変わる伝統、変わらない伝統
食べてしまうのがもったいない、
ずっと眺めていても飽きない和菓子たち。
これらは、京都を中心に活動する、創作和菓子ユニット
「日菓(にっか)」の二人が作ったものです。
三重県出身の杉山早陽子さんと、埼玉県出身の内田美奈子さんは
京都の同じ老舗和菓子屋で働いていて出会い、
和菓子に対する考えが同じであることから意気投合。
「日菓」を結成して今年で7年目になります。
実は二人が和菓子の世界に入ったのは、
一冊の同じ本に影響を受けてのことでした。
「これまでの和菓子の見せ方は、器と和菓子がセット。
それが私たち世代にはあまりピンと来ないと感じてしまって。
この本に出会った時に、新しい和菓子の見せ方を追求したいと思ったんです」
和菓子には、饅頭や羊羹(ようかん)という種類の名前のほかに
「菓銘」というタイトルのようなものが付けられていて、
菓銘の多くは、短歌や俳句、花鳥風月や地域の名所等に由来しているそう。
例えば、4月の和菓子に"花筏(はないかだ)"
という菓銘のものがありますが、どんなお菓子か想像がつきますか?
花筏とは、「桜の花が散って花びらが水面を流れていく様」を表しますが、
若い世代にはなかなか伝わりにくいのが正直なところです。
その点、日菓の和菓子はストレートに伝わりやすい
"情報の完結度"を大切にしているといいます。
「くす玉」
「気くばり美人」
「目ぢから」
「商品として食べてもらうよりも、その先の時間を共有したい」
と話す日菓の二人は、
展示会で、和菓子を視覚で楽しんでもらってから、味わってもらったり、
ギャラリーイベントのテーマに合わせて和菓子を発表したりと、
和菓子の魅力を自分たちのやり方で伝えていっています。
京都に移住して10年の杉山さんと、7年の内田さん。
二人にとって京都はどのような場所か尋ねてみると、
こんな答えが返ってきました。
「伝統文化とサブカルチャーが共存している街。
伝統の和菓子があるから、私たちのような新しい形の和菓子も
受け入れてもらえているのだと思います」
京都の伝統文化といえば、「舞妓・芸妓」があります。
海外においても和製英語の"GEISHA"として知られているほど。
しかし、言葉としては聞き慣れているものでも、
日本人である私たちでさえ、あまりなじみのない世界です。
舞妓・芸妓はもともと、神社仏閣へ参詣する人や街道を旅する人に
お茶をふるまった水茶屋で、お茶や団子を提供していたものに
お酒や料理が加わり、その店で働く茶汲女(ちゃくみおんな)が
唄を聞かせ舞を見せたのが始まり。
芸妓遊びのできる店を中心に形成される区域を「花街(かがい)」と呼び、
京都には上七軒(かみしちけん)、祇園甲部(ぎおんこうぶ)、祇園東、
先斗町(ぽんとちょう)、宮川町の5つの花街があります。
なかでも一番古い歴史を持つのが上七軒で、
室町時代に北野天満宮の再建の際に残った材木を使って
7軒の茶店を建てたのが発祥だとか。
この上七軒で元芸妓である勝ふみさんに、
舞妓・芸妓の話を聞かせてもらいながら、
私自身も舞妓体験をしてきました。
舞妓と芸妓の違いですが、舞妓は芸妓になる前の見習いで
身に付ける着物や髪型、かんざしの種類などが異なるそう。
舞妓は、肩と袖に縫い上げがあり、
だらりと垂れ下がる「だらり帯」に「裾引き」という、お引きずりの着物を着て
10cm以上ある「おこぼ」を履くのが特徴。
また、髪形は舞妓の場合、自毛で桃割れの髪を結い上げ、
経験年数や行事に応じて結い上げる髷(まげ)が決まっているといいます。
ちなみにかんざしは、2月は「梅」、4月は「桜」、10月は「菊」
というように四季折々の花があしらわれています。
舞妓になるためには、中学卒業後に
お茶屋(プロダクションのようなもの)に所属し、
唄や舞、三味線の稽古、京言葉や花街のしきたり、行儀作法などを学びます。
弱冠15歳にして、将来の職業を決めるというから驚きですが、
全国各地から舞妓希望者が集まるというからさらに驚かされます。
勝ふみさんいわく、舞妓・芸妓に大切なことは、
"お客様をもてなす心"だそう。
日菓の二人も「和菓子の根底にあるものを学びたい」
と、茶道を習っていて、
「お茶の世界では、何があっても落ち着いていて、
その場の時間の流れを止めない臨機応変さが必要で、
何よりお客様に楽しんでもらうことが第一」
と話していました。
和菓子も舞妓・芸妓も京都のお茶文化とともに栄えてきたもの。
季節のうつろいに敏感で、相手のことを思いやる心を持つ日本人の精神は
こうした古くからの文化の積み重ねによって、
自然と育まれてきたものなのでしょう。
伝統文化が一部形を変えながらも、色濃く残る京都だからこそ、
こうしたことを感じることができたに違いありません。