MUJIキャラバン

実はだるまって…

2012年05月07日

群馬県出身であれば、必ずと言っていいほど知っている文化があります。

「上毛かるた」

試しに、何人かの人にたずねてみると、みなさん本当に答えられました!

戦後、GHQの統治下で、地理や歴史を教えることが許されなかった時代、
なんとかして子供たちに群馬の歴史・文化を伝えようと始まったのが、
このかるたでした。

「え」縁起だるまの少林山。

そんな上毛かるたでも紹介されていた、だるま。

それもそのはず。
その生産量の約8割が、群馬県高崎市で生産されているんです。

空っ風の吹く、高崎の気候が、だるまづくりには適しており、
昔から農家の副業として作られてきたんだとか。

実はこのだるま、全国各地でも作られていますが、
産地によってその表情や形が異なるようなのです。

右が、私たちが出発時に片目を入れてきただるま、
左が、高崎だるまですが、その違いが分かりますか?

高崎でだるま製造に携わる、「中喜屋だるま」の峯岸さんに、
私たちのだるまを見せると、

「これは神奈川県の平塚のだるまだねぇ」

と、教えてくれました。

産地や職人によって、髭や眉毛の描き方に特徴があり、
高崎だるまは、眉毛は鶴を、髭は亀を表しているそうです。

また、祈願が成就した時に両目がそろうだるまのことを「縁起だるま」と呼び、
これは高崎だるまが発祥だそう。

「だるまのことをもっと知りたかったら、少林山へ行くといいですよ」

そう、峰岸さんに教わって、高崎市内の少林山を訪れました。
そこにあったのは、「少林山達磨(だるま)寺」。

たくさんのだるまが、ところ狭しと奉納されていました。

そこで私たちは、さらに驚きの事実を知ることになります。
だるまって、実在する人物がモチーフとされていたんですね。

達磨大師と呼ばれるこの方は、南インドの第三王子として生まれ、
その後、中国へ渡り、仏教の禅宗の開祖となった人物として知られています。

今のだるまの姿は、達磨大師が中国・少林寺で9年間、
座禅を組んでいた姿を表しているんだそうです。

当然、その姿は描く人によって異なるため、
日本国内でも異なれば、中国やインドのだるまはもっと違うようです。

同じようで違うもの。
「だるま」には、そんな背景があったのですね。

そういえば、子供の頃よく遊んだ遊びの一つに、
「だるまさんが転んだ」がありますが、その由来も、
親が子へ、我慢や努力を強いるときに散々使われた、達磨大師の座禅の話に対し、

「達磨さんだって、誰も見ていないところでは寝転んでいただろう」

と、子供が反発して使われるようになった掛け声、といわれているそうです。

そう思うと、幼い頃から、
達磨大師は私たちの身近な存在だったのですね!

身近なことにも、まだまだ知らないことが多いと思い知らされます。

  • プロフィール MUJIキャラバン隊
    長谷川浩史・梨紗
    世界一周の旅をした経験をもつ夫婦が、今度は日本一周の旅に出ました。
    www.cool-boom.jp
    kurashisa.co.jp

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