MUJIキャラバン

レゲエを愛する、金網職人

2013年05月22日

「好きな食べ物はロコモコ。
京都だからっておばんざいを毎日食べているわけないですよ(笑)」

今回、京都でお会いしたのは、金網職人の辻徹さんです。

HIPHOP系のアパレル会社で働いていた辻さんですが、
10年前の21歳の時に家業を継ぐために実家に戻りました。

「一度しかない人生後悔しないように生きなさい」という母親の言葉通り、
やりたいことをして過ごしていたという10代。

ジャマイカ出身のレゲエシンガー、ジミー・クリフの歌に出会い、
「自分が本当にやりたいことは何か?」と自問自答していたそう。

「自分の目で見たものしか信用できない」と話す辻さんは、
実際にジャマイカに行き、そこで自分のやりたいことは"商売"である
という答えに行き着き、父親が起ち上げた「金網つじ」を継ぐ決心をしたといいます。

辻さんの生まれ育った京都は、古くから都として栄え、
日本の食の中心地として料理文化が発達してきました。
おいしさを育む調理道具も当然、ともに発展。

湯豆腐に欠かせない"とうふすくい"や"焼き網"、
"茶こし"に"うらごし"などの金網細工もその一つです。

昭和の半ばまでは、30軒以上あった金網細工の工房ですが、
プラスチックやステンレスの発達や海外産のものに押され減少。

周りが調理器具以外のフェンスなどの建築関係の仕事に移行していくなか、
辻さんのお父様、辻賢一さんは調理器具一筋で仕事を続け、
今では数軒になってしまった金網工房の代表的存在となっています。

辻さんが実家に戻ってからは、それまで問屋経由が中心だった仕事を、
「技術があるんだからもっと前に出よう!」と、直接の仕事に切り替え、
6年前には直営店舗もオープンさせました。

その後、ネットショップも立ち上げ、プロの料理人だけでなく、
一般個人のお客様にも手作りの調理器具を届けています。

「顔の見えるものづくりではなく、作る時は作る。売る時は売る」
が主義の、辻さんの工房へお邪魔すると、
真剣な眼差しで一本一本銅線を編んでいました。

編み始めが肝心で、細かい作業で集中力を要するんだそう。

しかし、次の瞬間、この顔に!

とってもお茶目な職人さんなのです。

「自分はお客様と、ものづくりをする職人の間の位置にいたいと思っています。
よく販売の時に"大は小を兼ねる"とかいいますけど、
今の時代、小さい方がしまう場所や使い勝手がいい場合も多い。
イメージだけでなく、あくまで"使われる道具"として、
きちんとした売り方をしたいんです」

辻さんは国内外問わず、実演に出かけ、
金網の調理器具を自分の言葉で発信していっています。

中国では「日本に若い跡継ぎがいるのはなぜか?」とよく興味を持たれるそう。
なんでも、中国において伝統工芸士はワーカーに過ぎないのだとか。

「伝統工芸に固執していちゃダメだと思うんです。
100均だって別にあり。人の価値観によるものだから。
でもうちは『現代の生活に溶け込む商品づくり』をコンセプトに、
守らなければならない部分は守り、
変えないと売れない部分は変えながら、やっています」

辻さんは、海外での商売のコツは
「その国に合わせるのが大事」と教えてくださいました。

例えば、茶こし。

もともとの日本茶用の茶こし(写真上左)はある程度深さがありますが、
ヨーロッパにこのまま持って行くと、深さがありすぎて
何かをすくう動作しか連想されなかったそう。

そこで、海外用に浅いモノ(写真上右)を開発。

また、フランスのご夫人などが紅茶を入れる際に、
茶こしを2本の指で持つということを知り、
写真のものよりも細い柄のものも作ったといいます。

それでも商売をする際に、あまり国内/海外という風には見ていないという辻さん。

「しょせんみんなワンブラッド。同じ人間ですから」

と語り、あくまでもフラットな視点を持っている方でした。

「今後はもっとお金儲けがしたいですね。そして若い職人を雇いたい。
それができるのは仕事が増えている状態ってことですから。
うちの商品は全部脇役だって親父がいつも言っています。
その創作理念『脇役の品格』を大切にしながら、
うちにしかできないものをもっと作っていきたいと思います」

お父様を背に、少し恥ずかしそうに、でも自信を持って話す辻さんは、
とてもかっこよかったです。

技をつなぐこと、想いをつなぐこと。

それが親子間で実現されていることが、何よりも素敵なことだと感じました。

  • プロフィール MUJIキャラバン隊
    長谷川浩史・梨紗
    世界一周の旅をした経験をもつ夫婦が、今度は日本一周の旅に出ました。
    www.cool-boom.jp
    kurashisa.co.jp

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