その土地の財産
「以前東京で働いていた時に帰省すると、
"もみじ饅頭(宮島名物)やきびだんご(岡山名物)を買って来て"
って、周りのみんなに言われましてね。
福山にもいいモノがたくさんあるのに、日持ちするモノが少なくて。
日持ちする福山産のお土産を作りたかったんです」
そう話すのは、15年前に帰郷し、
実家の製菓原料問屋を継いだ中島基晴さん。
2004年に地元の有志を集めて
「備後(びんご)特産品研究会」を発足し、
地元の特産品を次々と開発していきました。
まず初めに中島さんらが目をつけたのが
「保命酒(ほうめいしゅ)」と呼ばれる健康酒です。
保命酒は江戸時代の初めに、瀬戸内海の鞆の浦(とものうら)で誕生し、
もち米ベースの甘口のお酒の中に、
16種類の薬草を溶け込ませて造られたもの。
古くから万病・長寿に良いとされ、
江戸期には備後福山藩御用達のお酒として
贈答や献上品としても喜ばれてきました。
幕末には黒船で日本を訪れたあのペリー提督も
饗宴の席で口にしたんだとか。
「この保命酒は地元でも埋もれていたんです。
保命酒を身近に感じてもらうために、
これを使ってお菓子を作れないかと思いまして」
お酒や酒粕を使った飴、たいやき、ゼリー、
ジェラートなどを開発。
製造は地元のお菓子メーカーに担当してもらいました。
しかし、地元の小売店などで販売するも、
最初はなかなか広まりませんでした。
そんな折、静岡県・伊豆半島の下田港が
開港してから150周年を迎え、ペリーの子孫が来航する
という記事を新聞で読みます。
「これはチャンスだと思って、すぐに電話しました」
2005年5月の開港150周年記念式典の晩餐会で、
保命酒は来客に振る舞われ、
メディアを通してその存在が一気に全国へ知れ渡ったといいます。
その後も毎月商品を開発し続け、
その数は30種類以上までになりました。
実はこのスピード展開の裏に、
中島さんの戦略が隠されていました。
「特産品を1つや2つ作っても、
ジャンル別の棚に置かれてしまうと、それは埋もれてしまう。
"福山コーナー"を作ってもらうためには、
商品の数も必要だったんです」
商品には購入者に福山市を知ってもらう工夫もされています。
商品の裏に表示されているQRコードを読み取ると、
福山市のPRページに飛ぶ仕掛けや、
商品が一人歩きしても大丈夫なように、
パッケージに"ちょいと小話"というコラムを書いて、
福山の歴史や文化、特産品のいわれなどを発信しています。
また、将来を担う地元の学生にも協力してもらい、
ラベルやリーフレットのデザインをお願いしているそう。
普段自宅と学校の往復がメインの学生たちに、
実際に地元を歩いてもらうことで、
彼らにも地元の良さを発見してもらおうという企みです。
中島さんいわく、福山にはもともと船頭さんが多く、
各自が独立し、横のつながりを作るのが難しい土地柄だったそう。
「だけど、これからは横のつながりを強く持っていかないと、
世界で勝負できない」
もともと専門商社で働いていた中島さんは、
海外の様々な地域からコーヒー豆を輸入する仕事をしていました。
「コロンビア産、コスタリカ産、ブラジル産
というように、コーヒー豆に地域の特色があったんです。
それは地元も同じだなと思って。
歴史の中でこれまで培ってきたものを活かして
協力して取り組んでいくことが地域の未来を作る」
中島さんのおっしゃる通り、
"歴史"とその中で築いてきた技術やモノこそが
変えることのできないその土地の財産なのではないかと、
これまで各土地を練り歩いてきた私たちキャラバン隊も、
感じていたところです。
「これは全国どこでもできること。
私はそれを実践しているだけですから」
そう謙虚に話された中島さんですが、
それを、身をもって体現されている中島さんは
間違いなく地域を盛り上げようとしている人たちにとっての、
素晴らしいロールモデルとなる存在でした。