1200年続く竹細工
その地にある素材を使って、くらしに必要な道具を作る。
焼物にしても、木工にしても、
今ほど物流が整備されていなかった昔においては、
それが当たり前だったことを、キャラバンを通じて実感してきました。
網組細工もその一つ。
日本各地に自生する竹や植物のツルを使って編まれる網組細工は、
芸術品のようでもありながら、日用品として人々の生活を支えてきました。
ただ、時代の変化に伴う安価な日用品の台頭によって、
その技術の継承者は全国的にも希少な存在に
。
そんななか、今でも地域ぐるみで網組細工を作り続けている産地がありました。
岩手県二戸郡一戸町にある鳥越地区。
1200年もの歴史があるといわれる、竹細工の産地です。
鳥越で使われる素材は、
スズ竹と呼ばれる細くてやわらかい品種。(写真右)
真竹(左から2番目)などと比べても、その違いは一目瞭然です。
太平洋岸に広く自生している品種ですが、
寒くて雪の積もりすぎない気候の二戸地方のものは、
強靭でしなやかと昔から定評があったそうです。
「昔は、集落ごとに秘伝の編み方がありましてね。
門外不出とされたので、結婚も集落内で行われていたんですよ」
鳥越地区で、技術を伝承し竹細工の魅力を広く伝えていくことを目的に設立された
「鳥越もみじ交遊舎」の館長、柴田三男さんはそう語ります。
昭和26年には、農閑期の副業として
日本一の収益を誇っていた鳥越の竹細工でしたが、
少子高齢化による過疎化で、広く門戸を広げるように。
館内では、地域の作り手はもちろん、
遠方からその技術を学ぼうと訪れる人の姿もありました。
「簡単な作業に見えるんですけど、これが想像以上に難しいんですよ」
埼玉県から学びに来ていた女性も、その奥の深さに驚きを隠せない様子。
それもそのはずで、今も原料は、
自生するスズ竹を自分たちで採取するところから始まり、
皮を剥いで、均等に縦4つに分割。(これが難しい)
さらに、内側の厚みを何度も削って薄くし、ようやく材料となるわけです。
この原料にかける手間暇によって、仕上がりにしなやかさと弾力さをもたらせます。
こうして一つひとつ丁寧に編まれた竹細工は、
現代のくらしにも自然と溶け込む普遍的な魅力を放っていました。
使い続けていくうちに、飴色に経年変化していくのも、
竹細工のおもしろいところです。
「それにしても1200年ものあいだ、途切れることなく
地域ぐるみで作り続けられてきているのも、すごいことですよね」
ふと、そんな質問を柴田館長に投げかけてみると、
「よかったらその理由の片鱗を見に行きませんか」
と、ある場所へ連れて行っていただきました。
訪れた先は、もみじ交遊舎の裏にそびえる鳥越山。
もみじの名所としても知られる、紅葉がかった山をぐんぐん登っていくと、
その先に待っていたのは、切り立った崖の岩穴に設けられた御堂でした。
「鳥越観音堂」と呼ばれるこの御堂は、
西暦807年に慈覚大師が開基したという伝説を持つ古寺。
実は、鳥越の竹細工のはじまりには、
この鳥越観音と慈覚大師が深く関係しているそうなのです。
「長い冬の土地柄、人々の冬場のくらしは困窮していました。
そんな折、観音開基のために山堂に籠っていた慈覚大師の夢枕に、観音様が現れて、
"わが化身である大蛇の胴の模様を、竹細工の編組法にとりいれてこれを里人に広めよ"
と教えてくださったのです」
柴田館長がそう話されるように、今もその言い伝えから住民は観音様に感謝し、
村人が殺生しないことを条件に竹細工を教えたとの話もあり、
縁日などには肉・魚・卵を避ける方もいるそうです。
そして、住民は何かの折にはこの御堂にお参りし、
親しみをこめて「観音さん」と呼んでいるのだそう。
確かに、そこには1200年ものあいだ大切に守られてきた
神聖な空気を感じずにはいられませんでした。
「もみじ交遊舎では、地域の小学生にも竹細工を教えていますが、
編み方を覚えて欲しいわけではないんです。
自分の生まれ故郷に、こうした歴史を持つ竹細工があることを知り、
誇りを持って欲しい」
1200年ものあいだ作り続けられてきている鳥越の竹細工には、
単に日用品としての価値のみならず、
生業を授かったことに対する感謝の念が込められていることを知りました。
そしてそれは、広く門戸を開きながら、
後世へとつながれていくことと確信しています。