顔晴れ!塩竈
宮城県、塩竈(しおがま)市。
日本三景の一つに数えられる松島湾岸に位置するこの地は、
その名の通り、古くから塩づくりの里として知られています。
全国にある塩竈神社の総本社がその象徴で、その末社である御釜神社には、
製塩法を伝えたといわれる鹽土老翁神(しおつちのおじのかみ)が祀られています。
これまでキャラバンでは、石川県・能登の「揚浜式製塩法」や、
高知県・黒潮町の「流下式製塩法」など、
各地の様々な製塩法について取り上げてきましたが、
塩竈の塩づくりは、これまた異なるものでした。
「藻塩(もしお)」
"ホンダワラ"と呼ばれる海藻でこした海水で作られる塩のことで、
日本の塩づくりの原点ともいわれています。
「松島の綺麗な海水のミネラルに加えて、
ホンダワラのうま味成分も溶け込んでいるから、まろやかな口当たりの塩ができる」
真っ黒に日焼けした「合同会社顔晴れ塩竈(がんばれしおがま)」の総括、
及川文男さんが、そう教えてくれました。
岩塩鉱や塩湖の存在しない日本では、
どんな塩づくりにおいても、いかに濃い海水を作り出すかが鍵だそう。
何度も砂地に海水をかけて濃い塩田をつくる「揚浜式製塩法」や、
流下盤に海水を流し、太陽熱で水分を蒸発させていく「流下式製塩法」に対し、
古来の藻塩は、幾度も海藻に海水を注ぎ塩分を多く含ませ、
これを焼いて水に溶かし、その上澄みを煮詰めて製していました。
ただ、効率が悪いとされた藻塩は、徐々に衰退していきます。
そうして、砂浜が少なく塩田の作れなかった塩竈では、
ほとんど塩づくりは行われなくなっていました。
そんな折、塩竈の若手たちのあいだで、
塩竈のこれからの町づくりを模索する動きが始まります。
塩づくりの聖地でありながら、塩づくりがないのはおかしい、と。
水産加工業を営む及川さんは、他産地の塩を使うことに疑問を感じており、
自身の工場の一角に、塩づくりのための竈(かまど)を設けることを決断します。
2008年、藻塩づくりを営む「合同会社 顔晴れ塩竈」が誕生するのです。
しかし、開竈から3年目の2011年3月11日、
未曾有の震災によって、塩竈は大津波の被害に見舞われました。
目の高さほどに掛けられたカレンダーにまで浸水した痕跡が、
その時の情景を物語っていました。
「大変な震災でしたが、3つの奇跡が起きたんです。
1つ目は、浸水した竈が無傷だったこと。
2つ目は、数cm下で津波はとどまり、事務所の神棚が残ったこと。
3つ目は、社名の"顔晴れ塩竈"の看板も残っていたこと。
これらを見たとき、我々がいち早く復興して乗り越えなければならない、
そう心に誓ったんです」
事務所内の神棚は、今も塩づくりを
しっかりと見守ってくれているかのように佇んでいました。
ちなみに、及川さんの塩づくりは、
奈良時代からの塩づくりを現代に伝えるための、藻塩焼神事にならって、
執り行われています。
樽の上に敷かれたホンダワラに、
松島湾から汲み上げられた海水を注ぎこみ、
アクを取りながら、竈でじっくりと煮詰めていく手法です。
「"手塩にかける"って言うじゃないですか。
ものづくり原点は塩づくりだったと思うんですよね。
点滴の成分に塩が含まれるように、塩は人間にとって欠かせないもの。
だから、古くから人間は塩を作り続けてきたのです」
及川さんが手塩にかけた塩は、
本当にまろやかで優しい味がしました。
今では、お寿司屋さんやお菓子屋さん、食堂など、
市内の様々な店舗で藻塩が用いられ、町興しの中核を担っていました。
なかでも、藻塩を使った塩焼きそばは絶品!
「どんな土地にも隠れた資源があります。
それを誰かが掘り起こしていくことが必要なんです。
塩竈ではも~しおがないから、俺がやっているんだよ(笑)」
冗談を交えながら話す及川さんの竈から立ち上る蒸気は、
まさに復興の狼煙のようでした。
[お知らせ]
2013年7月26日(金)~9月1日(日)まで、無印良品有楽町2F・ATELIER MUJIにて
「MUJIキャラバン展」を開催します。
初日7月26日(金)19:00~はMUJIキャラバン隊のトークイベントを予定。
その他、各地で出会った職人を招いたワークショップも行いますので、
ぜひ遊びに来てください!
ATELIER MUJI「MUJIキャラバン展」イベント情報はこちら
(各イベント要予約 ※申込は定員に達し次第終了致します)