郷中教育
幕末維新期に西郷隆盛、大久保利通ら
数々の有力な人材を輩出した、かつての薩摩藩。
沖縄県を除く日本の最南端に位置しながら、
薩摩藩の人材が維新のイニシアチブを担った背景には、
独自の教育システムがありました。
郷中教育(ごじゅうきょういく)。
郷中教育とは、同じ地域内(郷中)に住む武家の青少年に対し、
自発的に実践された集団教育のこと。
最大の特色が「教師なき教育」で、
先輩が後輩を指導し、同輩はお互いに助け合う、
いわば学びながら教え、教えながら学ぶという仕組みになっていました。
豊臣秀吉による朝鮮出兵、文禄・慶長の役によって、
多くの大人武士が駆り出されたことに端を発するようです。
その目的は、学問もさることながら、
武芸の鍛錬や日常のしつけ、勇気と根性を養うもので、
武士としての生き方を追求したものでした。
「負けるな、嘘を言うな、弱い者をいじめるな」
といった教えに代表されるように、
学問や鍛錬の場では真剣に競い合いながらも、
どんな時も正々堂々と振る舞い、卑怯を憎み、自分より弱い者をかばう、
という薩摩男子の目指す生き方そのものでした。
かつてのイギリスの軍人、ベーデン・パウエル卿が、
この制度をモデルにしてつくったのがボーイスカウトとする説もあるくらいです。
この郷中教育を、現代においても教えている場所があると聞き、
訪ねました。
場所は、姶良(あいら)市加治木町にある
精矛神社(くわしほこじんじゃ)の境内。
そこには、雄叫びをこだまさせながら、
剣術に励む若者たちの姿がありました。
薩摩の代表的剣術、「自顕流(じげんりゅう)」です。
薩摩の剣は「一の太刀を疑わず、二の太刀は負け」といわれたほど、
防御のための技は一切なく、先制攻撃による一撃必殺を極意としました。
そのスピードは、新撰組の近藤勇局長が隊員たちに対し、
「薩摩の初太刀を外せ」としつこく言い続けたほど。
それは、厳しい鍛錬による賜物でした。
例えば、「続け打ち」と呼ばれる鍛錬の一つは、
叉木に置かれた数十本の横木の束を打ち続けるというもの。
一見、単純ですが、本気で振ると一太刀で汗が噴き出します。
おまけに、打った衝撃に耐えうるだけの力も必要。
これを昔は、朝に3000回、夕に8000回、
合計1万1000回も打っていたというから驚きです。
この自顕流の剣術の鍛錬で体力面を鍛え上げ、
精神面の鍛錬には、薩摩琵琶や天吹(てんぷく)を奏でます。
両者とも薩摩の武士のあいだで伝承されてきた楽器です。
神社の境内の静かな室内に響く天吹の音色には、
心の邪念が払われるような不思議な力がありました。
これら郷中教育を今の時代に教えているのは、
NPO法人「島津義弘公奉賛会」が運営する「青雲舎」。
明治25年に創設された後、
平成12年にNPO法人として復活を遂げた組織です。
その運営法は、あくまでも昔からの郷中教育に則り、
来る子・人に対しては無償で教えるというスタンスなんです。
運営者の一人、川上さんは、
「自分がこの地でしてもらってきたことを、後世にもしてあげたい」
と、その想いを語ります。
そして、将来的には、
薩摩藩の下級武士から国政の舞台にまで上り詰めた西郷隆盛を目標に、
鹿児島県からアジアのリーダー、世界のリーダーを生み出したい、
と、目標を語ってくださいました。
今も鹿児島の地で脈々と継承される郷中教育。
その精神、その教えには、
現代においても学ぶべきことがたくさんあるように思いました。