MUJIキャラバン

「石川」カテゴリーの記事一覧

木を操る、木地師

2014年01月22日

国土の約3分の2が森林といわれる日本では、
古くから木の恩恵を受けて、暮らしてきました。

その一つが木器。
木器は、その製法によって大きく5種類に分けられます。

板材を組み合わせて作る「指物(さしもの)」、
薄板を曲げて作る「曲物(まげもの)」、
刀やノミなどで木を刳(く)り抜いて作る「刳物(くりもの)」、
短冊状の則板を円筒状に並べて竹などで作ったたがで締めて、
底板を取り付けて作る「結物(ゆいもの)」、
そして、轆轤(ろくろ)を用いて作る「挽物(ひきもの)」。

挽物といえば、汁碗などに多く用いられますが、
日本におけるその一大産地が、石川県加賀市にある山中温泉地区です。
ここは全国の挽物産地の中でも、群を抜いた職人の規模や質を誇ります。

山中温泉地区の挽物産地としての歴史は400年以上にわたり、
安土桃山時代に、良木を求めてやって来た木地師たちが
山中温泉の上流の村に移住したことから始まったといわれています。

「各地の木地師がいなくなってきてしまっているなか、
挽物について学ぶにはここしかないと思いました」

愛知県出身の田中瑛子さんは、高校時代から漆器に興味を持ち、
地元の大学で漆芸を専攻します。
しかし、実際に塗りをやってみると、立体を作る方が好きということに気付き、
大学卒業後に、全国で唯一、挽物轆轤技術を専門的に学べる山中の研究所に入所。

そして7年間研修所と師匠のもとで学び、2012年に木地師として独立されました。

「他の産地は器に対して木の繊維が並行に入った
"横木"(写真下右)を使うのが一般的ですが、
山中は繊維が垂直に入った"竪木"(写真下左)を使うのが特徴なんです」

田中さんいわく、竪木取りの特徴は歪みが少なく、
お椀や茶筒などの高さがあるものを作る場合に
薄挽きにしても縁が強く欠けにくいので軽く仕上げることができるそう。

ただし、竪木は木の半径の幅までしか使えないので、
大きいものを作るためには、大木が必要になるんだとか。

木地師の技は鍛冶仕事から始まるといい、
ベースとなるカンナを曲げられるようになるまで、数年はかかるといいます。

ベースの形はみんな一緒なのですが、
ちょっとした角度などは個人の癖や体型にあわせて変えるので
自分にベストなものを曲げられる様になるのに苦労するそう。

道具づくりが終わると、ようやく挽きの作業。
ここでも山中という産地だからこそのシステムがある、と田中さんは話します。

「山中には、木地屋さんが共同出資して作った製材組合があり、
原木の仕入れから"荒挽き"といわれる状態まで加工してくれています。
私は"荒挽き"を仕入れて、これをさらに加工していきます」

工房内には、ぎっしりと"荒挽き"が積まれていました。
荒挽きを専門に作る作業所があるので、
木地をよりスムーズに周期的に生産することができるのです。

「木地の仕事はマイナスなんです。
削っていって一番いい形になるのは一瞬だから、緊張感を持ってやりますね。
私たちの仕事は"早く、きれいに、揃っている"というのが腕の証。
いかに一瞬で形を見切りサッと決めるかが重要ですが、
日々の訓練のなかで、体で覚えていき、同じものがいくつも作れるようになります」

田中さんがカンナを巧みに操ると、
シャーシャーと音を立てながら、きれいに表面が剥けていきます。

一見、力のいる作業に見えますが、カンナの角度がうまく合っていれば、
力を入れなくても自然に削れていくんだそう。

さらに小刀を使って表面を削いでなめらかに。

すべすべお肌の可愛らしいフォルムの出来上がりです!

「木の個性を感じながら挽くのが楽しいです。
木目は二つとして同じものはありませんから。
こうした木目を楽しめるのは、木地師ならではの特権ですよね」

作家としての一面も持ち、漆塗りの工程までこなす田中さんですが、
その作品からは、木地師らしさがにじみ出ていました。

というのも、どれも木目の面白さを感じられる作品ばかりなのです。
田中さんは珍しい木目の材木を見つけるたびに、ストックしていき、
木の味を楽しめる作品を作り続けています。

そんな田中さんに今後の目標を伺いました。

「何があっても作り続けていきたいと思っています。
先生たちや師匠が長年研究してきた技術を引き継いでいるわけだから、
その技術のレベルをきちんと次に伝えられるようにしていきたいですね」

そう話す田中さんの作った木地は、大半が県外の塗り師へと渡り、
最終的に全国のお客様の手元に届いているそうです。

「職人としては、お客さんの手となり自分の意思を消して効率と均一を意識します。
作家としては、いかに自分を木で表現するかを大切にじっくり木に向かいます。
木を挽く姿勢としては正反対なものですがどちらも重要。
私の中ではどちらもあるからバランスが取れているのかもしれません」

私たちが普段触れている汁碗などは、
木と向き合い、それを操る木地師によって、
木に新たな息吹を与えるところから始まっていることを改めて知りました。

【お知らせ】
MUJIキャラバンで取材、発信して参りました生産者の一部商品が
ご購入いただけるようになりました!

その地の文化や習慣、そして生産者の想いとともに
産地から直接、皆様へお届けする毎月、期間限定、数量限定のマーケットです。

[特設サイト]Found MUJI Market

職人たちの作りだす、無印良品「ボーンチャイナ」

2012年05月25日

磁器は英語で「チャイナ」と呼ばれるように、そのルーツは中国。

中国から日本へと伝わった磁器は、有田や多治見、瀬戸、先述の九谷と、
日本各地で作られるようになり、やがてそれは海を渡るようになりました。

一方、磁器に適した陶石が採れなかったイギリスでは、
ボーンアッシュと呼ばれる牛骨灰を混ぜた陶器が開発されます。

それが「ボーンチャイナ」の由来のようです。

イギリスのウエッジウッドに代表されるように、高級洋食器として知られていますが、
その特徴は、光に当てると生地が透けるような高い透光性を備えています。

無印良品でも展開されている、この「ボーンチャイナ」。

今回はその生産地、石川県白山市を訪ねました。

ここは、原料加工→生産→出荷までを一手に担う、
国内では希少な生産工場です。

均一の品質を保つべく、原料加工やロクロ成形など、
機械が担える部分は機械が行っていますが、
驚いたのが、手作業による工程が想像以上に多いこと。

検品はもちろんのこと、難しい形の成形やうわぐすりがけまで、
多くの工程が人間の手で行われていました。

「人間の目は、最高のセンサーですから」

そう話すのは、陶磁器事業部の西岡さんと剱持さん。

「Made in Japanのものづくり体制として、
大量生産型ではなく、多品種少量生産型を基本に据えています。
それに対応するためにも、やはり人が担う役割は大きいんです」

そんな人の技術が重要視される工場ゆえに、
人の成長を促すための仕組みも準備されていました。

金バッジホルダーの従業員はシニアマイスター、
銀バッジホルダーの従業員はジュニアマイスターと呼ばれるそうです。

同じ作業の繰り返しの中でも、こうした明確な基準を定めることによって、
従業員のモチベーションを高めることにつながるのだと思います。

そして、何よりも追求されているのが、安全性。

人の目を通した徹底した検品体制はもちろんのこと、
安全性を担保したうわぐすりを利用するなど、
長く使い続ける食器ゆえに、安全面には徹底して力を入れているそうです。

最後に、生産者代表として、お二人の大切にしていることを伺いました。

「本質を追究することです。対症療法ではなく」
と西岡さん。

「ウソをつかないことです」
と剱持さん。

Made in Japanのクオリティは、お二人のようなものづくりに対する
真摯な姿勢から生み出されていることを知りました。

それにしても、これだけ人の手を介して、安全面を担保しながらも、
無印良品のボーンチャイナシリーズの価格を実現できているのは、
生産者の努力の賜物だと感じました。

店舗でボーンチャイナを見かけたら、
こんな国内生産者のことを思い出してみていただけたら幸いです。

金沢市のMUJIの意外な人気商品とは!?

石川県では、北陸の中核都市・金沢市内にある、
無印良品 めいてつ・エムザ店にお邪魔しました。

入り口を入ってすぐに目に入ったモノとは…

なんと傘やカッパなど、雨除けグッズです!

そう、ここめいてつ・エムザ店での人気商品は、
これらの雨除けグッズなんです。

金沢市内の中心地に位置する百貨店内の、
1F入り口付近に店舗を構えていることもあって、
急な天候変化にも、すぐ応えられるというのもあるかと思いましたが、

「弁当忘れても、傘忘れるな」

といわれるほど、石川県は雨が多いようなんです。

事実、石川県の降水日数は163日で全国4位。
(総務省統計局 『社会・人口統計体系』2009年)

ちなみに、富山県は170日で全国2位、福井県は161日で全国6位と、
北陸はもともと、雨の多い地域なんですね。

そんな雨の多い金沢市内では、
バスや電車の乗降口や、市内の各所に自由に使える傘が置いてありました。

この2009年から始まっている『eRe:kasa』と呼ばれるプロジェクトは、
金沢の街に『自由に使えて自由に返せる置き傘を』をコンセプトに、
本来だったら捨てられるはずだった忘れ物の傘などを利用し、
もう一度、大切に使うことによって、ゴミを減らす試みのようです。

雨の多い都市ならではの、素敵な取り組みですね。

ちなみに、無印良品には「しるしのつけられる傘」なんて逸品もありました。

これなら、どこかに忘れた時も見つけやすく、
傘の取り間違いなんてことも起きにくくていいですね♪

それにしても、店舗ごとの人気商品にも、
やっぱり、その土地柄が出るものです。

さて、他の店舗にはどんな人気商品があるのでしょうか!?

進化する伝統工芸、九谷焼

2012年05月24日

この旅で初めて触れた焼き物は、栃木県の益子焼。

ろくろでの成型に苦戦した記憶がまだ鮮明に頭をよぎるなか、
次に触れた焼き物は、石川県の九谷焼でした。

2012年2月にFound MUJI青山で催された
"日本の10窯"でも取り上げられた焼き物です。

益子焼は陶器に対して、九谷焼は磁器。

以前のブログ「益子焼を体感!」(栃木編)でも記しましたが、
陶器の主原料は粘土で、厚手で重く、熱を伝えにくい性質を持ち、
磁器の主原料は陶石で、薄手で軽く、熱を伝えやすい性質を持っています。

九谷焼は、かつての九谷村(現在の石川県加賀市)で、
良質な陶石が見つかったことを機につくられ始めたようです。

現在でも、石川県小松市で採掘される花坂陶石が原料に使われていますが、
その色は、一般的な磁器よりも若干、黒みがかっています。

そこに、五彩(緑・黄・赤・紫・紺青)をのせて彩るから、
その色彩はとにかく鮮やか!

デザインも、古九谷から始まって、
木米、吉田屋、飯田屋(赤絵)、庄三、永楽(金襴手)と、
伝統的なスタイルは時代ごとに6種類ありますが、

(写真は永楽以外の5種類)

伝統スタイルだけにとどまらないところが、九谷焼のすごいところ。

写真のように、今でも数々の新しいデザインが生み出されているんです。

さらには、土鍋や、

ミルクホルダーといったところにまで!

九谷焼の領域はとどまることを知りません。

このように進化する伝統工芸は、どのようにして生まれるのでしょうか?

「五彩を使える九谷焼は、クリエイターの創作意欲を掻き立てるのでしょう。
さらに、若手であろうと抜擢されるチャンスがありますから。
県営の九谷焼の研修所が造られて、県外からも生徒が集まっていますよ」

今では親子2代で、九谷焼の進化を促している、
九谷焼の製造元卸である、北野陶寿堂の北野義和社長はそう語ります。

他にも、九谷焼に携わる多くの若手作家を見かけました。

「"ジャパンクタニ"と海外で称賛される九谷焼で、
これからも面白いものを仕掛けていきたい。
そのためには、顧客からの要望も重要で、できるだけ受け入れていきたいです」

息子の広記さんも、そう意気込みを語ります。

実際、九谷焼の銀彩が施された「骨壺」は、
顧客からの要望から生まれたものだといいます。

親から子、親方からお弟子さんへ伝統が引き継がれ、
そして、新しい感性で伝統が進化していく。

伝統工芸の一つの展開の仕方を、九谷焼から見たような気がします。

その土地に根ざして生きる、ということ

2012年05月23日

日本初の世界農業遺産として認定された、「能登の里山里海」。

1004枚あるという能登の白米千枚田では、
実際に今でも米づくりが営まれています。

能登ではこうした美しい自然との出会いだけでなく、
とても印象に残る人たちとの出会いもありました。

まずは、能登半島の北部、珠洲(すず)市で出会った、
伝統的な塩づくりを守り続ける角花さん親子。

揚げ浜式製塩法という、この辺りだけに残っている塩づくりの方法は、
塩田に汲み上げた海水を打桶で霧のように撒き、天日で蒸発させ、
乾いた砂に海水をかけてろ過し、さらに平釜で焚くという製法です。

雪の降りしきる冬や、雨の日にはつくることができません。

海水を原料に、浜辺の砂、廃材の薪を使ってすべて手作業で作られるこの製法は、
今でこそエコともいわれますが、塩の専売制が敷かれている時代にも、
角花家では代々、守り継がれてきました。

「この家に生まれたからには、この揚げ浜式の塩づくりを
守っていきたいと思っています」

そう語る6代目の洋さんは、伝統製法を守りながらも、
新しい試みにも取り組み始めています。

洋さんの開発した「塩のジェラート」。

甘さの中にも、海の香りがいっぱいに広がる味でした。

そんな洋さんが、ふらっと訪れるという能登のレストランが、
民宿兼レストランの「民宿ふらっと」。

かつて日本三大民宿に数えられた「さんなみ」の後を継ぎ、
今は娘の智香子さんご夫妻が、新しい民宿を運営しています。

夫のベンさんはオーストラリア人で、イタリア料理のシェフ。
智香子さんがオーストラリア滞在中に知り合い、
能登にまで仕事を辞めて追いかけてきたんだそう!

そんなお二人のレストランでは、
能登の食材をふんだんに使ったイタリア料理が味わえます。

大吟醸粕を使ったこちらのスープ、

うまみを引き出すために、能登の調味料「いしり」(魚醤)が入っています。

また、毎朝手打ちしてつくるというパスタには、

山菜「こごみ」と能登の保存食「こんかいわし」が使われていました。

「この場所だからできるイタリア料理をつくりたい。
ここで採れる食材を使って、能登テクニック(=発酵)でね」

こうした料理からも、能登に見事になじんでいるように見えるベンさんですが、
実際、日本文化や能登の生活に慣れるのは大変だったのではないかと伺うと、

「ベンさんは、文化を受け入れるんではなくって、文化に入っていったんです。
お盆は率先してお墓の掃除をしてくれたり。
今では、近所のおばさんに能登の郷土料理のつくり方を聞かれるんですよ」

お二人によって、能登に新しい風が吹いているのは間違いありません。

外からの視点で、能登を活気づけている人たちといえば、
この方たちのこと抜きに語れません。

先日お邪魔した、高澤ろうそくさんからも、
「能登を知るのに欠かせない人がいる」
とご紹介いただいて、お会いしたのが萩野ご夫妻。

萩野さんご一家は、8年前に東京から
能登半島の三井町市ノ坂(みいまちいちのさか)
という集落に移住してきました。

新しい土地に暮らすなかで、自然の豊かさから学ぶことはもちろん、
毎日出会う農家のおじいちゃんやおばあちゃんから、
里山くらしの知恵を教わったといいます。

そして、自分たちの学びをもっと多くの人と共有したいと、
里山にある豊かさを「食、農、自然、伝統、教育、健康、福祉、アート」
などの切り口で楽しみながら学ぶ、参加型のワークショップ、
"まるやま組"を企画・運営しています。

例えば、奥能登に古くから伝わる「アエノコト」という行事。

目に見えない田んぼの神様をお迎えして、
1年の感謝や豊作の祈願をする農耕儀礼です。

毎年、収穫の終わった12月に、各農家が神様を自宅に迎え入れ、
お風呂にご案内したり、ご馳走を振る舞ったりするそう。

まるやま組では、各農家のアエノコトを見学させてもらい、
自分たちでもオリジナルのアエノコトを行いました。

老若男女、様々なバックグラウンドを持った人々が一緒に集い、
アエノコトのご馳走をつくって食べて。

「当たり前に口にしている食べ物が、どこで、誰によって、
どのようにつくられているのかが見えにくい時代。
つくる人と食べる人、里山で暮らす人と街の人、
小さな人と人とのつながりが、
大きな何かを変えていく時かもしれません。

本来、家単位で行ってきた農耕儀礼ですが、
ワークショップに参加した人のつながりたいと思う気持ちが、
人と人に家族のような絆をつくり、
そのことが里山と新しい形で向き合うきっかけになって欲しいと思います」

そう、萩野さんは語ってくださいました。

伝統的な塩の製法を守り続けながらも、
その延長線上で新しい試みに挑む角花さん親子。

民宿という親の遺伝子を引き継ぎながらも、
能登の伝統食材とイタリア料理を掛け合わせ、新しい風を吹かせる智香子さんご夫妻。

外からの視点だからこそ感じる能登の魅力を、
今に伝えるための活動に取り組む萩野さんご夫妻。

皆さんに共通していえることは、
それぞれの立場で、能登に根ざして活動しているということ。

その土地に根ざして生きるというのは、
必ずしもその土地生まれじゃなくても、
心の持ち方、視点の捉え方次第でできる、ということを知りました。

キャラバンに対しても、多くのヒントを得た気がします。

能登には、必ずまた戻ってきたいです。

2人の野菜プリンス

2012年05月22日

能登半島に囲われるようにして存在する能登島に、
全国のレストランから注目を浴びている農園があると聞きつけ、
突撃訪問して参りました。

突然お邪魔したにもかかわらず、快く会っていただいたのが、
高農園を経営する高利充さん。

日本でも希少な赤土の土壌でつくられる、高さんの野菜は、
今や全国200軒のレストランから引き合いがあるそうです。

能登島で唯一、有機認証を受けながらも、

「近隣の農家が農薬を使っていれば、それが飛散してくることもあるので、
無農薬野菜とは呼んでいないんです」

と言うほどの正直さ。

高さんから頂いた野菜は、
野菜そのものの味が口の中でしっかりと広がりました。

ほんのわずかな出会いにもかかわらず、
高さんの誠実さには心打たれるものがありました。

「金沢に加賀野菜のプリンスと呼ばれる人がいますよ」

そう高さんに紹介いただいたら、行かないわけにはいきません。
向かった先は金沢市近江町の「北形青果」。

80年以上の間、加賀野菜を取り扱う八百屋の、
4代目を務めるのが北形謙太郎さんです。

ところで、加賀野菜って一体何なのでしょう?

「○○県では○○野菜、といった大規模産地ブームとは相反して、
金沢では昔から、在来種を使った様々な野菜がつくられてきました。
四季折々で、地元の人に親しまれてきたのが加賀野菜です」

そう話す北形さんのお店の店頭には、
今が旬の大きなたけのこや、

加賀太きゅうりが、強烈な個性を放ちながら並んでいます。

シーズンも終わりに差し掛かったれんこんや、

さつまいもは、均一な大きさごとに分けられ、大きく棚を占拠していました。

加賀野菜の品種は、今では15種にも上り、
旬ごとに、店頭を彩る野菜が違うようです。

そして、それぞれの野菜によって、
幾通りかの地元特有の食べ方があるのも加賀野菜の特徴。

「加賀太きゅうりはだし汁にさっと通して、あんかけで食べるのがお勧めです。
夏には、金時草を使ったおひたしで、夏バテ防止、
冬には、加賀れんこんを使ったれんこん団子汁を食べれば、体が温まりますよ」

こんなふうに、店頭で食べ方まで提案してもらえるんです。

季節ごとに旬の野菜を食べて、厳しい気候を乗り越える。
金沢では、昔ながらの生活の知恵が、今でも生活に根付いていました。

当たり前のように食べたい野菜を食べたい時に買っていた私たちは、
今まで野菜の旬などを意識したことなどほとんどありませんでした。

でも、当然野菜には収穫時期があって、
そこには自然の摂理に基づいた効能もあるんですよね。

このように、地場でつくられた旬の野菜が八百屋に並び、
地元の人が、「旬がきたわね~」とその野菜を買っていく姿こそ自然で、
あるべき光景なのだと思いました。

地産地消とは、まさにこういうことを言うのでしょうね。

「あかり」のある、くらし

2012年05月21日

先日、世界各地で観測された「スーパームーン」
みなさんはご覧になりましたか?

月が地球に最も接近する時と満月が重なった日、
私たちにとって驚きの出来事が起こりました。

ブログを書くために、偶然入ったカフェでのこと。

旅人が好きそうなカフェだなぁ…。

そう思っていると、そのお店のオーナーから驚きの一言が飛び出しました。

「僕、お2人にインドで会いましたよ!」

なんと!!!
2年前の世界一周の旅の途中に、インドの宿ですれ違った人だったのです。
こうした出会い、再会があるから旅はやめられません。

いつもよりも明るい、月のあかりに照らされながら、
「人と人との出会いは必然なのかもしれない…」
そんなことを感じました。

奇跡的な再会を果たした石川県七尾(ななお)市では、
もうひとつの「あかり」との出会いがありました。

明治25年から、七尾で"和ろうそく"をつくり続けている
「高澤ろうそく」さん。

七尾は信仰心のあつい土地柄であることと、
七尾港が栄えていたために、原料や和ろうそくの運搬が可能であったことから
ろうそく生産が古くから盛んだったそう。

ところで、"和ろうそく"ってどんなものかご存じですか?

もともと仏事での利用がメインの和ろうそくは
もしかするとあまり身近ではないかもしれません。

私たちが普段バースデーケーキの上に使ったり、
アロマキャンドルとして使ったりしているのは、西洋ろうそくです。

ろうそくには"和ろうそく"と"西洋ろうそく"があり、
それぞれ原料が違うんです。

石油を分留して作られるパラフィンロウを主な原料にするのが、西洋ろうそく。
一方の和ろうそくは、ハゼノキの果実からとった植物性のロウを原料にしています。

それから、西洋ろうそくは木綿糸製の灯芯を使うのに対して、
和ろうそくは、棒状にまるめた和紙にイ草を巻き付けた灯芯を使います。

和ろうそくの灯芯は太く、また芯の中心が空洞なので、
和ろうそくが燃えている間も、常に灯芯から酸素が供給され、
最後まで大きな炎で燃え続けるのが特徴なんだとか。

また、油煙(すす)の出が少ないのも良いところだそうです。

この和ろうそくをもっと身近に、
仏事以外にも"あかり"として使ってもらうために、
「高澤ろうそく」では様々なろうそくを展開されています。

5年以上の月日をかけてようやく開発した、モダンなろうそく「ななお」や、
菜種油のロウからできた「菜の花ろうそく」に、
米ぬかを主原料にしている「米のめぐみろうそく」など。

「うちでは、ごはんの時にろうそくを灯すんですよ。
子供が100点とったら、朱色のろうそくを使ったり。
ろうそくのあかりの方が人との距離が縮まるんですよね」

と若女将は話してくれました。

確かに、ろうそくのあかりは心を和ませてくれたり、
人の距離をグッと近づけてくれたりする力があるように感じます。

その昔、親友が失恋をした時に我が家に集まって、
ろうそくを灯して話をしたことがあり、
心が落ち着けたと同時に、私たちの絆もより深まったことを思い出しました。

花嫁のれん

さて、この高澤ろうそくの店内を見ていると、女将さんが一言。

「今、花嫁のれん展もやっているから、見てってくださいね」

え? 花嫁のれんって何ですか??

加賀・能登の庶民生活の風習の中に生まれた独自ののれんで、
幕末から明治時代初期より、花嫁が嫁入りの時に「花嫁のれん」を持参し、
花婿の家の仏間の入り口に掛け、花嫁がのれんをくぐって、
ご先祖様の仏前に挨拶をしてから結婚式が始まったんだそう。

今の60代くらいの世代まで、この風習は残っていたそうなのですが、
一生に1回しか使う機会のなかったこののれんは、
各家庭でたんすの肥やしになっていたといいます。

そこで、町興しの一環として、花嫁のれんを商店街の店舗内に飾ろう
と発案したのが、高澤ろうそくの女将さんをはじめとした、女将会だったのです。

今年で9回目となった花嫁のれん展ですが、
七尾市の一本杉通り商店街の各店舗に、
合計100枚以上ののれんが展示されていました。
(※花嫁のれん展は4/29〜5/13で終了)

「こんにちは〜!のれん見せてください」

「ようこそ! ゆっくり見て行ってくださいね。
よかったらお茶も飲んでってください」

私たちが店内にいる間に、何度となくこのような会話を耳にしました。
1枚ののれんを通して生まれるコミュニケーション、素敵です。

また、のれん展を通じて、自分の両親や祖父母、親族などの
結婚当初の話などに花が咲くそう。
そういえば、祖父母の馴れ初めって聞いたことがないような…。

自分の先祖やルーツを知ることは、自分自身を知るためにも
必要なことかもしれないなと感じました。