実はだるまって…
群馬県出身であれば、必ずと言っていいほど知っている文化があります。
「上毛かるた」
試しに、何人かの人にたずねてみると、みなさん本当に答えられました!
戦後、GHQの統治下で、地理や歴史を教えることが許されなかった時代、
なんとかして子供たちに群馬の歴史・文化を伝えようと始まったのが、
このかるたでした。
「え」縁起だるまの少林山。
そんな上毛かるたでも紹介されていた、だるま。
それもそのはず。
その生産量の約8割が、群馬県高崎市で生産されているんです。
空っ風の吹く、高崎の気候が、だるまづくりには適しており、
昔から農家の副業として作られてきたんだとか。
実はこのだるま、全国各地でも作られていますが、
産地によってその表情や形が異なるようなのです。
右が、私たちが出発時に片目を入れてきただるま、
左が、高崎だるまですが、その違いが分かりますか?
高崎でだるま製造に携わる、「中喜屋だるま」の峯岸さんに、
私たちのだるまを見せると、
「これは神奈川県の平塚のだるまだねぇ」
と、教えてくれました。
産地や職人によって、髭や眉毛の描き方に特徴があり、
高崎だるまは、眉毛は鶴を、髭は亀を表しているそうです。
また、祈願が成就した時に両目がそろうだるまのことを「縁起だるま」と呼び、
これは高崎だるまが発祥だそう。
「だるまのことをもっと知りたかったら、少林山へ行くといいですよ」
そう、峰岸さんに教わって、高崎市内の少林山を訪れました。
そこにあったのは、「少林山達磨(だるま)寺」。
たくさんのだるまが、ところ狭しと奉納されていました。
そこで私たちは、さらに驚きの事実を知ることになります。
だるまって、実在する人物がモチーフとされていたんですね。
達磨大師と呼ばれるこの方は、南インドの第三王子として生まれ、
その後、中国へ渡り、仏教の禅宗の開祖となった人物として知られています。
今のだるまの姿は、達磨大師が中国・少林寺で9年間、
座禅を組んでいた姿を表しているんだそうです。
当然、その姿は描く人によって異なるため、
日本国内でも異なれば、中国やインドのだるまはもっと違うようです。
同じようで違うもの。
「だるま」には、そんな背景があったのですね。
そういえば、子供の頃よく遊んだ遊びの一つに、
「だるまさんが転んだ」がありますが、その由来も、
親が子へ、我慢や努力を強いるときに散々使われた、達磨大師の座禅の話に対し、
「達磨さんだって、誰も見ていないところでは寝転んでいただろう」
と、子供が反発して使われるようになった掛け声、といわれているそうです。
そう思うと、幼い頃から、
達磨大師は私たちの身近な存在だったのですね!
身近なことにも、まだまだ知らないことが多いと思い知らされます。