「COCCIO」
「民陶」ってご存じですか?
毎日の生活のために作られた実用的な雑器をさす言葉です。
大陸から有田へと渡った陶工の技術が、やがて日本各地へと伝わり、
地域ごとに食を受ける器を作る陶工たちが活躍していきました。
現在でも、訪れる先々で各地に根ざした焼物に出会ってきたのは、
こうした民陶づくりがあったからです。
ただ、戦後の急速な食文化の変化と、海外からの安い食器の流入によって、
日本の焼物はたちまち厳しい環境にさらされました。
そんな状況下でも、福岡県東峰村には、いまだに50軒ほどの窯元が残っています。
彼らが作るのは、「小石原焼(こいしわらやき)」です。
1682年に、伊万里から招かれた陶工が窯場を開いたのが始まりといわれ、
陶芸としては初めて、経済経産省の伝統工芸品の指定を受けました。
刷毛目(はけめ)、飛び鉋(とびかんな)、櫛描き(くしがき)
などの模様が特色で、後にその技法は、以前、大分で取材に訪れた、
小鹿田焼(おんたやき)に伝わったといいます。
小石原の陶工たちは、ろくろを自在に操って、
形のそろった食器を大量に生産する高い技術を持っています。
また、卸しとしての道を歩まず、
直販スタイルを続け、顧客からの要望に柔軟に対応してきたことから、
使いやすく手頃な価格の、手づくりの日用食器が生み出されてきたのです。
そんな小石原焼の持つ高い技術を活かしながら、
現代の生活に寄り添う新たな食器を生み出そうとするプロジェクトが、
2007年より始まっていました。
「COCCIO(コッチョ)」
小石原焼の3つの窯元と、
デザイナー兼ディレクターの城谷耕生さん、
そして、九州大学の池田研究室が関わり、
小石原焼の本質を探究し、今と未来のための食器をデザインする挑戦です。
イタリア語で「普段使いの器」を意味するその言葉には、
伝統工芸を守るだけでなく、今と未来の食生活に合わせた食器を開発する、
というメッセージが込められているようです。
COCCIOプロジェクトは、まず、
現代の食生活を徹底的に見つめ直すことから始まります。
九州大学の池田研究室が中心となって、
「食事とは何か?」「デザートとは?」「コーヒーとは?」など、
その由来まで徹底的に調べ上げ、ノートにまとめていきました。
その名も「轆轤(ろくろ)とノート」。
ろくろで器を作るのと同じペースで、ノートを作っていこうという、
とてつもない情報量のリサーチノートです。
こうした様々な調査を行うなかで、
小石原焼のエッセンスを以下の3つに抽出。
※小石原で採れた土を使うこと
※自然の釉薬を使うこと
※ろくろを使って生産すること
作り手の一人、カネハ窯の陶工・熊谷さんは、
COCCIOの制作についてこう語ります。
「飛び鉋や刷毛目の模様のないものを小石原焼と呼んでいいのかって、
はじめの頃は周りからよく言われました。
ただ、COCCIOは今と未来のための食器づくり。
小石原焼とは何なのか? ボウルと小鉢の違いは何?
と、一つひとつ概念を点検していきました」
こうして、これまでの和食器づくりの概念から脱却し、
現代の食生活に合った、
手づくりによる洋食器が作られていきました。
一つ大きな特徴は、高台が広く平らであること。
これは、器を手で持ちながら箸で食べる和食に対し、
洋食は基本、器は持たずにナイフとフォークで食べるという、
食生活の根本的な違いを反映させたものでした。
そのためには、安定感のある平らなお皿が必要だったのです。
さらに、ディレクターの城谷さんは、
「モノがあふれている時代。ただ、カッコいいだけじゃ駄目。
食生活の社会問題を解決できるような食器を作りたかった」
と語ります。
一人で食卓の前に座ることが多くなった現代、
家族や友人と一緒に食卓を囲む時間を、
もっと日常的に楽しんでもらえるようにと、
COCCIOには「シェアの食器」という概念が加わります。
こうして生み出されたのが、こちらの大皿。
大皿に盛った料理を取り分け、
周りを気遣いながら会話がはずむ食事の時間を想像して作られました。
他にも、こんなコーヒーカップたちも。
通常よりも小さめのデミタスカップは、
コーヒーがなくなったら、すぐに
「温かいコーヒーをもう一杯いかが?」
という声が聞こえてくるように、イメージされています。
九州大学の池田美奈子教授は、このCOCCIOについて、
こんな想いを話しました。
「人の生活に合わせてモノを作るのではなく、モノが人の生活を変える、
ということもできるのではないでしょうか」
COCCIOには、こうした様々な想い、研究の成果が
合わさっていました。
現代の食生活のために作られた日常的な食器。
これぞ「現代の民陶」と言えるのではないでしょうか。
こちらのCOCCIOシリーズは、
MUJIキャナルシティ博多で、10月28日まで展示販売されています。