地域が誇り進化し続ける、久留米絣
経糸(たていと)または緯糸(よこいと)、
もしくは両方の糸の一部を前もって染めておき、
これを用いて織り上げて文様を表した織物、「絣(かすり)」。
文様の輪郭部分がかすれて見えるために「絣」という名が付いたともいわれています。
絣のような織りの技法は、東南アジアをはじめ世界各国に見られ、
日本国内でも各地で織られてきました。
「久留米絣は、久留米で語られている歴史だと、
偶然の発見から始まったといわれています。
200年以上前に、一人の少女が自分の藍色の服にあった白いシミに気付き、
糸をほどいて、そこから独自の絣の図案を考え広めたと。
女性の社会進出に寄与したともいわれていて、ロマンがありますよね」
そう話すのは、一瞬で目を奪われる久留米絣のシャツに身を包んだ、野口英樹さん。
久留米市で久留米絣の問屋を営む、株式会社オカモト商店の専務です。
野口さんいわく、久留米絣の生産量は現在、
昭和初期の最盛期の約1/20になってしまっていますが、
今も二十数軒の織元が存在し、絣が進化し続けているそう。
福岡県の「久留米絣」のほか、
愛媛県の「伊予絣」と広島県の「備後絣」を日本三大絣と呼びますが、
今でも産業として成り立っているのは、久留米絣だけだとか。
それは産地の風土と歴史にまつわる発展があったからでした。
福岡県南部の筑後地方には、九州最大といわれる筑後川が流れ、
豊かな土壌と豊富でキレイな水が、絣の生産に適していました。
そして、明治の西南戦争で全国から集まった兵士が国元へ帰る際に、
お土産として久留米絣を持ち帰ったことで、全国にその名が知られるように。
しかし、一方で、粗悪品も出回ってしまい、久留米絣の評判が下落。
それではいけないと鑑定所ができ品質チェックを行うようになり、
現在のような質の高い久留米絣になったといいます。
久留米絣は、図案製作、括り(くくり)、染色、織りなど
大まかに分けても30の工程があり、分業制でそのすべてが重要です。
久留米市周辺に点在する生産現場を、野口さんにご案内いただきました。
まず、久留米絣の命ともいわれる、糸の括り作業。
昔は職人の手によって行われていましたが、現在は機械によって生み出されています。
しっかりと糸で縛ることで、その部分が防染され、
織った際に美しい文様を表現できるのです。
続いて、染色の現場へ。
こちらの工房では、伝統的な天然藍を使った染色が行われていました。
「藍は生き物と一緒。
毎日かきまぜて様子を見てあげなきゃいけないから、なかなか遠出もできません」
染色歴50年の小川内龍夫さんは
毎日藍の状態を、舐めて確認するというから驚きます。
括り屋さん、染屋さんを経て織物工場に糸が届いても
すぐに織りの作業に移れるわけではありません。
経糸と緯糸の準備が必要になるのです。
なかでも、絣の文様がきちんと出るように経糸をそろえる
「荒巻」という作業(写真左下)は、絣の完成度を決める大切な作業だそう。
(写真左:経糸の荒巻作業の様子、写真右:緯糸のトング巻作業の様子)
そして、カシャンカシャンと活気のよい音を立てながら、
年季の入った織機が忙しく動いて、
経糸840本と緯糸240本が1枚の絣を生み出すのです。
「織れない柄はないですよ。
量産できるわけではないから、日々技術の進歩を心掛けていくことが、
後世へものづくりを残すことにつながると思っています」
そう胸を張る、野村織物の野村哲也さんの言葉が
産地の強さを物語っているようでした。
こうした各工程のスペシャリストの技の集結によって、生まれる久留米絣。
産地の特徴は問屋であるオカモト商店にもありました。
「うちは昔から異端児だったかもしれません。
両親の代から、生地だけでは勝負できないことを感じ、
自分たちで商品化をしてきたんです」
と野口さん。
兄で現社長の野口和彦さんと英樹さんの代になり、
オリジナル製品の企画製造と販売をより強化し、
今では全国に18店舗を展開するまでになりました。
「久留米絣は小さい頃から身の回りに当たり前にありました。
僕にとって白いごはんのようなものですね。
白いごはんがいろいろな料理に調理されるように、
絣もそれ自体は布だから何にでも形を変えることができる」
最近では、地元の靴メーカーと共同でスニーカーの開発をしたり、
パンツ感覚で使える現代風のもんぺのほか、
気軽に持てるバッグやポーチなどの小物を手掛けたりしています。
「今後も品質を追求して生地づくりを行いながらも、
絣を現代の日常に取り入れられるように、その可能性を探っていきたいです。
そうすることが、200年続いた久留米絣の、次なる200年への礎だと思っているので」
身近にあるとその価値になかなか気付きにくいものですが、
久留米絣にかかわる人たちは、その技術や質に誇りを持ち、
それを守るだけでなく、さらに発展させようとしていました。
この心意気こそが、ほっこりと温かく、透き通った美しさを見せる
久留米絣の魅力につながっているのかもしれません。