日本地ビールのパイオニア
居酒屋に入ると、決まって聞こえてくる文句。
「とりあえずビールで!」
私たちも日本各地を巡るなかで、たまに飲める機会に恵まれた時は、
そんなふうに喉を潤してきました。
地酒ほど多くはないものの、地ビールにも度々巡り合いました。
実は日本における地ビールの歴史はさほど古くはなく、
地ビール醸造が解禁されたのは、1994年のこと。
その歴史を語るうえで、欠かせないブルワリーが、
神奈川県厚木市にありました。
「サンクトガーレン」
創業者は、日本の地ビール業界では知らない人はいないといわれる、
岩本伸久(いわもとのぶひさ)さん。
日本で醸造解禁になる以前より、
父親と共にアメリカで地ビールを造り続けていた方です。
「父の会社が飲茶店を経営していて、アメリカにも進出していました。
その時に、現地で飲んだ地ビールの味に父が衝撃を受けたんです。
日本のビールにはない、華やかな香り、しっかりした味わい。
こんなおいしいものを知らなかったなんて、これまでの人生損していた!
と、父を目覚めさせてしまった(笑)」
地ビール醸造を始めたきっかけを、岩本さんはそう振り返ります。
初めは日本で醸造を試みるも、国の認可が下りずに断念。
仕方なく、サンフランシスコで醸造を始め、
それを日本へ逆輸入するという形態をとっていました。
すると、その様子をアメリカのTIMEやNEWSWEEKといったメディアが掲載。
「岩本のビール造りの夢はかなった。ただしそれは日本ではなく、アメリカで」
と、日本の産業規制の象徴として、皮肉たっぷりに取り上げられたのです。
このニュースが日本の政界にも飛び火し、
1994年、ついに日本でも地ビール醸造が解禁されます。
「うちが日本で醸造を始めたのは、それから3年後の1997年のことですから。
マニアのあいだでは、日本の地ビールの0号なんて呼ばれているんですよ」
そう話す岩本さんのビール造りは「エールビール一貫主義」。
日本で流通しているビールの約9割以上がラガービールで、
ラガーとエールは、その醸造法の違いによって生まれます。
ラガービールは、酵母がタンクの下段で活動する「下面発酵製法」で造られ、
低温(10度前後)でゆっくり(1週間程)発酵。
すっきりとしたシンプルな味わいに仕上がるそう。
一方のエールビールは、酵母がタンクの上段で活動する「上面発酵製法」で造られ、
高温(20度前後)で一気に(4日ほど)発酵させます。
すると、フルーティーな香りに満ちた味わいに。
これはビール酵母が高温で活動するほど、
果実のような香り成分"エステル"を生成するためです。
その結果、肉に合うビール、魚に合うビール、デザート向けビールと、
個性の強いビールを造ることが可能なんだそう。
「片方のビールしか知らないなんて、もったいないでしょ?」
そう岩本さんが話す通り、
これまではビールといえば初めの一杯がお決まりでしたが、
エールビールならワインのように、2杯目以降も楽しめますよね。
実際に、サンクトガーレンは
様々な香りと味わいが楽しめるビールを生み出していました。
なかでも、岩本さんが印象深いと語るビールが、
「インペリアルチョコレートスタウト」。
チョコレート麦芽を含め通常の黒ビールよりも約2.5倍、
原料を多く使ったというビールは
光を通さないほど漆黒で、2年間熟成可能なヴィンテージものです。
これを発売するまで、岩本さんの目指すビールは、
「自分が飲みたいと思うビール」だったそうですが、
これを境に「飲む相手のことを考えたビール」に変わったそうなのです。
きっかけは、今もともに働く会社の広報を務める中川美希さんに、
「ただ、造るだけではなく、たくさんの人に飲んでもらうことも大切」
と教えられたこと。
以来、どんな人にどんなシーンで飲んでもらいたいか、
ビールが苦手だった人、無関心だった人にも、興味を持ってもらえるように、
飲み手のことを考えたビールづくりを心がけるようになったといいます。
さらに、中川さんの「ビールは苦いから嫌い」という言葉によって、
スイーツビールのラインナップも増やしていったそうです。
こうして生まれた「スイートバニラスタウト」は、
日本最大のビールの祭典「ジャパン・ビア・フェスティバル2007」で、
来場者の人気投票で1位を獲得。
現在では、神奈川県が12年の歳月を経て開発した幻の柑橘
「湘南ゴールド」を使ったスイートビールも開発されていました。
フルーツビールというと、発酵後のビールに果汁を加えているものも多いそうですが、
サンクトガーレンでは、あらかじめ果汁を混ぜたうえで発酵させていました。
すると、香りは柑橘「湘南ゴールド」、味はビールという逸品に。
「ビールのおいしさは"水"で決まるとよくいいますが、実はそうじゃない。
ワインの場合はブドウが肝心なように、ビールの場合は麦芽とホップ。
ただ、それも自然の産物だから毎年同じとは限らない。
何よりも大切なのは、自分の感覚なんです」
多様な麦芽とホップを使い分け、
自身の五感をフルに活かしながらビール醸造にかける岩本さんには、
職人という言葉がぴったり似合いました。
「カマンベール、モッツァレラ、パルメザン
チーズにもいろいろ種類があるように、
ビールにも、ラガー以外に様々な種類があることを知ってもらうこと。そのために
みんなが飲んで楽しくなるようなビールを、これからも造り続けたいです」
岩本さんの努力によって、
「とりあえずビール!」から「まずは○○ビールで!」と、
各種ビールを嗜むようになる日も近いかもしれません。