現代の風呂敷
モノを持ち運ぶとき、今でこそ鞄に入れるのが当たり前ですが、
一昔前の日本では、少し様子が異なったようです。
そう、「風呂敷」に包んでいたのです。
もちろん、鞄も普及していたようですが、
鞄に入りきらないモノや、ちょっとした買い物などの際には、
風呂敷に包んで持ち運ぶのが一般的だったそうです。
それぐらい風呂敷は、日々のくらしで欠かせない日用品だったため、
地域のたばこ屋さんでも売られていたんだとか。
ただ、レジ袋や紙袋の普及によって、急速にその需要が低迷。
高価な着物をしまっておくときや、
結納の際に、贈答品を家紋入りの風呂敷に包んで贈るときなど、
特別なときにしか使われなくなってしまいました。
そんななか京都に、
異彩を放つ風呂敷屋があると聞いて訪れました。
「京都 掛札」
祇園の交差点から東大路通を北に向かって程なくすると、
見るもカラフルな店内に目を奪われました。
一見、鞄のように見えますが、
実はこれらはすべて風呂敷を結んだだけのもの。
柄も日本の伝統文様を現代風にあしらったものでした。
- 麻の葉
- 七宝
「日本の伝統文様には、それぞれ意味合いが込められているんですよね。
せっかくだから、それらを広く知ってもらいたかった」
例えば、蝶柄であれば、一度さなぎになって華麗に生まれ変わる神秘的な姿を
不滅・復活・立身出世にたとえて武家の家紋や意匠に好まれたそう。
また、つがいで飛ぶことから夫婦和合を、
幼子の衣装の文様として美しい成長を願ったといいます。
デザインを手掛ける3代目の掛札英敬さんが、
その想いを語ってくれました。
もともと染物屋として、家紋入りの絹の風呂敷を手作りしていましたが、
10年ほど前から、こうしたカラフルでポップな木綿の風呂敷も手掛けるように。
現在も、おあつらえ専門でお父様と染色の仕事を受けつつ、
家族で日用使いできる風呂敷を提案していっています。
そもそも風呂敷という名は、室町時代末期に、大名が風呂に入る際、脱衣した服を包んだり、
足拭きに使われたりしたことに由来するといわれていますが、明確ではないそう。
その後、江戸時代に入り商売が盛んになると、商売道具や商品を運ぶ運搬道具として、
また、庶民のあいだでもやはり日常の運搬道具として、支持されていったそうです。
風呂敷なら縦横傾けることなく、
縦長のモノも横長のモノも、包むことができますよね。
「何も風呂敷は日本独自のものでもなく、世界各地に似たようなものはあるんです。
お隣、韓国には"ポジャギ"と呼ばれる包み布があったり」
英敬さんは、こうした文化は農耕民族であることが大きく関係しているといいます。
狩猟民族は、食糧調達の際に副産物として得られる毛皮を、
目的に合わせて裁断して縫合していたため、ごく自然に立体的なものが生み出されました。
一方の農耕民族は、農作物の繊維から布をつくるという風習だったため、
原料となる作物をつくる必要があり、そこから糸を紡いで、一枚の布を織り上げたわけです。
せっかく苦労して織り上げた布を、一度切って袋状にしてしまうと、それ以外に使えない。
平面であれば、包んだり敷いたり掛けたりと、応用次第で様々な使い方ができる。
こうしたモノを作り上げる大変さが、
モノを工夫して大切に使う文化を育んできたのではないか、
ということなのです。
「ただ、この平面から立体をつくるというのは、
特に日本で顕著に見られる文化だと思いませんか。
着物も、帯も結ぶことで立体的に見せたり、折り紙にしたってそうでしょ」
そう話しながら、英敬さんは目の前で一枚の風呂敷を、
バッグのように仕立ててくれました。
「少しアレンジを加えたところもありますが、結び方は昔から伝わっているものですよ。
欧米人には、よくマジックだ!って言われます。
結び方を知っているだけで、一枚の風呂敷は様々な形に化けるんです」
確かに、風呂敷一枚で、ここまで多様な使い方ができるとは
目からうろこが落ちるような発見でした。
「風呂敷を初めて使う人に提案していきたいんです。
そのためには、パッと見でかわいいと感じるデザインも大事だし、
包み方までキチンと伝えていきたい」
そう話すように、英敬さんはHPや店頭で包み方の指導はもちろんのこと、
「風呂敷のある風景」として、現代における風呂敷の日常使いを訴求していっています。
日本で育まれてきた、平面から立体を生み出す風呂敷は、
繰り返し使えてエコという観点からはもちろんのこと、
便利でかわいい、日常使いのできる代物であることを教わりました。
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