もうすぐクリスマス★
12月初旬にお邪魔した、松山市近くの無印良品 エミフルMASAKI、
その店内はすっかりクリスマスモードでした☆
スタッフさんいわく、無印良品が年で一番カラフルになる時期なんだそう♪
店内を見ていると、"あの人にはこれあげたいな
"
"あの子にはこれかな
"と次々に贈り物をしたい相手の顔が浮かんできます。
そんなこの時期に選びたいクリスマスギフトの中から
このお店の人気商品をうかがうと
ご紹介いただいたのが
「自分でつくる お菓子づくりを楽しむヘクセンハウス」
楽しみながら"お菓子の家"を作れてしまう手づくりキットで、
完成した食べられるお家には、作り手の個性が表れますね。
こちらは無印良品の店舗スタッフが作ったヘクセンハウスです。
また、こちらの手づくりキットもお薦めだそう!
「モカシンルームシューズ手作りキット」
自分で作ったモノって、より愛着が湧きますよね。
大切な人へのギフト、頑張った自分へのギフト、
みなさんはこのクリスマスに何を選びますか?
受け継がれる灯
店舗スタッフの紹介で、内子町(うちこちょう)を訪れました。
今でも白壁の町並みが残っている、趣のあるこの地区は、
かつてハゼの木の流通で財をなした商人の町でした。
住宅街に突如として現れるこの建物は、
大正天皇の即位を祝して、地元有志の出資により創建された「内子座」。
地元の人々の娯楽の場として発案されたそうですが、
当時の彼らの裕福さを物語っています。
ハゼの果実から採れる木蝋(もくろう)は、
和ろうそくをはじめ、お相撲さんの髪につけるびんつけや、
木工品の艶出し剤、医薬品や化粧品の原料として幅広く使われてきました。
当時、内子町には、約20軒の和ろうそく屋があったそうですが、
大正時代に入ると、石油系のパラフィン蝋が流通し、
現在も木蝋を使った和ろうそくの生産を続けるのは
「大森和蝋燭屋」1軒のみとなりました。
中をのぞくと、奥の作業場で男性が2人、作業をしています。
6代目の大森太郎さんと、7代目の亮太郎さん親子です。
亮太郎さんはアパレル関係の仕事を4年ほどした後、
家業を継ぐために実家に戻りました。
もともと和ろうそくに興味を持っていなかった亮太郎さんですが、
前職場の上司やお客様に家業の話をすると
「それは素晴らしい仕事」とたびたびいわれ、
いつしか自然と継ぐことを考えるようになったといいます。
和ろうそくづくりの工程は、
竹串に和紙と灯芯草(とうしんそう)と呼ばれるい草の茎の皮を剥いだ髄を巻きつけて、
真綿で留めて芯を作り、
その上から溶かした蝋を何度も、何度もかけていくのですが、
なんとその作業は素手で行われていました!
右手で竹串を転がし、左手で40~45℃ぐらいの蝋をすりつけては乾かし、
この作業を何回も繰り返しながら、少しずつ大きくしていくのです。
最後に50℃ぐらいの温度に溶かした蝋をすりつけてツヤ出しし、
先端部分を削って芯を出して、最後に竹串を抜いたら出来上がり。
一連の作業は、途中で置いてしまうと蝋が乾燥してしまうため、
1日で完結させてしまわないといけないんだそう。
1本1本に魂を込めて作られた和ろうそくの断面は、
まるで長年の歳月を経て生み出される年輪のようです!
「これからもこの和ろうそくを作り続けていきたい」
そう話す亮太郎さんの前には、父の背中がありました。
ふと、店内を見回すと、
5代目の弥太郎さんと6代目の太郎さんの仕事風景の写真が。
時を経て、今は手前に6代目の太郎さんがいて、
奥に7代目の亮太郎さんが座っています。
200年余の歴史の中で、代々、父から子へと継承されてきた
内子の和ろうそく。
すべて自然素材で作られ、着色や絵付けも一切されていない
とてもシンプルなものですが、
その蝋の年輪が生み出す炎はとても大きく、
ゆらゆらとゆっくり揺れる灯が、不思議と見る者の心を癒やしてくれました。