MUJIキャラバン

青いうつわ

2012年07月10日

秋田は角館で、とても美しい焼物に出逢いました。

赤茶色の土に、ぜいたくに塗られた釉薬が、
青く深い輝きを放っています。

一目惚れとはまさにこのこと。
近くに窯元があるというので、早速お邪魔してみました。

その焼物は「白岩焼」と呼ばれ、
窯は現在ではこの「和兵衛窯」一つのみ。

それも、今から約40年前に、
70年余りの歳月を経て復活を遂げた窯元なのです。

最盛期には6つの窯元が存在し、5000人以上の従事者がいた白岩焼でしたが、
明治維新後、他県の焼物の流入で厳しい競争にさらされ、
追い打ちをかけるように震災が起こり、全ての窯は壊滅状態に陥りました。

そんな折、民藝運動の活動家、浜田庄司氏が
秋田県知事に白岩の土の陶土適性に関する検査依頼を受けます。

結果、良土と判明し、その際、浜田氏に、

「白岩焼の特徴であるナマコの釉薬は、現在各地で似たものが使われているが、
白岩焼がいちばん良い」(昭和49年7月6日付『秋田魁新聞』)

と言わしめたことが、窯元の復活の大きな推進力となったようです。

この海鼠釉(なまこゆう)と呼ばれる青白い釉薬の色は、
土の鉄分と窯の中で化学反応することにより現れるそうで、
顔料の色ではありません。

ゆえに、焼きの温度が少しでも狂うと発色が異なる気難しい存在のようで、
この美しい色みを醸し出すのは、とても手間のかかることなんだそう。

復活を遂げた白岩焼「和兵衛窯」は、
かつて庶民の生活日用品として使われていた時と同じように、
現代の生活スタイルに合わせた様々な焼物を生み出していっています。

一方、秋田県大仙市に「楢岡焼」と呼ばれる
同じくとても美しい焼物がありました。

同じく「海鼠釉(なまこゆう)」の釉薬を使った青い輝きが特徴ですが、
白岩焼とはルーツも異なり、約140年以上の歴史を守る唯一の窯元です。

今や多くの窯元が、原料である土を注文して調達している昨今、
楢岡焼では、地元の土を自らシャベルカーで採取していました。

「決して使いやすい土ではないんですよ。
使いやすくするためには、大きな労力を要します。
ただ、それの方が"楢岡焼らしさ"が出ると思うんです」

そう語るのは、就任すれば6代目となる陶工、小松潮さん。

原料の土の採取から、釉薬の配合はもちろんのこと、
窯には自前の登り窯も構えていらっしゃいました。

「薪を使って焚く登り窯は、多大な労力がかかるうえ、焼成結果が安定しません。
だからこそ、ガス窯では得られない味のある作品を生み出すこともできるんです。
私たちが登り窯を焚き続ける理由はそこにあります」

小松さんがそうおっしゃる通り、
一つひとつの作品が違った輝きを放っていました。

薪の炭がつくとより風合いが増すようです。

最近では、小松さんの感性を生かした、
こんな素敵な作品も。

「こんな時代だからこそ、一つひとつ手間ひまかけた、
違う個性を放つモノがあっていいと思うんです。
ただ、今は注文をさばくので手いっぱいですが…(笑)」

おっしゃる通り、小松さんの作品は他に一つとないものゆえに、
気に入ったモノは、どうしても手に入れたい衝動に駆られます。

昼下がりのブレイクタイムの想像を掻き立てられながら、
コーヒーカップを一客、購入させてもらいました。

その色みと厚さからか、落ち着いた風合いを感じます。

それも、たっぷりと付けられた釉薬に耐えられるように、
素地の土に厚みを持たせるためであって、
ある意味、とてもぜいたくな焼物と言えるかもしれません。

白岩焼に楢岡焼。

どちらも秋田で昔から日用品として使われてきた食器は、
今、時空を超えて、現代の日用品として生み出されています。

  • プロフィール MUJIキャラバン隊
    長谷川浩史・梨紗
    世界一周の旅をした経験をもつ夫婦が、今度は日本一周の旅に出ました。
    www.cool-boom.jp
    kurashisa.co.jp

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