MUJIキャラバン

「北海道」カテゴリーの記事一覧

北海道のヒミツ☆

2012年08月03日

北海道を訪れるのは今回が初めてではありませんでしたが、
やはり地元の人に情報を教えてもらうと見えてくるものが違うものですね!

まずは北海道の食事情から。

最初は居酒屋の定番メニュー、
「ラーメンサラダ」

冷やし中華のようでもあるのですが、
野菜がメインなので北海道では副菜の位置づけのよう。
ツルっと食べられてヘルシーなので、主食としてもいいですよね。
ちなみに小学校の給食でもメニューにあるんだとか!

続いて、北海道民にとってのカップ麺の定番といえば…

「やきそば弁当」

初めて聞きました、そして見ましたコレ。
付属の粉末スープを、麺を茹でて湯切りしたお湯で溶いてスープにするそう。
道民いわく、普通のお湯で溶くと味が違ってしまうんだそうですよ。

それから、北海道限定ドリンクの
「リボンナポリン」

なんと戦前の1911年からあったというから驚きです。

発売当時はブラッドオレンジを原料に使用していたので、
地中海を代表する果実ということで
地中海に面したイタリアの都市「ナポリ」にちなんで
「ナポリン」と命名したといいます。

さて、今回これらを教えてくださったのは
無印良品 旭川西武店のスタッフさん。

彼女が手にするのはこのお店の人気商品★

土のかわりに再生粉砕パルプを使用した「猫草栽培セット」で、
毛繕いのときに舐め取った自分(猫)の毛を排出するのに役立つもの。

通常販売されている猫草は
猫が草を食べた後の土の扱いに困ってしまうらしく、
この無印良品の猫草の場合は、可燃ゴミとして捨てられるのが便利だそうですよ!

MUJIキャラバン隊、MUJItoGOイベントに!

所変わって札幌。

札幌では、無印良品 札幌ステラプレイス店の、
「MUJI to GO」イベントで、僭越ながらお話しさせていただきました。

私たちキャラバン隊が、この3ヵ月半の旅路で見つけたモノの紹介や
地元のみなさんから教わったこと、そこから感じたことなどを話しました。

短い時間でしたが、ご参加いただいた方に
来てよかった、旅に出たい、
日本のこと・キャラバンのことをもっと知りたい!
と少しでも思ってもらえたら嬉しいです。

ご来場いただいたみなさま、どうもありがとうございました!

また、翌日には、この旅初めて、店舗のスタッフさんに合流してもらい、
"とっておきの場所"をご案内いただきました♪

向かったのは、札幌市東区にある「モエレ沼公園」。

彫刻家イサム・ノグチのデザインで、
札幌市の市街地の周囲を緑化しようという構想で造られた場所です。
もともとゴミの埋め立て地だった所を活用したそうですね。

公園内はとーっても広いのでレンタサイクルをして回りました。

緑が生い茂る森の中に、カラフルな遊具が設置してあったり、

夏に水遊びができる"モエレビーチ"があったり。

家族連れの多くが日よけのテントを立てていて、
なんだかキャンプ場のようでしたよ。

この公園のために人工的に造られた"モエレ山"からは
札幌の街並みが一望可能!

いやぁ、とっても気持ちがいいです☆
お弁当持って一日中ゆっくりしたい公園ですね。

地元の人々に愛されている憩いの場所、
これこそ地域の貴重な観光資源だと感じました。

セワポロロ

2012年08月02日

もう、2012年も既に7ヵ月が過ぎてしまいましたね…。
早いものです。

無印良品では今年から年始に、
"福"をお届けする缶詰、「福缶」を販売しています。

中には東北地方(青森県、岩手県、宮城県、福島県)の手づくりの縁起物
いずれか1点が入っていました。

そして、少し気の早いお話ですが、
来年の年始にも、今度は全国から"福"をお届けする予定だそう。
今回は現在準備中のものづくりの現場をちょっとだけお見せしちゃいます♪

訪れたのは、北海道網走市にある「大広民芸店」。

中に入ると、見ているだけで幸せになれそうな笑顔の
大広朔峰さんが迎えてくださいました。

大広さんが作っていらっしゃるのは、
主に北方民族のウィルタ族にまつわる木彫り人形。

網走には戦後、樺太島に住んでいたウィルタ族の人々が移り住んできたそうです。
ウィルタ族はもともと遊牧民で、トナカイを飼育し、
毛皮のテントで生活し、自然に頼る暮らしをしていました。
厳しい自然の中で生き抜くために、彼らは動植物や無生物に精霊を宿していました。

彼らがお守りとして伝えてきたのが、「セワ」(上)と「セワポロロ」(下)。

つぶらな瞳と鼻筋の通った凛とした表情に釘付けです☆

「セワ」とは神をさし、神像として身近な場所において
願い事をして感謝を欠かさないようにと、
家のお守りのためや、狩猟を願うお祭り(オロチョンの火祭り)の時などに
作り出されていたようです。

「セワ」と「セワポロロ」両方に共通するのが
木を薄く削って作られた紐のような部分。

これは「イナウ」と呼ばれるもので、鳥の羽を表し、
古くから神や先祖と人間の間を取り持つ供物として、神聖に扱われてきました。
先述のオロチョンの火祭りにも、欠かせない祭具だそう。

このイナウは、1本の木を削って作られるのですが、
大広さんの手にかかるとスルスルといとも簡単に生まれていきました。

ここで、大広さんがなぜウィルタ族の木偶を作るようになったのかを
尋ねてみると、大広さんご自身がウィルタ族の語り部だということが発覚。

過去には実際にウィルタ族の方に会ってお話を聞いていたり、
年に1回行われている、オロチョンの火祭りの火付け役をされていたり
と活動されていらっしゃいました。

オロチョンの火祭り用の衣装を身につけられると、
先ほどまでの朗らかな印象とは打って変わって、
今度はキリリとした貫禄のある姿に。

そんな大広さんがひとつひとつ心を込めて作ってくださっている、
招福の使者「セワポロロ」が
来年の年初めに福缶の縁起物に仲間入りします!

会えるのを楽しみに待っていてくださいね。
(※福缶の縁起物は、複数ありますので必ずセワポロロに会えるとは限りません)

最後にセワポロロを生みの親、大広さんの手を見せてもらいました。

その手でこれまで何人の子を生み出してきたのでしょうか。
彫刻刀をはさむ小指には、その勲章である大きな豆ができていました。

「美しい村」、美瑛

2012年08月01日

世界には、一目で脳裏に焼き付いてしまうような光景がたくさんありましたが、
その中でも、10本の指には入るであろうと思える景観が、
北海道、美瑛町にありました。

この最後の写真「青い池」は、
アップル社Mac Book Proの壁紙にも採用された場所です。

この付近の湧水と、美瑛川の水が混ざることによって生まれる成分が、
この青さを放つ原因といわれていますが、
その美しさには引き込まれるような不思議な力がありました。

北海道のほぼ中央に位置する美瑛町は、
人口約1万人強の小さな町。

十勝岳の麓に広がる丘陵地帯で、
町は畑作によるパッチワーク柄で彩られています。

しかも、このパッチワーク柄、毎年彩りが変わるんです。

それは、麦・馬鈴薯・豆・ビートを輪作しているためで、
人と自然が畑作で織り成す光景といえます。

中でも、耕地面積の一番大きいのが小麦畑。

これまで稲作が主体となってきた日本では、小麦の栽培技術の遅れから、
外国産の小麦を増量するための用途にしか考えられていませんでした。

しかし、ここ美瑛で採れる小麦は現在、
国産ブランド小麦として注目を集めています。

中でも、今年から販売開始予定の「ゆめちから」と呼ばれる小麦は、
たんぱく質が15.5%と通常の外国産のものよりも高く、
「日本発 超強力小麦」として、もちもちパンの製造などで期待されているんです。

他にも、うどんやお菓子などで利用されている「きたほなみ」や、

種を春にまく、その名も「春よ恋」など。

同じようで異なる品種の小麦がたくさん生産されています。

今でこそ、こうして注目されつつある美瑛の小麦ですが、
ほんの7年ほど前まで美瑛の人たちは、
自分たちの町でこうした作物が生産されていたことすら知らなかったようです。

「美瑛には毎年、年間120万人の観光客が訪れています。
ただ、そのほとんどがバスの中から景色を眺めながら通過するだけ。
その観光客の方々に、少しでも美瑛に立ち止まっていただくために、
町の商工会の青年部などが中心となって、
美瑛産の小麦を使ったメニューを考えていったんです」

美瑛町の塚田副町長は、当時のことをそう振り返ります。

それまでは原料の供給基地として、
ひたすら一次産業に取り組み、小麦は小麦として出荷していましたが、
潮目が変わったのが2005年。

地元産の食材を使ったご当地グルメのプロデューサー、
ヒロ中田氏の「食による観光まちづくり」の講演が、
美瑛町 西森商工会長の心を掴みます。

それから、美瑛産の食材を調べるところから始め、
メニュー開発に取り組むこと約4カ月弱。

こうして生まれたのが、美瑛のカレーうどんです。

美瑛産の小麦を使ったうどんのカレーつけ麺に、
トッピングの野菜や豚のしゃぶしゃぶ肉、牛乳もすべて美瑛産。

なぜ、カレーうどんか?

それは、美瑛の北に位置する下川町が「手延べうどん」、
南の富良野町が「オムカレー」で有名なことから、
その間に位置する美瑛は「カレーうどん」というわけです。

その脈絡はともかく、つけ麺にした理由がまた素晴らしい。

美瑛町に唯一残る製麺屋さんで、
美瑛の小麦を使ってうどんを作ってみたところ、
くすんだ色のうどんが出来あがったんだそうです。

当時、世の中は讃岐をはじめとした、
透き通るように白いうどんが一般的ななか、
くすんだ美瑛産のうどんは敬遠されるのではないかと危惧されました。

ただ、それこそが美瑛産のうどんの特徴だとして、
カレースープの中に沈めてしまうのではなく、あえて外に出すことで、
美瑛産のうどんの特徴として知ってもらおうとしたわけです。

これが見事に功を奏し、
美瑛のカレーうどんとして定着し始めています。

甘くてコシのあるうどんの味は、
確かに他のうどんとは違う味がしました。

美瑛ではその後も新たな加工品が数々生まれていっています。

地元産の食材を使い、
それで生み出される食品の特徴は個性としてあえて強調する。

彼らは、そうした食を「新・ご当地グルメ」と呼び、
真の地産地消の社会を目指そうとしています。

こうした共通の目的のもと、観光街づくりを進めたことで、
今では官・商・農が一体となりつつあるようです。

帰りがけ、JAが運営するご当地食材店
「美瑛選果」に立ち寄りました。

その開放的な空間のお店づくりは、
北海道出身の建築家が手掛けるなど、
新たなコラボレーションも生まれつつあるようです。

自らの魅力・特徴を把握し、それを様々な形で表現・発信する美瑛町は、
正直、まぶしいほどでした。

あんこ

2012年07月31日

饅頭、羊羹、大福、どら焼き、おはぎ…。

日本を代表するような多くの和菓子には、
共通して「あんこ」が使われています。

Café & Meal MUJIの一部店舗でも、あんぱんが人気なのをご存じですか?

そこで使われている「あんこ」の生産現場、
北海道は十勝地方、池田町を訪ねました。

あんこの原料となる小豆は、
国内生産量の8割以上が北海道で作られており、
中でも十勝地方がその約半分を占めています。

夏の日照時間が長く、秋の涼しい気候、
そして、清流日本一にも選ばれたことのある札内川の軟水が、
良質な小豆を生み出すのです。

小豆は低温に弱く、冷夏の年は収穫量が落ち込みます。
そのため市場価格も変動しやすく、昔は投機商品の代表とされてきました。
「赤いダイヤ」と呼ばれるゆえんです。

一般にもハレの日の食べ物として、お正月や季節の節目に、
赤飯や小豆粥にして食べられてきました。
(ちなみに、北海道ではお赤飯には小豆ではなく甘納豆を入れるそう!)

このような小豆の食べられ方は、一面、合理性を持っています。

冬期、現在のように新鮮な野菜を口にするのが困難な時代には、
小豆に豊富に含まれるビタミンB1、B2、B6を補給することで、
健康維持、向上に繋がっていたのです。

また、小豆にはポリフェノールも多く含まれ、
抗酸化作用で病気の予防にも役立ってきました。

こうした働きを持つ小豆を、
かつて清流日本一にも輝いた札内川を源とする水を使い煮ます。

この煮加減で均一の柔らかさに仕上げるのが、職人の技。

畑によって異なる小豆の質を見極めながら、
絶妙の水加減や渋きりのタイミングが求められるのです。

そして、味付けにも熟練の技が活きています。

砂糖でも中ザラ糖と上白糖をブレンドしたもので味付けし、
わずかながらに塩を加えます。

それが甘みを際立たせる隠し味だそう。

極上のあんこの出来上がりです。

甘党の私も、その口当たり滑らかな優しい甘さのあんこに、
思わず舌を巻いてしまいました。

このお味は、
Cafe & Meal MUJIで販売中の「あんぱん」でぜひ、ご賞味ください♪


Café & Meal MUJI店舗一覧

一つ、この日の取材で興味深いものを見つけました。
あんこの生産者にお話を伺っている時に、出して頂いた飲み物。

麦茶かと思って頂くと、微妙に色に赤みがかっています。
そう、これ麦茶ではなく、水に小豆の粉を混ぜたものだったのです。

小豆の煮汁から成分だけを取り出して粉にした「小豆の素」を、
少量、水に混ぜただけで、小豆風味のドリンクに様変わり。

あんこを作る際に出る煮汁には、
前述した小豆の成分がたくさん含まれているようです。

これまで捨てられていた煮汁を見直し、価値あるものとして生まれ変わらせる。

まさに、無印良品。

十勝の大地の恵みが、十勝で加工され、十勝で食される。

その土地の自慢の食べ物を、その地で食べるのが
一番おいしいことを実感する毎日です。

明日は、美瑛町の取り組みについてご紹介します。

牛のミルク

2012年07月30日

青い空に白い雲、広大な緑の牧草地に赤い屋根の牛舎とサイロのある風景。
これぞ思い描いていた北海道の景色です!

北海道十勝地方は"酪農王国"と呼ばれ、
至るところでこのような景色を見ることができます。
せっかくなので、牧場に立ち寄ってみました。

こちらの牧場ではおよそ900頭の乳牛が飼われていました。
800kgの牛さんは近くで見るととても迫力がありますね。

食事中に失礼して、乳搾りを体験させていただきました。

人間の親指よりも大きな乳首を握ると、ぴゅーっとミルクが吹き出しました。
1頭の牛から1日平均30リットル(1リットルの牛乳パックが30本!)
のミルクが採れるというから驚きです。

本当だったら子牛が飲むためのミルクを私たち人間のために与えてもらっている…
当たり前のことですが、普段冷蔵庫から取り出したパック牛乳を飲んでいると
忘れてしまいがちなことです。

また、牛乳は栄養価の高い食品として古くから親しまれてきましたが、
そのままでは保存性に欠ける上、液体のため運ぶのにも不便であるために
水分を抜いて保存性と運搬性を高めたチーズが生まれました。

今度はそんなチーズが作られている、チーズ工房を訪ねました。

「共働学舎 新得農場」

共働学舎は、1974年に宮崎眞一郎氏首唱のもと、
心や体に不自由を抱える人たちとともに、競争社会ではなく協力社会、
さらには「自労自活」の生活を目指して、始められました。

新得農場は1978年に開かれた、
牛飼いからチーズづくりまでを一貫して行っている場所です。
もともとは牛乳の出荷だけだったのですが、それだけでは生活が成り立たず、
流行に左右されることなくスローペースで生み出せるものが何かを考え、
行き着いた先が当時ほかの酪農家が手を出していなかった、チーズづくりだったそう。

新得農場が教わったのはフランスに伝わる昔ながらのチーズづくりでした。
大切にしているのは「牛乳を傷めない工夫」。

搾ったばかりの牛乳を極力運ばなくて済むように、
衛生管理上、搾乳室とは通常50m以上離すのが常識の工房を23mの位置に作り、
搾乳室から工房まで自然の傾斜をつけて、
自然流下式のパイプラインで牛乳を流しています。

これが実現できているのは、牛舎の虫やニオイを解決するために
木造の牛舎に炭を埋めてマイナスイオンを高め、
牛のエサや寝床に粉炭と微生物を混ぜて、衛生管理をしているから。
確かに、よく牧場付近で香る、鼻をつく臭いがほとんどしませんでした。

また、チーズを熟成させるのに理想的な環境は、
湿度85~95%、気温8~12℃、マイナスイオンが十分にある場所だといいます。
新得農場では、その条件を整えるために鉄筋を使わずに、
札幌軟石を積んで、半地下の熟成庫を作ったそうです。

熟成庫に続く階段を下りると、途端に温度の変化を感じます。
同時にチーズの発酵する匂いがしてきました。

ズラリと並んだチーズ。
大きな固まりのチーズはなんだかカーリングの石のよう!?

こちらの工房で作られたチーズを食べてみました。
定番チーズ5種類の盛り合わせ↓

それぞれ見た目も食感も味も異なります。
左から2番目奥の「レラ・ヘ・ミンタル」と左から2番目手前の「シントコ」、
色の違いが分かりますか?

この違いは仕込みの時期と熟成期間の違いからくるそうです。
「シントコ」は青草が生えている6~10月の放牧時期にのみ製造しているため、
青草に多く含まれているカロチンが、チーズを黄色くするのです。

やはりチーズの原料であるミルク、さらにはミルクを生み出す牛が食べるもの、
そして牛が生活する環境までもが、チーズ自体に大きく関わってくるのですね。

オケクラフトセンターと秋岡芳夫さんのこと

2012年07月27日

2011年に目黒区美術館(東京)で開催され、
多くの来館者を呼び話題となった「DOMA秋岡芳夫展」。
その巡回展が、8月11日(土)から9月9日(日)まで、
北海道常呂郡置戸町(おけとちょう)の中央公民館で開催されます。
(一部の内容は変更されます。)
[Facebookページ]DOMA 秋岡芳夫 北海道置戸展

置戸町は、女満別空港から北見経由に車で約1.5時間のところにある
針葉樹に囲まれた人口3400人の小さな町。
かつてはその豊かな森林資源により建築材の産地として栄えたところです。
当時は馬が曳いていた丸太のソリを、今では力自慢の男たちが500kgの丸太を曳いて競い合う
"人間ばん馬"という夏祭りの競技でも知られます。

1983年、町の人々の呼びかけによって、工業デザイナーでありながら
地域コミュニティーで木工や手仕事の生産者教育を実践していた
秋岡芳夫さんは講演のため、この地を初めて訪れました。

その日から置戸町と秋岡さんの交流は、氏の亡くなる1997年まで続き、
裏作工芸としての木工クラフトだけでなく、
"モノ・人・暮らし"の関係を説いた暮らしの思想を
この地に根付かせることになりました。

「消費者から愛用者へ」「手の復権」といった氏の有名な言葉は
今も多くのファンの間に引き継がれています。

さて、少々前置きが長くなってしまいましたが、
これが今回私たちキャラバン隊が訪れた「オケクラフトセンター森林工芸館」。

ここは、秋岡さんが命名して始まった木工"オケクラフト"を紹介するだけでなく、
生産者を育てながら販売の拠点となっている場所。
木のぬくもりに心も安らぎます。

館長の北山雅俊さんが、展覧会の準備の忙しい中、その吸い込まれるような笑顔で
オケクラフトの歴史をとても丁寧に説明してくださいました。
お話を聞いていると、今もそこに秋岡さんがいらっしゃるよう。

まず秋岡さんは、年輪が均等に刻まれず建築材には使えない
アテ材と言われる偏芯材を使って、
この土地の人々が冬の間に裏作として従事できる木工を勧め、
エゾマツ・トド松の白い木肌と美しい木目を生かした
器や家具を生み出されていきました。

そして「都会の人が羨むような北国文化をここから発信しなさい」
という言葉の通り、瞬く間にその美しい木目と生産者の情熱によって、
オケクラフトの名は地域ブランドとして広まっていったのです。
館内にはその歴史を辿るアーカイブが数多く保管展示されています。

さまざまな素材や形状の美しい椀・皿・桶などが展示されており、
時間を忘れて、じっと見とれてしまいました。
秋岡さんの撒いた種が、たくさんの"実用の美"として育っているんですね。

これは、"ガッポ材"と言われる中が空洞になった木材を利用したチェア。
どっしりしていて、ぬくもりと味わいが何とも言えません。

また、秋岡さんは多くある著作の中で、
"暮らしの中のデザイン"についてのメッセージと多くの知恵を残しています。

たとえば、先人から引継ぎ残されている日本の寸法。
私たちが一番使いやすい箸の長さは、広げた親指と人差し指の幅の1.5倍なんだそう。
ちなみに私は21cm、夫は23cmでした!

著作の中では、人間の身体をモノサシにしてモノの長さを計る身度尺や、
日本の暮らしに根付くモジュールや黄金比についての記述が多く残されています。
「手で考えよ」とは秋岡さんがよく言われた言葉だそうですが、
手が握るものの寸法を決めるという考えから、
"椀の径は両の手にちょうどいい120ミリに"、
"ビール瓶や徳利は大人の片手に合わせて75ミリに"
といった具合に、人間がちょうどいいと感じるサイズを残してくれています。

センター内の工房では、実際に白木が美しい器に変わっていく様子を拝見。
また、じーっと見てしまいました…。

モノが生まれる現場を見ることは、生活者がモノを大事に使いたくなる原点ですね。
私たちの暮らしの周りにモノが生まれる場所があることそれ自体が、
とても大事なことであることを教わりました。

置戸で活躍する19の工房の皆さんによる作品をここで購入することができます。
中には左利き用のヘラもあり、さすがは生活者の視点。

それから北山さんに、隣にある"どま工房"という施設を案内していただきました。
ワークショップや語らいの場として、秋岡さんがデザインして作られた
"土間"のようなコミュニケーションスペースです。

なんと、北山さんから秋岡さん直筆の貴重なノートを見せていただきました。
幾つもある言葉の中に、「"ふだん"を討論しよう」というメッセージを発見!
"良いくらしを探す旅"を目指す私たち無印良品キャラバン隊にとって、
この言葉は特別なものになるような気がします。

中に入ると、秋岡さんが全国から集めた18000点もの手仕事道具や生活用具、
関連資料が保管されています。
企画展やワークショップの場として、今も利用されているとのこと。

秋岡さん愛用の"日本人の体格と暮らしに合う椅子"。
座面が38cmで、3つ合わせると長椅子になります。
椅子の上であぐらをかいてもゆったり。

そのほかにも、先人が暮らしの中で愛用した数々のモノが展示されています。

私たちはこれまで多くの土地を訪ね、
その風土に根付いた暮らしやモノづくりを取材させていただきました。
今回の訪問を通して学んだことは、その"暮らし"と"モノづくり"は
別々ではなく一体として考えなければならないということです。
これは私たちにとって、とても大きな気付きです。

身体性の復権と言われますが、手でモノを作るということを経験できているか否かで、
社会にある諸問題についても捉え方や感じ方が異なるのかもしれません。

この旅で出会った人達に共通する何かを、またひとつ探り当てることが出来ました。
(私たちはこれらを"違うようで同じもの"と呼んでいます)

帰路、北山さんに薦められて町の自慢の図書館に立ち寄りました。
置戸町生涯学習情報センターが正式名称のこの図書館には、
薪ストーブの暖炉風コーナーや、置戸町のクラフトマン達によるインテリアがいっぱい。

ここで一日中、好きな本を読んでいたい。
そう思うのは私達だけでしょうか?

"都会の人こそが羨むような文化"が、確かにこの町にありました。

ニセコで出会った「のむヨーグルト」

2012年07月26日

北海道ニセコ町の泊まった宿で出てきた"のむヨーグルト"、
かなり濃厚なのに後味スッキリ。

この味の秘密を探るべく、早速、生産者の元を訪ねてみることにしました。

「ミルク工房」

高橋牧場で搾られたばかりの新鮮な牛乳をたっぷり使用した、
アイスクリームやのむヨーグルト、シュークリームなどが作られている場所です。

現社長の高橋守さんの父親が高橋牧場を始めましたが、
牛が増えていくなかで、牛乳を捨てなければならないシーンを目にし、
なんとか牛乳の加工をしていきたいと考えるようになったそう。
そして1997年、アイスクリームのお店からスタート。

現在は、牧場を高橋さんご夫妻とご長男が、
加工品の工房をご長女とご次男が管轄されています。

「商品を食べた人がどんな場所で作られているのか見てみたい、
そう思ってもらえるような商品づくりを心がけています」

とご長女の裕子さんは、私たちの来訪を喜んでくださいました。

工房のすぐ後ろに広がる広大な草原には朝方、
高橋牧場の牛たちが放牧されているそうです。

「ここに来て、うちの牛を見てもらうと、
『牛って何も考えてなさそうでいいなぁ。ストレスなさそう…』
って言われるんです。それが私たちにとっての褒め言葉なんです」

広い大地でのびのび育った牛の牛乳がおいしいのも納得です。

また、高橋牧場の牛たちは、ニセコの水と
彼らのために用意された土で作られた牧草を食べて育っています。
広大な土地を有する北海道では、牛の餌を自分たちで作れるんですね。

「ものづくりの際には、牛乳の素材を最大限活かすようにしています。
それは生産者だからこそできることだと思うんです」

そう話す裕子さんは、実は小さい頃から
乳製品アレルギーを抱えていたといいます。
薬をつけ続けたけれど治らず、最後にはもう効く薬がないと
お医者さんに見放されてしまいました。

そこで食事療法に切り替え、徹底的に「食」に向かい合い、
薬で治らなかったアトピーを8年かけて克服しました。

だからこそ、裕子さんは、食のありがたさや
食品の安全性に対して、人一倍敏感なのです。

原料となる牛乳はもとより、
その牛乳を生み出す乳牛の餌までも選び抜いていること、
それが生産者だからこそ生み出せる味であり、
ミルク工房の"のむヨーグルト"のおいしさの秘密だということを知りました。

世界にひとつだけの椅子

2012年07月25日

子供が生まれたらプレゼントしたいものがあります。

それは、北海道旭川市近郊で作られる、
世界にひとつだけの椅子。

木でできた椅子は、温かみがあります。
ステンレスよりも傷つきやすいかもしれない。
でも、使った分だけ、時が刻まれる…そんな気がします。

「君の椅子」プロジェクト。

新しい市民となった子供たちに、
"生まれてくれてありがとう"の想いを込めて
居場所の象徴としての「椅子」を贈る取り組みが
北海道旭川市近郊の3つの町(東川町・剣淵町・愛別町)で
2006年から行われています。

「子供が生まれたことを共に喜び合える地域社会を作りたいと思ったんです。
子供は地域社会の宝ですからね」

そう話すのは、「君の椅子」プロジェクト代表の
旭川大学大学院の磯田客員教授。

なぜ椅子なのでしょうか?

子供の椅子は一見すぐに使えなくなってしまうようにも思うのですが、
椅子は座る機能だけではないと、磯田教授はいいます。

例えば、絵本を置くのに使ったり、踏み台として使ったり。
子供の成長に合わせて用途は変わりますが、
日々の暮らしにそっと寄り添いながら、子供の成長を見守っていく椅子は
"思い出の記憶装置"なんだそう。

また、この「君の椅子」プロジェクトは
コミュニティ形成に加えて、
産業振興、ものづくりの観点での目的もあるのです。

もともと旭川市近郊で盛んな旭川家具の技術を活かしたいと、
毎年椅子づくりを地元の工房作家や家具メーカーに交代でお願いしています。

2009年からは全国の誰もが参加できる、「君の椅子倶楽部」が発足。
これにより、3つの町と「君の椅子倶楽部」に参加した方の
新生児分の椅子が旭川市近郊で作られています。

この「君の椅子」プロジェクトにいち早く参加の意思を示したのが、
古くから「写真の町宣言」をして町づくりを行う、東川町。

「東川町は北日本で3番目に大きい旭川市に隣接していて、
旭川空港まで約10分、旭山動物園に日本一近い町だし、大雪山もある。
こんなに条件がそろっている町が活性化しなかったら、他の町は無理ですよ」

そう話す松岡町長の元では、次々と新しいアイディアが生まれています。

例えば、2005年からは新しい婚姻届を採用。
入籍の際には、夫婦になった瞬間の写真を撮影してプレゼントし、
記念のメッセージシートにメッセージを残し写真と共に
保管しておける形の婚姻届です。

用紙の文字の色ひとつとっても、ピンク色でなんだかそれだけでも
ハッピーな気分が増すものです。

「君の椅子」プロジェクトについて、松岡町長に伺いました。

「この椅子は、親から子へ伝えていけるもの。
昨年の東日本大震災の際には、我々にできることは何かを考えた結果、
3月11日に生まれた子供たちに形に残るものをプレゼントしよう
ということで、私も福島に椅子を届けに行ってきました」

2011年3月11日、2万人近い方が亡くなられたあの日、
一方で新しい命が誕生しました。
しかし、その数は誰も統計をとっていませんでした。

「君の椅子」プロジェクト代表の磯田教授は
東川町の松岡町長、剣淵町・愛別町の各町長と相談して、
被害の大きかった岩手県・宮城県・福島県の全128市町村に
「あの日、あなたの町で何人の子供が生まれましたか?」
という手紙を出しました。

ダメもとで送った手紙には続々と返事が寄せられ、
あの日、3県で104人の赤ちゃんが生まれていたことが分かりました。

こうして作られたのがもうひとつの「君の椅子」、
"希望の「君の椅子」"でした。

ひとつひとつの椅子の裏には、
"希望の「君の椅子」"のロゴと名前、誕生日、各県のシリアルナンバー、
そして「〜たくましく未来へ〜」という文字が刻まれています。

今回、椅子の制作をしたのは、東神楽町にある株式会社匠工芸。

設計を担当した業天さんは

「今回の椅子づくりはものづくりの原点を思い出させてくれました。
あの椅子を作れれば、何でも作れるんじゃないかと思うほど」

と振り返ります。

ひとつの椅子を作るのに11個のパーツが使われ、
パーツの接続には、10本の竹釘を使ったそうです。

「私たちには、遠い森からはるばるやって来た木に
かけ心地のいい椅子としての、
あるいは使いやすい収納としての新しい人生を授け、
未来へ船出をさせてやる責任があると思っています」

匠工芸の桑原社長がものづくりへの想いを語ってくださいました。

「木はぶつけると傷つき、乱暴に扱うと機嫌が悪くなる。
でも大切に扱うと素直になるし、心をかけると思い通りに美しく育ってくれる。
まるで子供のようなんです」

世界にひとつだけの「君の椅子」は
発案者の想い、町の想い、そして作り手の想いがひとつになり、
形となって子供たちに届けられているのです。

子供たちへのメッセージはひとつ。

君の居場所はここにあるからね。
生まれてくれて、ありがとう。

君の椅子プロジェクトは、くらしの良品研究所・小冊子でもご紹介しています。
くらし中心 no.06「手渡すこころ」(PDF:10.3MB)

また、『君の椅子』プロジェクト展(Living Design Center OZONE)が、
2012年8月21日(火)まで東京都新宿区で開催中です。
※「君の椅子」プロジェクト展は、2012年9月4日(火)まで会期が延長になりました

素材の味

2012年07月24日

お酒のおつまみと言えば、何を思い浮かべますか?

するめ、さきいか、あたりめ、イカの燻製など、
その多くがイカから作られていることに気付きます。

縄文時代の遺跡にコウイカ類の貝殻が多く出土していることから、
日本には少なくとも約1万年前からイカが食べられてきた歴史があるようです。

そんな深い歴史を持つ日本ゆえに、先述の乾珍味から、
刺身や寿司ネタ、イカの塩辛・沖漬などの生珍味まで、食され方も様々。

その加工のされ方によって、味や好みが変わるといっても過言ではありません。

イカは、イタリアやスペインなど一部の地中海沿岸の地域と、
東南アジア・東アジアの国々で昔から海の幸として食されていますが、
その消費量の約半分は日本が占めているんだとか。

ひと言でイカと言っても、
体長わずか25mmのヒメイカから、15m以上のダイオウイカまで。
その種類は450種ほどに及びます。

なかでも、世界の漁獲量の約80%を占め、
我々が多く口にしているのが「スルメイカ」。

「函館では朝から軽トラックが獲れたてのイカを売り回るため、
朝の食卓には当たり前のようにイカ刺しが並ぶんですよ」

そう教えてくださったのは、
無印良品「甘酢いか」「いかあしカルパッチョ」の生産者の山川さん。

「函館近海のイカは青年の年頃。
いわゆる、美味しい食べ頃のイカが獲れるんです」

山川さんがそう言われる根拠は、
日本近海のスルメイカは、主に九州より南海で秋~冬に生まれ、
主に日本海の対馬暖流、一部は太平洋の黒潮に乗って北上します。

北上しながら小さなプランクトンやイワシなどの魚を食べて成長し、
函館近郊に辿り着く頃には、十分に肉厚となるわけなのです。

こうして収穫された食べ頃の新鮮なイカを加工して作られるのが、
山川さんたちの製造する皮つきさきいか「函館こがね」。

ヒレ、胴体、足の3分割にされた部位のうち、
胴体部分をひらいて味付けし、焙焼の上、引き裂いた品です。

工場内には、焙焼されたイカの芳ばしい匂いが漂っており、
食欲をそそられます。

一方、足部分を使った商品で、
今から14年ほど前に無印良品で考案されたものが「甘酢いか」。

イカを使った新たな珍味が作れないかと、共同で開発された商品で、
当時は、酢に漬けたイカに対して半信半疑であったそうですが、
今やイカ珍味の定番となりました。

また、「いかあしカルパッチョ」は、
アメリカ大アカイカと呼ばれる、大きなイカを使った逸品で、
やわらかいアカイカの繊維を活かした逸品です。

どれも癖になる味わい。
イカは低カロリー、低脂肪なところもうれしいですね。

「できるだけ素材そのものの味を引き出すようにしています。
なぜなら、素材そのものの味は飽きがこないから。
お米を毎日食べていても飽きないのは、
そんな理由からじゃないでしょうか?」

山川さんのおっしゃる言葉に、
思わず首を縦に振っている自分がいました。

素材の味は、ひと言では言い表せません。
是非一度、ご賞味ください♪

あま~いトマト

2012年07月23日

北海道の大地で、
それはそれはとても甘いトマトに出会いました。

北海道余市町(よいちちょう)にある
「中野ファーム」でつくられる、高糖度トマトです。

「糖度は9%以上ありますよ。
そのためにトマトには厳しい環境を強いていますが(笑)」

優しい笑顔で迎えてくれたご主人の中野勇さんがそう話す通り、
ここのトマト栽培法には、いっぷう変わった特徴がありました。

まずは農園の環境。

眼下に日本海を拝む丘陵地帯で、
日本海からはミネラルたっぷりの海風が吹き上げ、
太陽が沈むまで、いっぱいに光を浴びることができる環境です。

朝晩の寒暖差も激しく、土壌は水はけの良い赤土。

この環境が、
トマトのルーツといわれる南米アンデス地方と類似しているんだそう。

かの永田農法で有名な永田照喜治氏にも、
「日本で最もトマト栽培に適した場所」と言わしめた場所なのです。

最も特徴的なのは、その栽培方法にあります。

それは、
トマトには最低限の水しか与えないこと。

そうすることによって、
わずかな水分を求めて地中に根を張り、空気中から水分を吸いこみ、
トマト自身の力で、必死に生きようとするのだそうです。

生きようとするトマトは、体内に糖分を蓄えるため、
赤くて果実の甘みが高くなるというわけです。

これは、永田農法と呼ばれる、必要最低限の水と肥料しか与えず、
植物本来の生命力を引き出す作物の育て方です。

ただ、水が足りなすぎると枯れたり、しおれてしまうため、
常にトマトの状態を見てあげなくてはならない、
とても手間のかかる農法と言えます。

実際、"尻焼け"と呼ばれる状態になってしまうトマトも。

ただ、中野さんいわく、この尻焼けしたトマトこそ、
甘くて美味しいトマトの証拠なんだそうです。

逆に言うと、尻焼けしたトマトができるぐらい、
ギリギリの水分量で育てるということです。

なんと厳しい育て方…

しかし、こうして育てられたトマトは、
甘くて、実がギッシリ詰まった、とても濃厚な味がしました。

ただ、このトマト、果実としては出しておらず、
すべてはトマトジュースとして出荷されているんです。

厳しい栽培法により、形よりも美味しさや糖度を追求しているためで、
ジュースとなってもその味はまるでトマトを丸ごと食べているかのよう。

甘くて濃厚でありながら、爽やかな喉ごしは、
飲むだけで健康になったような錯覚を覚えるほどです。

「美味しいトマトを届けたい。
手間のかかる農法ですが、その想いでやっています」

人間は自然にはかなわない。
だから、大地の力を最大限に活かすのですね。

  • プロフィール MUJIキャラバン隊
    長谷川浩史・梨紗
    世界一周の旅をした経験をもつ夫婦が、今度は日本一周の旅に出ました。
    www.cool-boom.jp
    kurashisa.co.jp

最新の記事一覧

カテゴリー