伝統こけし
東北地方で見つけた"同じようで違うもの"の代表、
それは「こけし」かもしれません。
こけしには、代々受け継がれてきた形態、絵柄、色彩などが
表現されている「伝統こけし」と、
作家の自由な発想の中で制作されている「創作こけし」がありますが、
東北地方で見られるこけしは、主に伝統こけしです。
もともと農家の副業として、冬の間に作られていたこけしは、
江戸末期、子供用玩具やお土産物としてのものでした。
しかし、明治維新で海外からブリキのおもちゃが入ってくると
玩具としてのこけしは廃れてしまいます。
その後、大人が美術的価値を見いだし、鑑賞用として注目されたそう。
つぶらな瞳に、おちょぼ口。
確かに見ているだけで心がホッとし、癒やされます。
その伝統こけしですが、産地によって特徴に違いがあり、
各系統に分けられています。
例えば、宮城県の鳴子系は首が回るのが特徴で、
福島県の土湯系は頭のてっぺんに蛇の目の模様があるのと、
赤い髪飾りが描かれるのが特徴というように。
「世界を見てもこんなに変化しない人形はないと思いますよ。
僕個人としては、こけしの工人同士はあまり交流しない方がいいと思うんです。
各地のこけしは独特だから面白い。混ざったらつまらないですよね?」
そう話すのは、福島県いわき市で弥治郎系のこけしを作る、
佐藤英之さん。
工房にお伺いして、迎えていただいた時には
その若さと饒舌ぶりに驚きました。
というのも、これまで抱いてきた職人のイメージは
"寡黙なおじいちゃん(おじさん)"だったからです。
英之さんは250年続く弥治郎系こけしを引き継ぐ工房の3代目。
おじいさんが弥治郎系こけし工房に奉公に行き、
当時炭坑で栄えていたいわき市に移住し、
この地でこけし作りを始めたといいます。
震災と原発事故で、一時は群馬への避難を強いられましたが、
避難先でもこけし作りを続けました。
こけしが作れることの喜びを噛み締めながら、
1年後、いわき市の工房へと戻り、現在も家族4人で製作を続けています。
こけし作りを始めて10年という英之さんは、こう語ってくださいました。
「死ぬまでできる仕事だから、まだまだ修業中です。
難しいのは木を扱うこと。日々、木に教えられていますね」
こけし作りは、材料の選定から始まり、
ロクロにかけて削る前にできるだけ近い形に切ったり割いたりする
"木取り"の作業が全体の8割を占めるんだそうです。
「せっかくだから作ってみましょうか」
そう言うと、目の前で英之さんが木を削りだしました。
カンナ棒を使って器用に手首を回しながら行います。
すると、10分もかからないうちに、
筒型だった木がこけしの形に変化していきました。
サンドペーパーで磨き、トクサ(写真右)とヘチマ(写真左)で
木肌が滑らかになるようにさらに磨きます。
こうして裸のこけしが出来上がると、今度は模様付け。
弥治郎系のこけしは、しま模様が多いのですが、
これは"ロクロ線"と呼ばれ、ロクロを回しながら描くのです。
くるくると回るこけしの胴体に、
レコードに針を置くように、そっと筆を入れます。
すると、みるみるうちに、ボーダー服を着たこけしが誕生しました!
弥治郎系こけしの特徴は、頭頂にベレー帽のように描かれた多色の輪。
このデザインは英之さんが頭の中で考えながら
描いているのかと思って質問をすると、
「うちの工房だけで、70種類以上の伝統型があるんです」
と製作手帳を見せてくださいました。
英之さんの工房には、おじいさんを含む5人の師匠の型が
引き継がれているんだそうです。
「誰かが作らないと残らないですからね」
そうなんです、伝統こけしというのは、
名前だけでなく、時代が変わっても、しっかりとその型にそって
作られていっているのです。
最後にフリーハンドで、慎重に表情を描いていきます。
ポッと赤く染まった、ほっぺたを描いたら完成!
英之さんと目が合って、おもわず顔を赤らめる少女。
その慎ましさは日本女性の象徴かもしれません。
また、こけしの表情には、描き手の気分がそのまま反映するといいます。
「おやじが若い頃作ったこけしは、全部うちの母そっくりですからね(笑)」
英之さんの生み出した、この可愛らしいこけしも
英之さんの周りにいる誰かに似ているのでしょうか。
それから、こちらの工房では
「飾るだけでなく、さわってもらえるこけしを作りたい」
という想いから、こけし印鑑も作られていました。
大きさはこけし人形の1/10くらいですが、
製法や模様もすべて通常のこけしと同様。
「ルールがあるからこそ自由になれる。
これからも自由な発想を大切に、こけしを作っていきたいです」
ちなみに、この弥治郎系こけしで一番古い型のこけしが
来年の福缶に登場するので、どうぞお楽しみに♪