Made by Japanese
京都市河原町にある、明治8年創業の「開化堂」。
茶筒専門店としては、日本で最も古い歴史を持つといわれています。
そんな長い歴史を持ちながらも、創業以来からほぼ同じ製法で作られる茶筒は、
今の時代にも色褪せることなく、洗練された輝きが放たれています。
明治初期の文明開化の頃、
英国から輸入された錻力(ブリキ)を使って缶を作ったのが始まりとか。
銅や真鍮をまとった美しさは、思わず目を見張るほどです。
茶筒の使い心地を左右するのは、蓋のフィット感。
キツすぎても緩すぎても、どうも心地悪く感じてしまいますが、
開化堂の茶筒は、上蓋と下蓋の継ぎ目を合わせるだけで、
音も立てずにゆっくりスーッと閉まってくれます。
この絶妙なフィット感は、開化堂5代目の八木聖二さん、
6代目隆裕さん親子によって生み出されています。
「この感覚は初代から変わっていないんですよ。
実は内側にカーブしていたり、微妙に膨らみがついていたり
。
見えない部分にも手間がかかっていて、その工程は130に及びます」
そう話す6代目の隆裕さんは、職人でありながら、
プロデューサーとしての一面も持っています。
大学卒業後、就職した先で海外勤務を経て、家業に転身。
それまでに培われた語学と適応性を生かして、
5年ほど前から、開化堂ブランドを海外へ展開し始めたのです。
ニューヨーク、ロンドン、パリなどで開催される展示会では、
茶筒づくりを実演し、海外のバイヤーからも高い評価を獲得。
今やその先は欧米を中心に10カ国に広がっています。
「Made in Japanを打ち出して、一部の日本好きをターゲットにするよりも、
いかに海外の人の日常生活に取り入れてもらえるかを念頭に置きました」
と隆裕さんが話すように、海外での見せ方は茶筒としてではなく、
様々な食材の保存容器としての見せ方をしています。
パスタ缶といった容器にまで、その用途は拡大しています。
「ただ、あくまでもこれらは茶筒を知ってもらうためのツール。
祖父の時代、機械化の波に押されながらも、京都のお茶屋さんが
"ワシが買うてやるから、お前のとこはいいものだけ作っておけばいい"
といって使い続けてくださったことを、忘れてはいけないと思っています」
隆裕さんは、開化堂のコンセプトは以下の3つだと話します。
*機能的
*シンプルなデザイン
*長く使える
機能的で、シンプルなデザインというのはいうまでもありませんが、
長く使ってもらえるように、修理までも受け付けているんです。
新しいものを買ってもらう方が、企業としては利益が上がるだろう所、
直せるものはできる限り直す、という姿勢には感銘を受けました。
使い込んでいくうちに変化する光沢と色は、
まさに「用の美」。
錻力(ブリキ)で30~40年、銅で1~2年、真鍮で3~4年ほど使うごとに、
徐々にその味わいを深めていくのです。
さらに、写真右下の真鍮は、使う人の食べているものによって、
右のような赤褐色か左のような黄金色か、どちらに変化するか分からないそう。
そのワクワク感と、いつまでも飽きのくることのない魅力に、
思わず真鍮の茶筒を一つ買わせていただきました。
現在、他の京都の伝統工芸4社とともに、
日本の伝統技術を海外へ打ち出す取り組みにも従事する隆裕さん。
「日本の伝統技術を分解して、海外のマーケットに合わせて展開する。
Made in Japanではなくて、Made by Japaneseが実現できれば、
日本の伝統産業は続いていけると思っています」
日本のものづくりの未来までをも見据え、
海外へも発信できる力を持った伝統工芸の職人は、
これからの時代における模範と呼べるかもしれません。