尾鷲のかつお節
四方を海に囲まれた島国、日本において、
魚と食生活は切っても切れません。
戦後、急速な食の欧米化にともなって、肉食も一般化していきましたが、
それまでは豆類と並んで魚が、日本人の貴重なたんぱく源となってきました。
沿岸部は、漁業を生業にしてきた町がほとんどで、
紀伊半島東岸の三重県尾鷲(おわせ)市も、その一つ。
漁船が戻ると、そこら中で芸妓を呼んでの宴が催されていたほどで、
漁師はそれぐらい羽振りの良い花型の職業だったそうです。
そして、威勢の良い気質は、今も地域のお祭りに表れており、
毎年2月初めには「尾鷲ヤーヤ祭り」という裸祭が開催され、
極寒の海に素っ裸で海に飛び込む清めの儀式などが行われているんだそう。
現在では港に揚がる魚も少なくなってきたそうですが、
マグロやカツオなど、新鮮な魚料理を振る舞うお店も多い様子。
そんな町で、創業以来、今も変わらぬ製法で、
「かつお節」を作り続ける生産者にお会いしました。
「大瀬勇商店」、ここ尾鷲の地で100年以上続く海産物店です。
魚のダシが染み込んでいそうな一つひとつの道具からは、
その歴史の重さが醸し出されていました。
現在、4代目の大瀬勇人さんが、3代目の大瀬勇喜さんとともに、
昔ながらの製法で「かつお節」や「魚の燻製」を作り続けています。
「今は外国の引き網漁が活発なので、稚魚でも根こそぎ持っていかれてしまい、
尾鷲に水揚げされる魚も少なくなってしまいました。
ただ、尾鷲の魚はおいしいんです。その味を伝えていきたくて」
勇人さんがそう語るように、
安定供給のために他産地から仕入れる加工業者もあるなか、
大瀬勇商店では尾鷲産にこだわり続けています。
そのため、水揚げされるカツオのサイズも様々。
この地域では「生節」と呼ばれる
ある程度、燻製をかけた状態のカツオで食べることが一般的なのですが、
大瀬勇商店では、不ぞろいのカツオを余すことなくいただくために、
あえて一手間も二手間もかかる「かつお節」を作り続けているのです。
桜の木で燻しては乾かすこと、約10日間。
徐々に水分が飛ばされたかつお節が出来上がっていきます。
発酵食品といわれているかつお節は、この状態にカビを付着させることにより、
さらに水分を飛ばしながら熟成した「枯節(かれぶし)」と呼ばれるものです。
ただ、現在この製法で作られているかつお節は、
鹿児島など安定してカツオが水揚げされる地域においてのみだそう。
ここではカビを付着させない分、
水分を飛ばすために燻される時間は長いわけです。
こうして手間隙かけて水分を飛ばされたカツオは、
叩くとコンコンと音がなるほど硬く仕上がっていました。
これを、削り機にかけることで、
「花カツオ」と呼ばれる、食卓でおなじみのかつお節へと変化していくのです。
削りたてのかつお節には、旨みが凝縮されており、
思わず「うまい!」と声をあげていました。
「おいしいでしょ? 尾鷲のカツオは脂身が少ないのですが、
それがかつお節には向いている。尾鷲で水揚げされたカツオに感謝です」
勇人さんのその言葉通り、
大瀬勇商店では、余すところなくカツオをいただくため、
骨は"つまようじ"として製品化していました。
地域の産物に感謝をしながら、
製品ありきではなく、素材ありきでモノを生み出す姿勢。
ここにも地域に根ざして奮闘し続ける生産者のひたむきな姿がありました。
大瀬勇商店のかつお節には、
代々、引き継がれてきた想いが込められています。