「熊本」カテゴリーの記事一覧
日本文化の畳とい草
今でも部屋の大きさを「○畳」と表現するように、
日本家屋と深い結びつきのある、畳(たたみ)。
中国大陸から伝わった多くの文化に対し、
畳は日本独自の文化として発展してきました。
一般家庭にも広く普及するようになったのは、明治時代以降の話で、
それまでは茶道の世界や、大名など一部の特権階級のみで使用されるものだったそう。
そんな畳の素材「い草」の一大産地が熊本県八代市。
全国の実に9割以上のシェアを占めています。
7月上旬、八代市千丁町を訪れるとそこには、
風に揺られ、ゆらゆらとなびくい草の絨毯が広がっていました。
辺りがまだ薄暗い夜明け前、
い草田には静寂を打ち破る機械音が鳴り響きます。
「陽に当たってしまうとい草はしおれてしまうので、
収穫は明け方か、夕方の太陽が沈む頃から行います」
この地で3代にわたって、い草を作り続ける農家、
坂井米夫(さかいよねお)さんに教えていただきました。
かつて"緑のダイヤ"とまで呼ばれていたい草は、
この界隈にも28軒ほど生産者がいたそうですが、
今残っているのは3軒のみ。
なかでも坂井さんは、20年ほど前から、
オーガニックのい草を栽培する希少な生産者です。
「ダイオキシンが社会問題になった時があるじゃないですか。
最も影響が少ないといわれていた農薬にも、ダイオキシンが含まれていました。
その時、安全な農薬なんてないと思ったんです」
以来、無農薬・無化学肥料のい草を栽培し続けている坂井さん。
苗の栽培から始まり、11月末に田んぼに植え付けてから7月上旬の収穫までに、
冬草、春草、夏草と3度の除草が必要になるため、
オーガニックの栽培はとても労力が要ります。
食品と違い、JAS規格などで有機栽培をアピールすることもできませんが、
坂井さんは、安心安全のい草を生産することに余念がありません。
通常、刈り取られたい草は「泥染め」といって、
すぐに、粘土質の泥に浸け込まれます。
これは江戸時代から続いている伝統技法で、
い草の吸排湿を高め、畳表の弾力を増して、変色を抑えます。
しかし、坂井さんは収穫したい草の半分は泥染めを行っていません。
それも、泥に含まれる微量物質によって、
アレルギー反応などを起こしてしまう人への配慮からでした。
「泥染めによって、香り付けする面もあるのですが、
それも人によって感じ方は様々。
こうしなくちゃいけない、というのではなく、
消費者にとってどんな畳が良いのかを考えなくてはいけない」
そう話す坂井さんは、熊本県で育成された新品種
「ひのみどり」ではなく、在来種の「きよなみ」を栽培。
「ひのみどり」よりも茎が太く、灯芯が多い「きよなみ」の方が、
畳に仕上げた際の踏み心地が柔らかいのだといいます。
「畳表は目が詰まっているほど、良い畳とされてきましたが、
い草が潰れてしまっては弾力性を失って、硬さだけが残ります。
い草の丸みが残る位が適度で、フローリングにはない
そのしなやかさこそが畳の魅力だと思うんです」
その言葉に、ふかふかの畳の上でゴロゴロ寝転がり、
い草の香りに包まれながら、昼寝をしていた幼少期を思い返しました。
家に上がるとき、靴を脱ぐ文化の日本において、
素足で畳の上を歩くのも気持ち良いものですよね。
それまでのい草栽培を一つひとつ見直しながら、
今一度、生活者にとって良い畳を追求し続ける、職人気質の坂井さん。
「和室=畳と考えるのではなく、
一つの家を彩るパーツとして考えてほしい」
と、話します。
吸湿性が高く、乾燥時には湿気を吐き出してくれる畳は、
夏涼しくて冬暖かく、さらに消臭効果もあるといいます。
また、集まった人数によって使い方を変えられるのも
良さの一つかもしれません。
生活スタイルの変化によって、畳離れが進んでいますが、
日本独自の文化であり、日本の風土に合った様々な利点を持つ畳を
今一度見つめ直してみてはいかがでしょうか。
里山の小規模循環
ある日、我が家に一つの贈り物が届きました。
箱を開けると、そこには真空パック化されたお米が。
洗練されながらも、気張らないパッケージは、
1合、2合、3合と分量別に分けられ、
人数や用途に合わせた使い手への配慮を感じました。
さらに、真空パックだから米の鮮度が長期に保たれるので、
もしもの時への備えにも、もってこいです。
きっとデザイナーとのコラボレーション商品だろう、と思ったら、
生産者の所在地は、熊本市内から1時間ほど北に向かった山鹿市。
「MOYAIの米~里山再生プロジェクト~」
と名付けられたそのお米は、熊本の里山で作られたものでした。
以来、このお米のことが気になっていた私たち。
熊本に立ち寄った際、念願かなって生産者のもとを訪ねることができました。
「お米でもアイスクリームでも、私のやりたいことは一緒なんです。
中山間地で少量しか作られない農産物を、
加工して付加価値をつけて販売すること。
この小規模循環型のビジネスモデルこそが、
日本の里山を再生していく術だと思っているんです」
そう話すのは、(株)パストラルの代表取締役、市原幸夫さん。
お話にあるように、本業はなんとアイスクリーム屋さんで、
平成9年より、小規模多品種の農産物を用いたアイスを作り続けています。
「イタリアではいろんな味のジェラートがありますでしょ。
日本でも、ご当地アイスが産業になりうるって思ったんです」
市原さんの狙い通り、
各地の道の駅で見ないことはないほど、ご当地アイスは一般的になり、
市原さんも年間150種類を手掛けるほどです。
一方、ふと地元を見返してみた時、
広がる休耕田に、危惧を覚えたという市原さん。
「地元には長年、無農薬の合鴨農法で米作りに取り組む
農家さんたちの姿がありました。
ただ、素晴らしい取り組みなのに、農家には後継ぎがいない。
状況を打破するためには、循環化する農業にしなくちゃいけない」
こうして市原さんは、地元の66~83歳の5軒の農家さんと、
息子夫婦たちとともに、「あいがもん倶楽部」を結成。
それまで、他産地の米と混ぜられていたり、自家消費されたりしていた合鴨農法米を、
「MOYAIの米」としてデザインし直し、世に発信していっているのです。
「都心には人がいます。
里山にはその人の心と体を育んだり、癒やしてくれたりするものがたくさんあります。
私は、都心と里山のパートナーシップを手掛けていきたい」
そう話す市原さんは、お米のパッケージにQRコードを付与し、
米作りの様子を動画で伝える仕掛けも組み込んでいました。
そして、米作りに興味をもってもらった方には、
実際に米作りに参加してもらえるグリーンツーリズムも。
栽培に使った合鴨も食肉として出荷し、本格的に特産化を目指します。
「MOYAIの米」には、里山の現状を知ってもらい、
里山が今後も日本の食糧供給基地であり続けられるようにとの
願いが託されていました。
ちなみに"MOYAI"とは共同で一つのことをするという意味。
市原さんは、地域の共同体は、「家族」がベースにあると話します。
「100年、200年続けていくためには、土壌にあるのは家族経営。
企業的に大規模な生産効率を追求するのではなく、
家族単位で、小規模循環を追求することが、
里山の豊かで幸せな暮らしの再生につながると思っています」
現に市原さんの傍らには、
アイスクリームの企画・販売に携わる長男夫婦と、
新規就農した次男夫婦の姿がありました。
一度は上京した息子さんたちが帰郷したのも、
父、幸夫さんの信念に共感を覚えたからといいます。
こうして親子が自然な形で仕事を営む姿こそが、
里山の持続可能な暮らしを実現していく秘訣とも感じました。
市原さんのいう"小規模循環型"のビジネスが
各地で行われるようになれば、
きっと日本の未来は明るいのではないでしょうか。
【お知らせ】
MUJIキャラバンで取材、発信して参りました生産者の一部商品が
ご購入いただけるようになりました!
その地の文化や習慣、そして生産者の想いとともに
産地から直接、皆様へお届けする毎月、期間限定、数量限定のマーケットです。
[特設サイト]Found MUJI Market
青みかんのジュース
熊本市内から車で40分ほどの河内町(かわちまち)。
この地では、キラキラと光り輝く有明海を眼下に、
200年以上前から、みかん栽培が行われてきました。
「この町で生まれて、この町に嫁いだ私ですが、
その当時、河内は活気があり、周りからうらやましがられていたものです。
しかし、ある時、この土地の価格が下落していることを知りました。
このままじゃ嫁に来る人がいなくなって、
子どももいなければ学校もつぶれてしまう
"えらいこっちゃ"っていう危機感の始まりでしたね」
そう当時を振り返るのは、
株式会社オレンジブロッサム・代表の村上浮子さんです。
河内町を元気にするために自分に何ができるか?
3年間女性経営者の会に参加した村上さんは、
みかんジャムづくりからスタートしました。
「やっぱり加工だ!って思いました。
果実として出荷する場合は、収穫量や品質によって毎年
買い取り価格が変わってしまいますが、
加工品であれば価格が変動しないですから」
そうして、2001年に会員を募り、47名で
「フレッシュ河内グループ」を設立。
会員はみんな30~50代の主婦たちです。
「憧れられる女性が増えれば、地域は変わると思ったんです。
それから、ものづくりは1人より10人、10人より100人でやった方がいい」
ある時、会員同士で話をしていると、
栽培時に間引く目的で落としていたみかんを使って、
自分たちのお母さんたちがジュースを作ってくれていた
という思い出話になりました。
あの懐かしい味を再現して商品化できないか?
ジュースに使うのは、8月のお盆過ぎに摘果する青みかんのみ。
村上さんたちは、青みかんの収穫量を確保するために、専用の畑も作りました。
村上さんの青みかん畑に連れて行っていただくと、
そこはとてもワイルドな畑でした。
「クモの巣に気をつけてくださいね。うちの畑はクモの巣だらけだから(笑)
でもそれだけ安心・安全って証拠ですよ」
これらの青みかんは、熊本県が認証する、
熊本型特別栽培農産物「有作くん」基準により栽培されているそう。
そんな青みかんをまるごと搾ったジュースがこちら。
「青二彩(あおにさい)」
1本(600ml)あたりに約50個のみかん果汁が使われており、
さわやかな酸味と少々の苦みが凝縮されています。
「私なんかはストレートで毎日飲んでいますが、
はちみつと水で割ったり、炭酸水やお酒と割ってもおいしいですよ。
青みかんには『ヘスペリジン(ビタミンP)』という
アレルギー抑制効果や血流の改善に働きがあるという成分も
多く含まれているので、健康や美容にもいいんです」
熊本県産業技術センターの研究によると、
青みかんの果汁や果皮成分には、
花粉やホコリをはじめとして、鼻水・くしゃみ・目のかゆみ等
アレルギー症状の緩和や予防対策に効果がある
という分析結果が出ているといいます。
熊本県産業技術センターは、産業技術や農林水産物の加工に関する
研究開発、指導などを行う、熊本県が設置した技術支援機関。
ここでは"県内産業の技術部"という位置づけで、日々研究を重ねています。
村上さんたちも産業技術センターのアドバイスをもとに
商品づくりを行っています。
「やっぱりプロの人たちに相談できるのは心強いです」
と村上さん。
オレンジブロッサムでは、青みかんの果汁や花、果皮を使って、
他にも、ビールテイスト飲料や紅茶、ぽん酢、石けんなども手がけていました。
商品は「安心・安全・無駄をなくす」が合言葉だと、
村上さんはいいます。
「私は河内弁しか話せないおバカさんだけど、
どうせなら、好きなものに囲まれて、楽しく死にたいわね。
それからこの河内の町に後継者を作りたい」
村上さんの飾らない姿と、
河内町の良さを発信していきたいという強い想いが、
周りを巻き込み、どんどんと町の魅力をカタチにしていっていました。
みかんの里・河内は、女性の輝く町でもありました。
天草で出会ったキャラバン隊
天草西海岸一帯は日本一といわれる
「天草陶石」の産地として知られ、
日本で産出する陶石のおよそ80%を占めているといいます。
そして、この天草陶石と陶土を使って造られているのが
「天草陶磁器」の総称で呼ばれる焼き物です。
天草は天領(江戸幕府の直轄地)だったため、
他の産地のような藩の御用窯ではなく、
村民が自活のために焼く陶器や磁器が主で、
各窯はそれぞれ自由に陶磁器を作ってきました。
最近では陶芸家が天草の地を選んで移住してくることも多く、
個人の作家を含め、約30の窯元があるようです。
今回私たちが訪れたのは、1865年創業の「丸尾窯」。
もともと農閑期の副業として、周辺で採れる良質な製瓶用の粘土を使った
瓶づくりからスタートした窯で、
4代目が手工芸としての陶器づくりに着手。
2000年からは、5代目金澤一弘さんが
地元の天草陶石を使った磁器の製作にも取り組み始めました。
さて、広々とした空間に建つモダンな建物が
ショップ兼工房。
店内へ入ると、高い天井にキレイに並べられた器たちが
迎えてくれます。
まず目に入ったのが、真っ白で透き通るような器、
これこそが天草磁器です。
土ものといわれる陶器よりも、石ものといわれる磁器は
ろくろ成形では陶土の扱いが難しく、
一般的には型を使った成形が多いそうですが、
ここに並ぶのは、すべてろくろを使った手づくり品です。
生地がとても薄く、光が透けて見えるほど!
また、叩くとキンキンという高い音がして、まるでガラスのようです。
お店の奥には好きな器を選んで試せる、カフェコーナも☆
せっかくなので、磁器の器と陶器の器をそれぞれ試してみました。
中身は同じコーヒーでも、器が違うと
口当たりや気分が変わるものですね。
個人的には、ホットコーヒーは口元がぽってりとした
陶器が飲みやすかったかもしれません。
ステキな器に囲まれて、ゆったりとした気分を味わっていると
ご案内いただいていた店員さんから思いがけないひと言が飛び出しました。
「僕らもキャラバンしていたんですよ!」
5代目の金澤一弘さんの長男・佑哉さんは
弟の宏紀さん、尚宜さんと一緒に、
今年5月に3週間をかけて、全国8ヵ所を回りながら、
天草の土とその地の土を混ぜた素材に、
集まった人たちがこれは"明後日"だと感じる何かをかたどる
「明後日キャラバン」を行ったのだそうです。
これは芸術家の日比野克彦さんが2003年に始めたアートプロジェクト、
「明後日朝顔プロジェクト」の一環として、
「自分たちの丸尾焼をもっと多くの人に知ってもらいたい」
という金澤兄弟の想いを実現したものでした。
私たちMUJIキャラバン隊は各地にお邪魔して、
その地に根差したモノ・食・活動等を探し、こうして紹介しているわけですが、
作り手である方が自ら全国を回って、
そのモノの良さを伝えていくキャラバンがあるとは★
とても素晴らしい取り組みですね!
キャラバン隊が訪れた先は熊本県で21県目になりますが、
その土地、その土地で新たな出会い・発見がある毎日です。
私たちが出会うモノやコトは、
調べてみると大抵の場合、ネット上に情報がありますが、
でもやはりその土地に行かないと
そのモノやコトの存在を知ることはなかったんだと思います。
改めて足を運ぶことの大切さを痛感しています。
海の恵み
天草(あまくさ)にイルカの棲む島があると聞いて、
行ってきました!
天草下島の北端にある「通詞島(つうじしま)」は、
昔は瀬戸の狭い所を手漕ぎの渡し舟が行き来をする島だったそうですが、
現在は、橋を渡れば簡単に渡ることのできる場所です。
また、船で10分ほど行った通詞島の沖合いには
エサとなる魚が豊富なこともあり、
昔から野生のイルカが群れることで知られています。
99%の確率でイルカに会えるとは聞いていましたが、
こんなに間近に、こんなにたくさんのイルカに会えるとは!
正直、期待以上で驚いたほどでした。
そして、このイルカの棲む美しい海の目の前で、
私たち人間に欠かせない塩を作る人たちがいました。
「ソルト・ファーム塩工房」の福田さん親子。
2人ともこんがりと焼けた肌がよく似合います。
この場所は、日照時間が長く、風が程よく吹き、
そして何よりも海水がきれいという条件がそろっており、
塩づくりに適しているんだそうです。
もともと創業者の長岡さんが
自然塩を作る場所を求めて全国を歩き回り、
最後に行き着いた場所だったといいます。
塩づくりといえば、以前石川県の能登半島で
「揚げ浜式製塩法」という伝統的な手法を取材しましたが、
ここではどのように作られているのでしょうか?
まず、目の前の海から海水を汲み上げ、
太陽と風の力だけで約20日間かけて
塩分濃度3%の海水を18%の濃縮海水にします。
その後の製塩法は、薪で焚く「釜焚き塩」と、
ハウスで天日干しして作る「天日塩」の2通り。
釜で焚く場合、薪をくべながら5日間かけて海水を煮詰め、
水分を蒸発させて結晶化させます。
天日干しの場合は、真夏は70℃近くになるハウスの中で3~4日、
冬は1ヵ月弱蒸発させ、結晶化させるそう。
海水に結晶が浮き上がってきている状態を見ることができました。
ちなみに、私たちがハウスに入った時の室温は50℃で、
30℃近くある外に出たら涼しく感じたくらいです。
釜焚きも天日干しも、この時期は暑さとの戦いです。
また、どちらも雨が降ったり、南風が吹いたりする日は
作業ができないそうです。
私たちが訪れたこの日は、ちょうど釜揚げの作業がありました。
表面の結晶を集めて、釜から樽に移すのですが
これがかなりの重労働。
作業工程の中で一番大変だと、息を切らせながら話してくれました。
この後、にがり成分を程よく取り除いて熟成させ、
さらに天日干ししてようやく出来上がり。
「化学で作る塩化ナトリウム100%に近い食塩に比べ、
海から作る塩には、ミネラルが多く含まれています。
このミネラル量を調整することで、味が変わってくるんです。
その副産物のにがりにも当然ミネラルはたっぷり入っているんですよ」
ソルト・ファームでは"できるだけ甘い塩"
を作るように心がけているそうです。
この最後の調整こそが、職人の腕によるものなのかもしれませんね。
確かに、最後に天日干しする前の塩と、天日干しした後の塩を
舐め比べてみましたが、
後者はなめらかなのに対して、前者は海水が口に入った時のような
しょっぱさを感じました。
こうして完全手作業で根気よく作られた塩、
これはまさに海の恵み、さらには地球の恵みといえます。
なぜなら、美しい海、吹き渡る風、灼熱の太陽
古来あるがままの自然環境こそが、最高の原料だからです。
この通詞島の海が、イルカにとっても、塩工房にとっても
いつまでも変わらない場所であり続けますように。
竹あかり
お祭りなどで目にする演出といえば、
花火や、
提灯などありますが、
近年、注目を浴びている演出があります。
「竹あかり」です。
写真の熊本「みずあかり」をはじめ、
大分県では臼杵市の「うすき竹宵」、日田市の「千年あかり」、
竹田市の「たけた竹灯籠 竹楽」、佐賀県の「清水竹灯り」など、
九州の各所で竹あかりを演出に使ったお祭りが、
秋の風物詩となっています。
この竹あかりを、日本を代表する演出にすべく、
精力的に活動するチームに、熊本県阿蘇市で出会いました。
「ちかけん」
池田親生(ちかお)さんと三城賢士(けんし)さんによって設立された、
竹あかりの制作・プロデュース集団です。
丸ノコギリのけたたましい音に包まれた工房内には、
竹と格闘するたくましい男たちの姿がありました。
「僕らは竹のオブジェを作っているわけじゃないんです。
人と人とをつなげる手段として、竹を祭に使っているんです」
ちかけん代表の一人、三城賢士さんは、
気さくな笑顔でそう話してくれました。
彼らが目指しているのは、祭の演出屋にとどまることなく、
地域の人たちを巻き込んだまちづくり。
竹あかりを作る工程から、地域の人たちを巻き込むことによって、
希薄になった地域のコミュニケーションを活性化させるのが、
ちかけん流まちづくりのやり方です。
2007年から関わる熊本の「みずあかり」でも、
彼らが手掛けるのは、竹あかりデザイン企画、制作指導まで。
準備は町の人総出で行います。
「竹は2~3カ月もするとカビたりくすんだりしてしまうので、
年に一度の祭のためには、毎年作り直さなくてはなりません。
だからこそ毎年、地域の人たちが顔を合わすきっかけになるんです。
同じベクトルに向かって作業すると、自ずと結束固まりますでしょ」
こうして地域の人たちによって作られた竹あかりの灯す光は、
人々の結束をも照らし出すかのように輝きます。
私たちも竹あかりの制作体験をさせてもらいましたが、
これが思いのほか楽しくてハマってしまう作業でした。
汗水かきながら作った竹あかりに光が灯ると、
感動もひとしお。
人々の結束意識が高まるというのも分かる気がします。
こんな彼らの活動は、熊本・九州にとどまることなく、
京都、南丹灯りの祭典や、
表参道のイルミネーションなど、全国に広がっています。
「できるだけその地で採れる竹を使うようにしています。
里山の竹林は、間伐してあげないと生態系を壊してしまうので」
まさか、彼らの取り組みに、
環境保全の意味合いも含まれているとは驚きでした。
もともと人の手によって植えられた竹林。
竹が増えすぎた林は、新しい竹が生える際、
田畑や杉・ひのきの山に侵食してしまうようなのです。
こうならないよう間伐をして、適正な竹林を保たなければ、
毎年、タケノコも育たなくなってしまうのだそうです。
この間伐材の幹の部分を竹あかりに利用するわけですが、
細い幹や笹の葉の部分は堆肥として生まれ変わり、
農業用に利用されます。
そして、竹あかりで役目を終えた竹も、
竹炭・竹酢液として再利用。
彼らの取り組みは、まちづくりを促すのみならず、
竹林の再生と環境循環を実践しているわけです。
もともと同じ大学の同じゼミで出会った二人。
問題意識もノリも似ているそう。
「楽しいと思ったことは、何でもやってしまうんです。
引っ越しから政治家の討論会の企画・運営まで。
ビジネスとそれ以外を切り分けなくちゃいけないんですけどね(笑)」
好奇心に突き動かされる彼らの活動が、
社会に大きなインパクトを与え始めています。
地域のためにできること
地域のために何かしたい。
ただ、何をしていいのか分からない。
そんな人も多いのではないでしょうか。
熊本で、地元熊本のためにできることを、
自分の結婚式で実践された方にお会いしました。
熊本市内で設計や地域計画の仕事をする宮野桂輔さん。
仕事上、県内あちこちで様々な職種の人々と知り合い、
その人々が作りだすモノやサービスの魅力に触れてきました。
その人々の仕事の様子が熊本の大事な風景であるとも感じ、
それを結婚式の招待客に紹介したくて作ったのが
引出物カタログでした。
「肥後尽くし」
その名の通り、肥後(現・熊本)のモノ・食・体験を
集め地域別にまとめたのがこのカタログです。
48人の人が登場し、120種類のラインナップ。
塩、瓦、炭、焼物、食事券、宿泊券など様々です。
熊本県内の面白い人や美しい風景を紹介する読み物のようでもあります。
「なにも海の向こうから取り寄せなくても、
この熊本にもいいものは結構あるんです。
すぐ近くにそれを作り続ける人たちが今もいるわけで、このカタログを通じて
少しでも買い手と作り手がつながってもらえればと思いまして。
余計なお世話かもしれないんですけどね(笑)」
そう、恐縮しながらも話す宮野さんの作ったカタログには、
ほとんどの生産者の写真が掲載されていました。
しかし、その中で後継者が決まっている人は少ないといいます。
各地の産業が置かれている厳しい現実が垣間見えます。
買い手と作り手の新しい接点が、その産業に小さな活力を生み出し、
結果的に熊本の美しい風景を残したり、作ったりすることができないか。
宮野さんはこのカタログで、最後にこう締め括っています(一部略)。
「少しでも良いものを作ろうと不断の努力をしているエネルギーが、
なかなか世間に知れ渡らないとすれば、それは残念なこと。
一方で、誰かが作っているモノの存在を知らないばかりに、
それを買い、身近に置く楽しむ場面がなかなか増えないとすれば、
それも残念なこと。この二つの残念を繋ぐことができれば、
この披露宴にもささやかな意味があったのではないか
」と。
地域のためにできること。
それは自分の周りの人々を繋いでいくことからでも、
始めることができそうです。
熊本で人気の無印良品
無印良品熊本パルコ上通りへお邪魔しました!
パルコというからテナントビル内かと思いきや、
パルコ駐車場1階の路面店。
店内もこの通り広々していながら、
とても素敵に商品を陳列されていらっしゃいました。
さて、気になるこちらの店舗の人気商品は、こちら↓
なんと、「電卓」です!
さらに、「キャンドルミニ・無香・36個」に、
オーガニックコットンの白シャツ各種まで!
これらに共通する理由は何だと思われますか?
その理由は、こちら。
熊本市内の繁華街に位置するため、
周囲にはレストランやショップがたくさん立ち並んでいます。
これらのお店の備品として、
無印良品の商品を選んで愛用いただいているようです。
ジャパニーズネロリ
「ネロリ」ってご存じですか?
ネロリとは、ビターオレンジの花から
水蒸気蒸留でフラワーウォーターを作る際に、
副産物として得られるエッセンシャルオイル(精油)のこと。
蒸留水に自然乳化したネロリ成分には、
フローラルな香りに加えて抗酸化作用や抗菌作用があるため、
昔から北アフリカ(モロッコやチュニジアなど)の各家庭では、
蒸留水を化粧水のように使用したり、
傷薬や胃薬、また料理の香りづけなどに、幅広く利用されてきました。
また、ネロリはヨーロッパに輸出され、
高級化粧品の原料としてとても人気だそうです。
そんなネロリを日本で生産する方がいると聞いて、訪ねました。
熊本県水俣市、その地を訪れてみると、
とてもきれいな海が広がっているのを目にしました。
もともと海の幸・山の幸に恵まれた土地で、
人々は半農半漁で生活をしていましたが、
水俣病以降、禁漁となり、農業のみになっていたそうです。
そして、この時期にスタートしたのが甘夏みかんの栽培です。
水俣の人々は、自分たちが化学物質の怖さを知っているからこそ、
周囲から無理だと言われていた甘夏みかんの無農薬栽培に
取り組みました。
自然農法で甘夏みかんやグレープフルーツを栽培している
吉田さんにお話を伺うと、
「みかんの生育を邪魔しなければ草は生えていてもいいと思うんです」
と教えてくださいました。
夏場は土が乾燥しないようにあえて草を
長めに刈ったりするそうです。
さて、ネロリの話に戻りますが、
この無農薬甘夏みかんの花に目をつけたのが、
ネローラ花香房代表の森田さんでした。
国際協力団体で、アフリカ・アジア地域の支援に
携わってきた森田さんは、
北アフリカでネロリが作られる現場を見ていました。
そこで、ビターオレンジの花の代わりに、甘夏みかんの花を使い、
ネロリを作ることを思いついたのです。
甘夏みかんは柑橘類の中でも特に花つきがよく、
集荷する果実の何十倍もの花が咲き、
果実の収穫分を残しても、多くの花が収穫できるんだそう。
森田さんは、日本国内で他にネロリの生産を行っている所が
ないことを知り、蒸留器を輸入して、自ら生産を試みました。
10年ほど試作を繰り返し、3年前から製品化に成功。
試作期間が10年というのに驚きましたが、理由を聞いて納得しました。
花の収穫ができるのは年1回だけ、
つまり、試作を行えるのも年に1回のみだったのです。
現在は、摘みたてのお花をすぐに冷凍保存すれば、
香りも成分も失わずに済むことが分かり、
通年での原料確保が可能になっています。
こうして出来上がった国内初オーガニックネロリ化粧品がこちら。
甘夏みかんの爽やかな香りがリラックス効果と
お肌に潤いを与えてくれます。
これまでただ散っていっていた花が
こうして人々に喜ばれる商品に生まれ変わったのです。
また、森田さんは毎年、甘夏みかんの花摘みツアーを
企画・運営しているそうです。
「どうしても水俣には、以前の公害のイメージがあるかと思いますが、
今の水俣は、海も空もみかん畑も、光あふれる本当にきれいなところです。
過去の教訓に基づいて、環境都市に生まれ変わった
新しい水俣を見てほしいという想いで始めました」
ジャパニーズネロリには、香りと効用だけでなく、
こうした森田さんの水俣に対する想い、
そして水俣で無農薬栽培を続けてきた農家の人々の想いが
たくさん詰まっています。