MUJIキャラバン

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日本の縁起物「キナキナ」と「うるしダルマ」

2013年12月25日

よいことがあるようにと祝い祈るための品物、「縁起物」。
それらの対象は五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、無病息災、子孫繁栄…
などで、多岐にわたります。

私たちの身近なところでいうと、
"年越し蕎麦"やお食い初めの"鯛"なども縁起物ですし、
居酒屋やお店の軒先でよく見かける
"たぬきの置物"や"招き猫"などが代表的です。

また、各土地によって異なる縁起物が存在するのも
面白いところかもしれません。

例えば、東北地方のこけし。

もともとこけしは、江戸時代後期、木地師が東北の温泉地で、
湯治客や子供相手に作ったのが起源とされます。

ある記録によると、こけしのことが「こふけし(こうけし)」と記されており、
「子授けし」、つまり子供を授かるというお祝いの意味で、
こけしは子供の健康な成長を願うお祝い人形とされている説もあるとか。

こけしの顔や形、模様は産地ごとに様々で、
青森の津軽系、宮城の鳴子系、山形の蔵王系など11系統に分けられていますが、
今回は、岩手県花巻市に、南部こけしの職人を訪ねました。

新花巻駅から車ですぐ、宮沢賢治記念館の隣にある工房へ一歩入ると、
なんだかそこはおとぎ話の世界のようです!

「"こけし"という呼び名は昭和15年に鳴子で行われた会議で決まったんですよ。
この辺りでは首が動く様子から"キックラボッコ"や"キナキナ"と呼ばれています」

作業の手を止めて、南部こけしについて教えてくださったのは、
工房木偶乃坊(でくのぼう)の煤孫盛造(すすまごもりぞう)さんです。

煤孫さんは3代目で、おじいさんが大工さんに依頼された木地仕事の空き時間に、
"キナキナ"づくりをしていたといいますが、この趣がまた珍しい。

こけしというと、細い目におちょぼ口の愛くるしい少女の表情が浮かびますが、
"キナキナ"は、顔や胴の華やかな模様が一切描かれていない
とてもシンプルなものなのです。

また、頭が小さく胴の下部がくびれた形も特徴的。

というのも、"キナキナ"は赤ん坊のための木のおしゃぶりだったそうで、
口に含むことから、絵付けをしなかったのだといいます。

今では、顔を描く南部こけしも出てきていますが、
煤孫さんは、絵付けをする代わりに、木目をそのまま楽しめるようにと、
30種類以上の木を使って、多彩な"キナキナ"を生み出しています。

製作の様子を見せていただくと、その作業の素早いこと!

円柱の木材が煤孫さんの手業によって、みるみるうちに形を変えていきます。
1本の材から先に切り出した頭の部分を、
胴体部分に開けた穴に差し込んだら出来上がり!

「親父の手伝いから始まったこの仕事も、もう40年以上になりましたが、
マイペースに楽しくやってきました」

そう話す煤孫さんは、地元の文豪である宮沢賢治をモチーフとした
「デクノボーこけし」(写真左下)や、「ピエロこけし」(写真右下)などの
創作こけしも作っています。

首が左右にゆっくりと揺れる南部こけし"キナキナ"は、
赤ん坊のみならず、私たち大人にも癒やしを与えてくれます。

もう一つ、このキャラバンで、各地で見て来た縁起物といえば、ダルマ。

そのルーツは南インドの国王の第三王子であり、
仏教の禅宗の開祖の"達磨大師"であると知ったのは群馬県でのことでした。

達磨大使は洞窟で9年間も座禅を組み続けたといわれる人物。

何があっても必ず起き上がるところから、
宗教・宗派を超えた縁起物として、日本全土で広く親しまれており、
その姿形は各地の文化・風習によって少しずつ異なり、
地域の人々の願いが託されています。

そんななか、絶対に転ばないダルマが福井県小浜市にあると聞いて伺いました。

これがそのダルマ「うるしダルマ」

県指定の郷土工芸品であり、
小浜市からアメリカのオバマ大統領に贈られたこともあるそう。

「私の家は父が病気がちで、小さい頃ド貧乏でした。
もうわしは転ばん!って、転ばないダルマを父と一緒に創り出したんです」

そう話すのは、うるしダルマを手懸ける、柄本忠宗さん。

20歳まで外国航路の船員として、海外を回っていた柄本さんでしたが、
父親が海辺で拾ってきた漆の塊がたまたま割れたところを見て、
「これは綺麗だから何か作れるかもしれない」と発想を膨らませました。

そして、子供から大人まで知っていて、
前向きなものとして、ダルマづくりを思い付きました。

実は小浜市は日本の塗り箸の80%以上が作られているという、
若狭塗り箸のふるさと。
柄本さんのお父さんも病気になる前は漆箸職人で、
いろんな模様を考えて独自のお箸を作っていたといいます。

そんな柄本さんのお父さんが見つけた漆の塊とは、
その塗り箸づくりの工程で余った塗料が固まったものでした。

現在は柄本さんが夫婦で思考を凝らし、塗料を固めてだるまの原型を作っています。
実際に塗料を固めたものを割ってもらうと…
中がとってもカラフル!

この塊を小割、研磨して、一つひとつのだるまを仕上げていきます。
そのため、色、形、表情どれをとっても同じものはありません。

表情は描いた時期や気分によっても変わってくるといい、

「最近はダルマと顔が似てきたって言われますね。
でもそれは嬉しいこと。かつて見た仏像の表情を参考に、
いつかその顔を描きたいと思ってやってきましたから」

と柄本さん。

ちなみに下の写真は、
右側のダルマが、柄本さんが20歳の時に描いた顔で、
左側のダルマが数年前に描いたものだそう。

自分たちでゼロから創り出したものが県にも認められ、
一見、順風満帆な人生のようですが、
人手が足りずにお客様が離れていってしまったり、
一時は食べるものに苦労した時もあったといいます。

「ここまでやってこられたのは、奥さんがいたからですね。
年中隣に彼女がいて一緒に作業していますが、ケンカはしません。
ケンカしたらダルマのいい表情が描けませんしね」

小浜一、仲よしといわれる柄本さんご夫妻が作る夫婦ダルマは、
二人の人柄と仲睦まじい様子がそのまま表れていました。

※煤孫さんが作る"キナキナ"と、柄本さんご夫妻が作る"うるしダルマ"は
年始に販売される「福缶」に含まれています。

2014年度の福缶の縁起物は全部で30種類。
どれが出るかはどうぞお楽しみに!

日常使いできる漆器

2012年06月01日

古くから日本の食卓で用いられてきた漆器。

欧米では、磁器のことを「チャイナ」、漆器のことを「ジャパン」と呼ぶほど、
日本を代表するものとして知られています。

現在でこそ、漆器のように見える合成樹脂の安価の椀が増えていますが、
北海道では約9000年前の漆器が見つかるなど、その歴史は古く、
陶磁器が広く使われる以前は、日本人にとって最も身近な食器だったようです。

陶器・磁器と、その作りについて学んできた私たちですが、
この漆器は、一体どのように作られているのでしょうか?

福井県鯖江市に、斬新な漆職人がいると聞きつけ、お邪魔しました。

山間ののどかな環境に、漆職人、山岸厚夫さんの
『錦壽(きんじゅ)』と呼ばれる工房はありました。

ここから、東京はもとより日本全国、はたまた海外へ展開される漆器が、
次々と生み出されているんです。

到着するや否や、山岸さんは、

「漆の木って、見たことないやろ?」

と、裏庭にある10mほどの漆の木を見せてくれました。

この木に傷を付けると、木自体から回復作用で出てくる樹液、

これが「漆」の原料なんです。

この生漆に触れたり、近くを通ったりするだけでも、
アレルギー性皮膚炎を起こしかぶれてしまうんだそう。

この樹液を精製したものを、栃木でお目にかかったような「木地」に、

何層も塗り込んでいったものが漆器となるんです。

ただ、漆器というと「傷が付きやすい」、「すぐ剥げてしまう」
などのイメージがありませんか?

ゆえに、現在では漆器は、どちらかというと記念事のお祝い時や、
お客様をもてなす際に使用されるケースが多いです。

そこに疑問符を持たれた山岸さんは、

「だったら、最初っから傷の付いている漆器を作ればいいじゃないか」

と、あえて傷のようなデザインを見せ、
新品のジーンズを洗ったようにすりへった雰囲気に仕上げました。

この漆器は使えば使うほど味が出てきます。
これが当時、これまでの漆器の概念を覆したものとして、
山岸さんは一躍、注目を集めることになります。

「じゃんじゃん使えるものじゃないと、使いにくいやろ。
ワシのテーマは、"日常使いできる漆器"やから」

そう語る山岸さんも、初め父親から家業を継ぐ時は嫌々だったそうです。

ただ、やるからには、斜陽産業の伝統工芸としてではなく、
きちんと人に使ってもらえる伝統工芸として確立したいという想いを抱き、
徹底して顧客のニーズを研究すべく、全国のデパートの漆器売り場などに足を運んだそう。

今でも、国内外問わずに積極的に個展などを展開し、
直接、顧客の反応を見ることで、その感性を研ぎ澄ませています。

結果、生まれたデザインがこれら。

「漆って、別に赤と黒だけじゃないんや。
いろんな色が使えるんだから、こんな現代っぽい柄があっていいやろ」

こうして生み出されていく漆のデザインの用途は、
今や食器だけにとどまらず、店舗の壁などにも利用され始めているそうです。

このような展開も、すべては基本があってこそということで、
山岸さんは山形県の漆研究家の元まで、漆の基本を学びに行っていたんだとか。

今では漆の基礎知識、顧客の視点、そして技術、アートまで、
漆についてはどんな観点からでも話すことができる、山岸さん。
本当の意味での職人とは、こういう方のことをいうのかもしれません。

そんな山岸さんの作る漆器は、無印良品でもお買い求めいただけます。

河和田塗り飯椀 朱・約13cm×高さ6cm 1200円

日本一短い手紙

2012年05月31日

突然ですが、みなさんは最近いつ手紙を書きましたか?

普段生活をしていると、手紙を書く機会や
手紙を受け取る機会はあまりないかもしれません。

そんななか、毎年秋になると、全国各地からの手紙が届く町が福井県にあります。

入試の日の朝御飯、
大きな大きなとんかつと母さんの笑顔。
緊張もふっとんだよ。
(富山県 16歳)

お母さん、八十二歳になりました。
よい爺さんで、世に尽くしております。
(鳥取県 82歳)

おかあさん ぶた
おかあさん ブス
おかあさん バカ
おかあさん…でもすき
(石川県 7歳)

これらは、1993年に福井県丸岡町に全国から寄せられた、
3万2236通の『母』への手紙の一部です。

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
これは、徳川家康の家臣・本多重次が長篠の戦いの陣中から妻に書いた手紙で、
日本一短い手紙と呼ばれています。
手紙中の「お仙」は息子・本多成重のことで、
彼は後の初代丸岡藩主になりました。

このことから、福井県坂井市にある丸岡町(まるおかまち)では、
「一筆啓上」の発信地として、手紙文化の復権を目指そうと
1993年から毎年、日本一短い手紙文のコンクールを行っているのです。

毎年テーマが決められていて、
条件は1~45文字(当初は25~35文字)で、手書きであること。

「手書きだからこそ、伝わるものってありますよね。
言葉は"ことだま"であり、言葉には魂がある。
人の想いを届ける手紙は、なくしてはいけない文化だと思うんです」
と、発起人の大廻さん。

丸岡町の子供たちは、小・中学校で毎年必ずこのコンクールに参加していて、
手紙の文化を継承しているそうです。

たしかに、その土地の言葉の中でしか
語り継げないことがあるのではないでしょうか。

ちなみに、今年度のテーマは「ありがとう

「"ありがとう"という言葉は美しい日本語のひとつだと思うんです。
"Thank you"は"No,thank you"と否定で使う場合もありますが、
"ありがとう"の場合は肯定、感謝の意味しかないですからね」

今年度からは、「美しい日本語を海外に伝えたい」と
"Arigatou"を含む1~25wordsの英語の手紙もWEB上で募集するそうです。

「ありがとう」

みなさんだったら、誰に、何の「ありがとう」を伝えますか?

あの時、手紙を書いてくれてありがとう。

私はこの一文を家族と友人に伝えたいです。
高校時代にアメリカに留学した時、
日本から届く家族や友人からの手紙にどれだけ支えられたか。
毎日、ポストをのぞいて、手紙を心待ちにしていたのを思い出します。
今でもそれらの手紙は私の宝物。

電話やメールがある昨今、なかなか手紙を書く機会はないかもしれませんが、
これを機に手紙を書いてみるのもいいかもしれませんね。
電話やメールは形に残りませんが、手紙はいつまでも
その時の気持ちを形に残しておいてくれます。

この一筆啓上の手紙コンクールを主催している、
(財)丸岡町文化振興事業団では、
時を超えて想いを伝えることのできる
おもひでカプセル便」なるものも実施しているそう。

これは、3~20年先の未来に、想いを伝えられる手紙のタイムカプセルです。
5年後の恋人に、10年後の自分に、20年後の生まれたばかりの我が子へ…
など使い方は様々。

私たちも、3年後の自分&お互い宛に手紙を書いてみました。

忘れた頃に届く、「おもひでカプセル便」。

MUJIキャラバン隊として過ごしている、今の素直な気持ちを
書き綴っておこうと思います。

日本の食卓に欠かせない「箸」

2012年05月30日

日本の食卓になくてはならないモノと言われたら、
「箸」と答えて、まず否定する人はいないでしょう。

そのぐらい、日本人の食生活を支えてきた箸。

世界でも東アジアを中心に約3割の人が箸を使い、
約3割の人がナイフ・フォーク・スプーン、
残りの約4割の人が手を使って食事をしているといわれています。

これは米や麺を食する地域では箸を使い、
肉を食する地域ではナイフ・フォークを使うなど、
地域ごとの食生活に起因しているようです。

思えば、箸を使う東アジアの中でも、
国によって使用している箸に違いがありますよね。

中国では木や竹、プラスチック、高級なものでは象牙を使った、
日本のものよりも長く、先端が丸くとがっていないものが使われています。

中華料理が取り分けるスタイルであることから、
遠くのものでも取りやすいように、長く太めの形になっているようです。

お隣、韓国では金属製のものを使います。

こちらは、王族を初めとした支配階級が、
銀などの金属製の食器を使っていたことの名残だそう。

一方、日本の箸は、漆や合成樹脂を塗った木製の塗り箸が主流で、
先が細くとがっています。

これは、骨のある魚を分けやすくするためなんだとか。

ちなみに、
日本の家庭では個人ごとに箸が使い分けられていることが多いですが、
中国・韓国では、家族みんなで共有し、男女や親子の区別はないようです。

また、日本では箸を横に置きますが、中国・韓国では箸を縦に置く。
そして、汁物を食べるとき、器を手に持って食べるのは日本だけで、
中国・韓国では手で持たずにレンゲやスプーンを使うんです。

こうして見ていくと、同じ箸であっても、
国や文化によって、少しずつ違いがあるんですね。

「日本でも、地域によって好まれる箸は違うんですよ。
手が大きい人が多いといわれる東北では太めの箸、
京都では上品な細めの箸、とかね」

そう教えてくださったのは、若狭塗の伝統工芸師、古川光作さん。

たまたま、小浜市の料理教室で出会った方が、
3代目古川勝彦さんの奥様で、

「是非、工房へ遊びに来てください」

とお誘いいただき、図々しくもお邪魔したわけです。

若狭塗の箸は、国内の塗り箸のシェア約80%以上だそうです。

現在では安価な箸が作れるよう、多くが機械化されているようですが、
この古川さんのところでは、すべての工程が今でも手づくりで行われています。

塗りだけでも工程はなんと15~20工程もある若狭塗。
1つの商品を作るのにおよそ1年の月日を要するといいます。
また、その特徴は、貝殻と卵の殻を砕いたものを装飾に使うことにあるそう。

そして、デザインや長さ、形などの違いは、
若狭塗だけでもなんと3000種類もあるんだとか。

「日本は男性用、女性用、子供用とそれぞれ違いますからね。
これからも箸は日本の食文化に欠かせない存在だと思います」

思えば、日本では「食い初め」に始まり、お葬式の際の「箸渡し」まで、
日本人の一生は箸に始まり、箸に終わると言っても過言ではないほど、
箸と私たちの生活とは深い結びつきがありますよね。

「同じようで違うもの」をまた発見しました。
このわずかな違いが、永く残るといいですね。

オバマ市からもらった、くらしのヒント

2012年05月29日

米・オバマ大統領を応援する市として
一躍有名になった、福井県小浜(おばま)市。

街の至る所に、オバマ大統領が…!
次の大統領選でも注目されることは間違いありません。

さて、そんな小浜市は若狭湾に面しており、海産物が豊富に採れます。
平安・奈良時代には、サバをはじめとする高級特産物を朝廷に献上していた、
御食国(みつけのくに)のひとつなんです。

食の歴史もあるなかで、2001年には、
全国初の食をテーマにした、「食のまちづくり条例」を制定。

これはご当地グルメのような観光客誘致が目的ではなく、
住民を主なターゲットにしたものだそう。
その土地にくらす地域住民にこそ、地場の農林水産物の
ファンになってもらうべく、様々な取り組みがされているようです。

今回、そんな食のまちづくりの拠点施設、
「御食国若狭おばま食文化館」を訪れました。

施設内は、食に関する歴史・伝統・文化の展示があり、
例えば特産物のサバのレシピ30種のレプリカ、なんていうのもありました。

また、「キッチンスタジオ」も併設されていて、
季節の食材を使ったお料理や郷土料理の教室が開催されています。

ちょうどお料理教室の日程に訪れた私たちは、
地元の主婦の方にまざって、季節の調理体験に参加してきました!

旬のたけのこやそら豆を使った煮物や、梅の香寿司をみんなで作りました。
毎月この料理教室に参加している、という方も多く、
地元のみなさんの交流の場になっているんですね。

他県から嫁いできたという方もいて、
「地元の食材の食べ方が分かっていい」とおっしゃっていました。

さらに、小浜市では小浜で生まれ育つ子ども全員に、
"食育"の機会を提供するため、義務食育体制を構築。
公立、私立問わず、市内の全幼稚園・保育園の年間行事に
「キッズ・キッチン」と呼ばれるお料理教室を組み込んでいるそうです。

小学校や中学校の給食では、
近隣の農家や漁師さんに食材を提供してもらい、
「本日の食材の若狭カンラン(キャベツ)は
○○おじさんの畑で収穫されたものです」 
といったアナウンスが流れ、
生産者への感謝の気持ちを育み、給食の残食も減少したんだとか。

このキャラバンが始まってから、
各地で"地産地消"のワードを見かけてきましたが、
この小浜市の給食の取り組みは、ひとつの地産地消のお手本かもしれません。

群馬のキャンプ場で焚き火をした時もみんなと語り合いましたが、
"なぜ地産地消がよいのか"ということについて、
私たちは分かっているつもりになるのではなく、
腹に落ちるまで考え続けようと思います。

「無駄な輸送費がかからないためエコである」
ということはよくいわれます。

そして、今回、小浜市で考えたのは、
「生産者の顔が見えることは、安心安全につながるだけでなく、
消費者が生産者や自然の恵みに感謝を忘れず、共に育んでいくことにつながる」
ということでした。

そして何より、その特産物を作る人こそが、もっとも愛情を持っているのだから、
その地域にこそ、その特産物の活かし方が伝わっているんですね!

改めて、地産地消は、これからの良いくらしへのヒント
といえるのではないでしょうか。

いったん立ち止まって考えることは、とても大事なことですよね。

福井県は日本のブータン!?

2012年05月28日

昨年、国王夫妻が来日したブータンは
「世界一幸せな国」として話題になりましたが、
法政大学大学院が出したとある調査によると、
「日本一幸せな都道府県」は福井県なんだそう!

福井県は緑がとても多く、心も豊かなのかもしれませんね。

また、人口10万人あたりの社長輩出数はなんと全国1位。
いったい福井県にはどんな産業があるのでしょうか?

福井県の代表的産業のひとつは繊維。
福井の温暖多湿の気候が、繊維産業に適していたようです。

繊維産業の主な担い手は女性であり、
福井県では女性も働き手であるという意識が伝統的に醸成され、
女性の就職率も全国一高いんだそう!

ちなみに、福井市でお邪魔した福井西武の無印良品では、
そんな働き者の福井の女性にもピッタリな人気商品をご紹介いただきました。

裏メッシュカップ入りキャミソール

これからの季節、暑くなってくるので
1枚で下着と肌着の役割をしてくれるカップ入りキャミソールは、
女性に、とってもうれしい商品ですよね♪

キャミソールといえば、こちらも。

脇に縫い目のないシリーズ

その名の通り、脇に縫い目がないので、肌触り抜群!
女性のみなさん、夏の到来に向けて要チェックです!

続いて、繊維に並ぶもうひとつの福井の代表的産業について。

福井県の西部にある鯖江(さばえ)市は
国内の約9割、世界の約2割にあたる
めがねフレームを生み出している、めがねの産地なんです。

鯖江におけるめがねフレームの製造は明治38年に始まったそう。
農閑期の副業として、室内で仕事ができ、かつ、
少ない初期投資で現金収入が得られるめがねフレーム作りに着目し、
当時めがね作りが盛んであった大阪や東京から職人を招いて教わりました。

そんな鯖江市にある無印良品のめがね工場を訪ねました。

めがね作りの工程は200~250にも及ぶため、
分業制が敷かれているといいます。

「すべてを自社でやろうとすると効率が悪いんですね。
それぞれの部品を作る会社が市内にあって、
だから社長の数も多いんじゃないですかね」

今回、工場をご案内いただいた前川さんはそう教えてくださいました。

「日本におけるめがねは、海外と比べて特殊なんです。
多品種小ロットで、常に新しいモノを作っていますよ」

同じめがねでも、お国が違えば好みのポイントも変わってくるようで、
ドイツはデザインよりも構造、フランスはデザイン・奇抜さ
が特に求められるそうです。

一方、日本の場合は、デザインはもちろんのこと、
かけやすさや軽さなどの使い勝手も重視される。

日本のお客様の様々な要望に応えてきた工場だからこそ、
その技術を買われて、全体生産の約4割が海外のものだそうです。

地域の人々がともに産業を育て、
ローカルな取り組みがグローバルにも評価される。

"地域力"のお手本のような福井。
ブータンに学ぶ前に、福井から学べることも多いのではないでしょうか。