MUJIキャラバン

日用使いの磁器「砥部焼」

2012年12月18日

これまでの旅路を振り返ると、
随所に"白"という色への人間の追求がうかがえます。

かつて貴重な調味料とされた砂糖も、
サトウキビから抽出される黒糖を、苦労して黒蜜を抜いて白糖とされ、
お隣香川県では「和三盆」と呼ばれる高級砂糖として重宝されてきました。

土を原料とした陶器が一般的だった焼物においても、
有田で磁器の生産が始まって以来、陶石の産地では磁器づくりが盛んに。

※写真は無印良品「白磁めし茶碗・大

その後、磁器が伝わったヨーロッパでは、より白い食器を目指し、
ボーンアッシュ(牛の骨の灰)を混ぜた「ボーンチャイナ」が生まれ、
今でも高級食器として扱われています。

※写真は無印良品「ボーンチャイナ カフェオレカップ

皇室の御用馬に白馬が多いことも、
人々の"白"に対する憧れを象徴しているように思います。

日本でも白い食器として重宝されてきた磁器は、
生産が始まった有田、伊万里をはじめ、九谷、瀬戸など有数の磁器の産地がありますが、
愛媛県の砥部(とべ)もその一つ。

ただ、高級品としてではなく日用雑器を目指してきた点が
砥部焼の一つの特徴といえます。

砥部町では、その地名が示す通り、砥石(といし)の産地として知られ、
江戸時代、「伊予砥(いよど)」の生産が盛んに行われていましたが、
それを切り出す際に出る砥石くずの処理に頭を悩ませていました。

そんな折、天草で採れる砥石が磁器の原料になることを知り、
大洲藩主の命により、砥石くずを使った磁器の生産を始めたことが、砥部焼の由来です。

その後、川登陶石の発見や磁土の改良を重ね、
白い磁器が作られるようになっていきましたが、
それでも他の産地のような白さは実現しなかったようです。

ただ、それこそが砥部焼の特徴につながっていきます。
九谷焼も同様ですが、白さが叶わないと絵付けが生まれます。

あくまでも日用雑器としての焼物を目指した砥部では、
量産のために、複雑な絵付けにも型紙が使用され、
現代の絵付けの多くも、「つけたて描き」と呼ばれる一筆描きのものが多い様子。

また、原料の性質上、ぶ厚く引かないといけなかったため、
ぽってりとした形の、少し重みのある丈夫な器になりました。

この「くらわんか茶碗」は、高台が高く堅牢であると、
揺れる船上でも使われ、評判となったそうです。

「プロが作る料理は、白いキャンバス(お皿)に盛っても美しいですけどね。
砥部焼は、どんな料理も引きたてると評判ですよ」

砥部で最も古い歴史を持つ窯元、梅山窯の岩橋さんはそう話します。

確かに、呉須を基調にサラリと絵付けされた食器は、
和食にも洋食にもマッチするから不思議です。

岩橋さんによると、今の砥部焼のデザインは、
陶工たちが駆り出され廃れそうになっていた戦後、
梅山窯を支えた陶工たちによって、懸命に生み出されたものだったそうです。

その頃に考案されたものが眠る部屋に、特別にご案内いただくと、
そこには何千にも及ぶ、先人たちの努力の結晶がありました。

現代においても、この時デザインされたものが作られているというから、
当時のデザインとしては相当、斬新だったのではないでしょうか。

砥部焼の代表柄の唐草模様は、さりげなく華やかさを演出しています。
(写真右上手前と左下)

そして、その技術は現代の陶工たちに継承され、
今でも手作りで生み出されていました。

最後に岩橋さんは、こうもらしました。

「知ってもらえると、その良さを分かってもらえるんですけどね。
もっと多くの人に知ってもらえたらうれしいです」

梅山窯には資料館があり、砥部焼の変遷や
柳宗悦をはじめとした民藝運動家たちの軌跡を見ることができました。

また、かつて使われてきた大きな登り窯へは、内部に入ることも可能。
内部には人が立っても十分なほど大きな空間がありました。

砥部焼には、
食卓を彩る庶民のための磁器として追求されてきた歴史を
垣間見ることができました。

  • プロフィール MUJIキャラバン隊
    長谷川浩史・梨紗
    世界一周の旅をした経験をもつ夫婦が、今度は日本一周の旅に出ました。
    www.cool-boom.jp
    kurashisa.co.jp

最新の記事一覧

カテゴリー