地の利を活かす、萬古焼
"土"の地と書いて「土地」というように、各地によって土の性質は違うもの。
今まで巡ってきた陶器の産地でも、
その地で採れた土を使い、代々受け継がれてきた技法を用いて
作られている陶器が多くを占めました。
そういった意味において、四日市萬古(ばんこ)焼の発展は、一風変わっています。
今や中京工業地帯の中心地として栄える四日市の雰囲気からして、
これまでの焼き物の産地とは異なりました。
山奥に窯元があるのではなく、住宅街にメーカーが存在していました。
というよりも、窯元がある場所に、後から住宅ができたのです。
「萬古焼には、この四日市の立地が大きく影響してきました」
そう語るのは、佐治陶器の佐治卓弥社長。
東海道沿いで、伊勢湾の良港にも恵まれた四日市は、交通の要所として栄え、
物流においても情報においても、外との交流が盛んでした。
その歴史は、日本のものづくりの変遷をたどるようなものでした。
江戸中期、桑名の豪商、沼波弄山(ぬなみろうざん)が、
茶の趣味が高じて、自分で茶器を焼き始めたのが始まりといわれる萬古焼。
「変わらず永遠に残っていくように」との意味から
「萬古」「萬古不易」の印を押したのが、その名の由来といわれています。
焼き物の俗称に珍しく地名が入らないのも、そうした理由から。
地元で採れる「紫泥(しでい)」と呼ばれる赤土は、鉄分を多く含み、
主に急須や土瓶が作られ、煎茶の普及とともに好評を博しました。
その繊細な装飾や本体と蓋を合わせる「すり合わせ」の技術などは、
四日市の陶工の右に出るものはない、と評されたほどで、
今も数名の伝統工芸師によって作られています。
伝統工芸士、実山窯の伊藤実山さんもその一人。
木型に薄く土を引いて成型していく「型萬古」も、
萬古焼を語るうえでは欠かせない逸品です。
提灯を製作する際の型をヒントに考案したといわれ、
東日本を中心にその製法は広まりました。
こちらは実山さんの奥さまが手掛けられたもの。
無釉ゆえに、使うほどに艶と深みが出てくるという、
急須と湯呑みでいただいた煎茶は、香りが高く格別な味わいでした。
ここまでは、他産地と同様に、地元の土・技法が活かされた焼き物です。
しかし、萬古焼の発展はここにとどまりません。
その地の利の良さから、全国各地から陶土・陶石を移入できたのです。
それらを活かして明治末期に水谷寅次郎によって作られた半磁器製品は、
翌年から大正に改元されたため「大正焼」と名付けられ、
磁器と異なる味わいが人気に。
原料の移入とともに、出荷もしやすかった四日市からは、
国内のみならず、海外へも積極的に輸出されていきます。
主に欧米向けの洋食器「ストーンウェア」は好評を博し、
最盛期の頃には生産額の約85%を輸出品が占めるほどでした。
その後は円高が進み、徐々にその輸出額を減らしていきますが、
紛れもなく萬古焼は世界の陶磁器産業の一角を担ってきた存在といえるでしょう。
そして、萬古焼を語るうえで欠かせないのが耐火陶器の存在です。
同じ三重県内の内陸部、伊賀では、成形しやすく耐火性の高い土が採れたため、
交通の要所となる四日市へ陶土が運び込まれ、多くの耐火陶器が作られたのです。
なかでも、萬古焼を代表する商品の一つが土鍋。
料理屋から一般家庭にまでその需要が拡大していくに従って、
萬古焼の土鍋も進化を遂げていきます。
アフリカ産のペタライトという長石を40~50%含んだ土の開発によって、
直火にかけたり、空焚きに対しても十二分に耐えうる
"割れない陶器"ができあがっていったのです。
さらに、機械化をすることによって、品質と価格の安定を実現。
クオリティに定評がある土鍋専門メーカーの利行(りぎょう)を訪ねると、
品質に影響する部分は機械化、味わいを出す部分は手作業と明確に役割を分け、
驚くほどのスピードで土鍋が生産されていました。
こうして、国産土鍋の約8割のシェアを占めるほどまで、
萬古焼はその性能と品質を高めていったのです。
ここまで見てきただけでも、急須・半磁器・土鍋とその裾野が広い萬古焼。
それを手で引く陶工にも器用さが求められることはいうまでもありません。
山本安志さんは、四日市でろくろを回すこと40年の職人。
どんな土でも、その性質に合わせて力をコントロールし、
そして素早く引くことができるといいます。
我々の目の前でも、一瞬の間に大皿を引いてくださいました。
それも限りなく薄く!
「できないとはいわないようにしているんです」
と、山本さん。
顧客からの要望に応えるために、従来の作り方ではできなかったことを
徹底して研究して、できるやり方を作り上げていくんだとか。
様々な土、技法、顧客の要望に対応してきた萬古焼ならではの、
職人魂を感じずにはいられませんでした。
昨今の萬古焼では、長年の研究による耐熱陶器の技術と商品の裾野の広さから、
鍋を洗う必要がなくなる、そのまま火にかけられるラーメン鉢や、
火にも電子レンジにもかけられるご飯窯まで生み出されていました。
直火で炊けるからおこげもできるし、
そのまま保管して、次の日レンジで温め直すこともできるから便利です。
「歴史と技術を培ってきた萬古焼で、
これからも家庭に受け入れられるものを作り続けていきたい」
と話す佐治社長。
その地の利を活かして発展してきた萬古焼には、
これからも新たな食器・調理器具の誕生を期待せずにはいられませんでした。