに来たおばあさん、
お味噌を購入していったおばさん、
そしてお米を持ち込み、米麹を取りに来たおじさん。
「あら~○○さん、いつもありがとう」
「おじいちゃん、何漬けるの? きゅうりの漬け物ならこの量あれば十分よ」
お母さんの笑顔と、お客さんとの会話から
この麹屋さんが地域のみんなから愛されていることが、一目瞭然でした。
私たちが麹について調べていることを話すと、
「今がらこの麹で甘酒つぐるけど、見にぐっが?」
とお客のおじさん。
ということで、今度はおじさんについて行くことに。
居酒屋を営む杉山さんは2年前に体調を崩して病院に行ったものの、
合う薬が見つからなかったといいます。
そんな時に知人に勧められ、甘酒を飲むようになり
体調が回復したんだそうです。
さらに甘酒を飲み続けると、長年の仕事でできた腕のシミが
いつの間にか薄くなり、肌艶がよくなっていました。
これを自分だけにとどめておくのはもったいないと、
周りに作り方を教えたり、
作った甘酒を販売するようになったのだそう。
よく冷えた甘酒は、フルーティーな香りがして飲みやすい!
これまで甘酒はお正月の屋台などで見かけるくらいで
冬の温かい飲み物かと思っていましたが、
江戸時代には、暑気払いに飲む習慣があり
今でも甘酒は、俳句の季語で「夏」のものなのです。
これからの季節、夏バテ対策に甘酒はいいかもしれませんね!
しかもその作り方は米麹さえあればすぐにできてしまいます。
炊いたお米にお湯を足してミキサーにかけ、
約60℃に冷ましてから、米麹を加えて発酵させたら出来上がり。
「甘酒には人間が生ぎでいぐだめに不可欠なビタミン類が
豊富に含まれていで、"飲む点滴"だぁ」
これまでも、お醤油や日本酒、納豆を作る過程で
"麹"の存在に出会ってきましたが、
改めて"麹"のスゴさを実感すると同時に、
"麹"がこれまでよりも少し身近なものになりました。
秋田県民は食通!?
秋田市の無印良品イオンモール秋田店へ。
いつものように人気商品を伺うと、
「やっぱり秋田の人は食への興味が高いようでして
」
とご紹介いただいたのがこちら。
無印良品のナッツは、油や塩を使わずに
その名の通り、素のまま香ばしくローストしたもの。
一度食べだすとついつい食べ過ぎてしまうナッツ類ですが、
塩がついていないと、ナッツ本来の味が楽しめます。
また、ナッツ類には若返りのビタミンといわれる
「ビタミンE」がとても多く含まれていて、
なかでもアーモンドの含有量が一番多いんだそう。
もともと好きだったアーモンド、
ますますファンになってしまいました!
それから、この季節に人気なのが
「果汁100%のひとくちゼリー」
果汁100%のゼリーってあんまり見たことがないかもしれません。
冷やして食べるとさらにおいしい♪
いよいよ夏本番へ。
食べて元気に、また涼しくなるお気に入りの一品を
ぜひ探してみてください!
そこにしかない魅力
なまはげ文化の残る男鹿半島の先端、入道崎。
北緯40度線に位置するこの岬の先には、
ニューヨーク、マドリード、北京などがあるそうです。
この地で、この先の秋田での旅路を左右する、
偶然の出会いが待ち受けていました。
「MUJIキャラバン隊の方ですか?」
ソフトクリームを食べる男性に、ふと声を掛けられます。
「そうです! どうして、分かったんですか?」
「車のロゴを見まして。スゴい、まさか男鹿でお会いできるなんて 」
男鹿半島でカフェを営んでいるという猿田さん。
その日は定休日で、男鹿に来ていた友人を案内してきたところだったそうです。
「せっかくなんで、うちのカフェに寄っていきませんか?」
お言葉に甘えて、お邪魔したのは
田んぼに囲まれた里山のカフェ『ににぎ』。
古い実家を活かした空間には、
とてもゆったりとした時間が流れていました。
中には、無印良品の家具も!
4月にオープンしたばかりで、まだ試行錯誤中ということでしたが、
そのしつらえはどこか落ち着きます。
一人暮らしの母親を想い、東京から男鹿に帰郷したのが約5年前。
「もともと、カフェなんて少ない男鹿半島。
こうした古い建屋を活かせば、懐かしいと感じてくれる
お客さんもいるのではないかと思いまして」
その狙い通り、今となっては老若男女問わず、
足を運んでくれているようです。
今年からは、年末の恒例の民族行事でなまはげ役にも抜擢され、
猿田さんは男鹿のための活動の一歩を踏み始めています。
「伝統を新しい形で表現しているといえば、
秋田市に良い方がいらっしゃいますよ」
そうご紹介いただいたのは、
秋田の『casane tsumugu』の田宮さん。
秋田を起点に、この地域に既にあるモノ・ヒト・コトの普遍的な魅力を見つめ直し、
角度や形を変えながら、内外に発信する事業を進めていらっしゃる方です。
現在、進めているのが『WAPPA Project』。
わっぱとは、秋田県が誇る伝統工芸品『大館曲げわっぱ』の略称で、
樹齢200年以上の天然秋田杉を使った曲げ細工です。
数ある曲げ細工の中でも、唯一、
国の伝統工芸品の指定を受けています。
この素晴らしい伝統工芸の技術を活かしながら、
今の生活に寄りそう暮らしの道具が作れないかと考えられたのが、
「ピンバッジ」、「壁掛け時計」、「ルームミラー」。
どれも、もっと身近なところに秋田杉を感じられるようにと、
現代の生活スタイル向けにアレンジされた商品です。
(※現在、商品化されているのはピンバッジのみ)
大学進学を機に上京し、駅ビル開発の仕事を手掛けながら、
「なぜどこにでも同じようなモノを作るのか?
もっと、そこにしかない魅力を出していくべき」
と考えるようになっていった田宮さん。
いつかは故郷、秋田のために地域振興の活動をすることを決めていたそうです。
2009年末に帰郷を果たした田宮さんは、
大館を中心に活動している「ゼロダテ(0/DATE)」と出逢います。
「ゼロダテ(0/DATE」とは、
大館出身のアーティストやクリエイターが中心となり、
街づくりをゼロリセットして考えることを目的に、
2007年から活動を開始したアートプロジェクト。
今や県の緊急雇用事業としても認定を受け、
県内外から若手を中心に人が集まり、
北秋田の魅力を再確認、発信する活動に取り組んでいます。
その「ゼロダテ(0/DATE」とデザイン・製作会社も加わり、
曲げわっぱを活用した新たな商品開発に取り組んでいるわけです。
「それぞれの地で、長い年月をかけて、自然や人によって築き上げられた
地域や場所、人に宿る、有形無形の固有の資産。
それらを次の時代へと循環させていく、
メビウスの輪のようにつなげる仕掛けを講じたい」
そう話す田宮さんは今年36歳。
この中間世代の果たしうる役割というのは、
とても大きいのではと感じさせる言葉でした。
人にも個性があるように、地域にも個性があるもの。
そこにある魅力が、これからも残っていきますように
。
桜からの贈り物
秋田県仙北市にある角館(かくのだて)は
春になると毎年100万人を超える観光客が訪れるという桜の名所。
かつての侍屋敷が現存している武家屋敷通りの両脇には
見事なシダレザクラの木が立ち並んでいます。
桜の花の季節は既に過ぎてしまいましたが、
今は新緑のまぶしい季節で、それもまた趣がありました。
そんな角館では古くから山桜の樹皮を利用した工芸品、
「樺細工(かばざいく)」が盛んです。
18世紀末から始まり、
藩政時代は下級武士の副収入源となっていたようですが、
廃藩置県後はそのまま角館の代表的産業のひとつとして
発達してきました。
木目を活かしたデザインは海外でもありますが、
樹皮そのものを使ったものは日本ならでは。
樺細工の製品は時代によって変遷があり、
初期には印籠や葉タバコを入れる胴乱が多く作られ、
その後、茶筒や小箱などが作られてきました。
茶筒は、木型に合わせて経木(木を薄く削ったもの)を巻いて芯を作り、
その上に樹皮を貼り付けていくのですが、
経木は通気性・吸水性・耐水性・殺菌性に優れた性質を持つので
茶筒にはうってつけだったようです。
また、桜の樹皮は一度採取しても再生が可能なんです。
伝統工芸品について取材していると、
これらの利点を経験の中から知り、活用していった古人は本当にスゴイ!
といつも感心させられます。
それから、桜の樹皮を磨くことで艶のある深い赤色が出るというのは
偶然の発見だったのでしょうか。
しかし、私たちの生活スタイルは変化し続け、
最近お茶は入れることよりも、買うことが増えてきているのが現状。
そこで、角館では茶筒に加え、今の時代に合わせた
新たな製品群の開発にも着手しています。
例えば、茶筒同様、性質を活かして使える
「パスタ入れ」や「調味料入れ」、
木の肌触りを日常的に楽しめる「iPhoneケース」、
そして、桜の樹皮の色が生きてくるランプなど。
「2つとして同じものがないのが樺細工なんですよ」
そう語るのは、伝統工芸士の鈴木さん。
確かに、樹皮の新しさや遣う場所、磨き方によって
全く違う表情を見せてくれるんです。
使い続けていくうちに、艶が増したり
"味"が出てくるのもステキなところですね。
伝統工芸品はそのモノ自体が魅力的ですが、
そのものづくりの工程や特質を知ることで興味が増します。
樺細工は既にご存じの方も多いと思いますが、
さらに多くの人に知ってもらいたいなと思いました。
海外でも注目され始めているという樺細工、
日本人である私たちが先にそのもののよさに気づきたいものですね。
青いうつわ
秋田は角館で、とても美しい焼物に出逢いました。
赤茶色の土に、ぜいたくに塗られた釉薬が、
青く深い輝きを放っています。
一目惚れとはまさにこのこと。
近くに窯元があるというので、早速お邪魔してみました。
その焼物は「白岩焼」と呼ばれ、
窯は現在ではこの「和兵衛窯」一つのみ。
それも、今から約40年前に、
70年余りの歳月を経て復活を遂げた窯元なのです。
最盛期には6つの窯元が存在し、5000人以上の従事者がいた白岩焼でしたが、
明治維新後、他県の焼物の流入で厳しい競争にさらされ、
追い打ちをかけるように震災が起こり、全ての窯は壊滅状態に陥りました。
そんな折、民藝運動の活動家、浜田庄司氏が
秋田県知事に白岩の土の陶土適性に関する検査依頼を受けます。
結果、良土と判明し、その際、浜田氏に、
「白岩焼の特徴であるナマコの釉薬は、現在各地で似たものが使われているが、
白岩焼がいちばん良い」(昭和49年7月6日付『秋田魁新聞』)
と言わしめたことが、窯元の復活の大きな推進力となったようです。
この海鼠釉(なまこゆう)と呼ばれる青白い釉薬の色は、
土の鉄分と窯の中で化学反応することにより現れるそうで、
顔料の色ではありません。
ゆえに、焼きの温度が少しでも狂うと発色が異なる気難しい存在のようで、
この美しい色みを醸し出すのは、とても手間のかかることなんだそう。
復活を遂げた白岩焼「和兵衛窯」は、
かつて庶民の生活日用品として使われていた時と同じように、
現代の生活スタイルに合わせた様々な焼物を生み出していっています。
一方、秋田県大仙市に「楢岡焼」と呼ばれる
同じくとても美しい焼物がありました。
同じく「海鼠釉(なまこゆう)」の釉薬を使った青い輝きが特徴ですが、
白岩焼とはルーツも異なり、約140年以上の歴史を守る唯一の窯元です。
今や多くの窯元が、原料である土を注文して調達している昨今、
楢岡焼では、地元の土を自らシャベルカーで採取していました。
「決して使いやすい土ではないんですよ。
使いやすくするためには、大きな労力を要します。
ただ、それの方が"楢岡焼らしさ"が出ると思うんです」
そう語るのは、就任すれば6代目となる陶工、小松潮さん。
原料の土の採取から、釉薬の配合はもちろんのこと、
窯には自前の登り窯も構えていらっしゃいました。
「薪を使って焚く登り窯は、多大な労力がかかるうえ、焼成結果が安定しません。
だからこそ、ガス窯では得られない味のある作品を生み出すこともできるんです。
私たちが登り窯を焚き続ける理由はそこにあります」
小松さんがそうおっしゃる通り、
一つひとつの作品が違った輝きを放っていました。
薪の炭がつくとより風合いが増すようです。
最近では、小松さんの感性を生かした、
こんな素敵な作品も。
「こんな時代だからこそ、一つひとつ手間ひまかけた、
違う個性を放つモノがあっていいと思うんです。
ただ、今は注文をさばくので手いっぱいですが
(笑)」
おっしゃる通り、小松さんの作品は他に一つとないものゆえに、
気に入ったモノは、どうしても手に入れたい衝動に駆られます。
昼下がりのブレイクタイムの想像を掻き立てられながら、
コーヒーカップを一客、購入させてもらいました。
その色みと厚さからか、落ち着いた風合いを感じます。
それも、たっぷりと付けられた釉薬に耐えられるように、
素地の土に厚みを持たせるためであって、
ある意味、とてもぜいたくな焼物と言えるかもしれません。
白岩焼に楢岡焼。
どちらも秋田で昔から日用品として使われてきた食器は、
今、時空を超えて、現代の日用品として生み出されています。
仕事は創りだすもの
秋田県南部に、「日本一美しい星空」の村があると聞いて、訪れました。
栗駒山系の山々に抱かれた東成瀬村には、
豊かな森林と水環境に恵まれた生活空間が残っています。
あてもなく、たまたま見付けた宿へ入ると、
陽気なお母さんと、優しいお父さんが迎えてくれました。
残念ながら、夜空は雲に覆われてしまい、
星空を拝むことはできませんでしたが、
代わりにご夫婦に様々なことを教えていただけることに。
実はこの宿、「わらび園」も営んでおり、
家の裏には、広大なわらび畑が広がっていました。
山菜前線を追いかけるように北上している私たち。
もちろん、わらびも一緒に収穫させていただきました。
手で簡単に折れるため、素人の私たちも簡単に収穫でき、
この時期でも、この通り豊作です。
その食感は本当に柔らかく、絶妙の粘り気がありました。
今ではその噂が広まり、観光バスも停まるほどの
有名わらび園となっているようです。
さらに、このわらび園では、雪解けからお盆の時期までのあいだ、
同じ畑から4~5回は収穫できるんだそう。
その美味しさと、発育の良さの秘訣は一体?
お父さんに伺うと、
「この木酢液がええんと思うんじゃ」
と教えてくれました。
木酢液とは、
木炭を生産する際に生じる煙を空冷し、その水滴を採取したもの。
赤褐色の液体で、独特の燻臭があります。
植物の生長促進をはじめ、土壌の消毒・殺菌、防虫、防腐、除草、脱臭など、
様々な効果を持つ木の恵みです。
しかし、現在は限られた炭窯でしか生産されておらず、
大変、貴重なものになっています。
その流通量の少なさから、
一般に農業用に利用するには、費用が高すぎるようです。
ただ、このわらび園で、その心配は無用でした。
冬場に炭づくりを仕事にされており、
自前の木酢液を持ち合わせているため、
それをわらび園にも利用しているというわけです。
裏庭には、炭を焼く窯小屋がありました。
こちらの炭小屋では、白炭を作っており、
その炭は、競馬場の蹄鉄づくりのために納めています。
冬の炭づくりでできた「木酢液」を、春~夏のわらび園で活かし、
収穫したわらびは、一年通じて運営する民宿で提供する。
全てが理に適っており、充実した生活を送っているように見えるご夫妻ですが、
これらは全て、自分たちの代で始められた事業のようです。
元々は農業をされていたようですが、
人と違うことをやらなくては未来は拓けない、と、
与えられた環境を活かし、これらの事業を始められました。
何を始めるにも、初めは周囲から笑われたそうですが、
今では、周りから羨まれるほどだそう。
「仕事は創りだすもの。黙ってても何も始まらんよ。
今の若者にもそう訴えたい」
額に深く刻まれた皺をくしゃくしゃにしながら語るお父さんの言葉には、
とても説得力がありました。
今ある環境を活かしながらも、それに甘んじることなく、
自分の信じた道を貫き、実践する。
ここにも一つ、これからの時代へのヒントが眠っていました。