OCICA
三陸海岸の最南端に位置する、宮城県石巻市・牡鹿半島(おしかはんとう)。
リアス式海岸に囲まれた半島全域が山地で、
その名の通り、鹿が多く生息しています。
「神聖な動物として崇められている金華山の鹿が、
泳いで牡鹿半島に渡ってきたといわれているのよ」
牡鹿半島の西岸、牧浜に住む阿部たい子さんが、
包み込むような笑顔で、私たちを迎えてくれました。
「牡の鹿にだけ生える角は、1年に1回生え変わるの。
そんな鹿の角は、昔から水難・海難のお守りだったんです」
阿部さんはそう話しながら、
輪切りにされた鹿の角を、入念に磨き始めました。
阿部さんが作っているのは、
「OCICA」と呼ばれるアクセサリー。
鹿の角をドリームキャッチャーに見立て、
良い夢を運んでくれるよう、復興への祈りが込められています。
「牡鹿半島」という名前を象徴するようなモノづくりが始まったのは、
2011年の東日本大震災がきっかけでした。
太平洋に面した東岸の、ホタテやホヤ漁などに対して、
石巻湾に面した西岸は、昔からカキの養殖業が盛んな地域。
しかし、震災の影響で漁はストップ。
養殖施設も加工施設も津波で壊滅し、再建の目処も立たないなか、
行く末が見えず、途方に暮れていた人も少なくなかったといいます。
そんな折、漁を支えてきた働き者のお母さんたちに、
少しでも仕事を創出したいという想いから立ち上がったのが、
「OCICAプロジェクト」でした。
ここにしかないモノを用いて、お母さんたちが手掛けられるもの、
ということで、最初に作ったのは「鹿の角のストラップ」。
「ただ、初めはどうしても"手作り品"の域から抜け出せなかった」
と、OCICAをプロデュースする一般社団法人つむぎやの
現地コーディネーター斉藤里菜さんは、当時を振り返ります。
「復興のためのモノづくりではなく、
本当に市場で受け入れられるものなのかが大切だと思っています。
そのためにイベント等で展示販売して、お客さんの反応を見ていきました」
そんななか出会ったのが、横浜のデザイン事務所「NOSIGNER」。
社会的意義を踏まえたデザイン活動を続ける彼らによって、
鹿の角に、細くて丈夫な漁網の補修糸を用いたアクセサリーが考案されたのです。
鹿角と漁網は、牡鹿半島では身近な素材。
できるだけシンプルな制作工程も、年齢幅の広い浜の女性たちに配慮されたものでした。
こうして生み出されたOCICAは、
1年間で2000個以上も販売されるほどの人気商品に。
漁網とは思えない鮮やかなカラーが、
耳元や胸元を華やかに彩ります。
最初からこのプロジェクトに参加していた阿部さんは、
「身近にある素材で素敵なものができてとてもうれしい」
と話します。
「糸ノコなんかも初めはうまくできなくてね。最初の頃できなかったことも、
だんだんとできるようになっていくのが楽しいです」
こうして牧浜のお母さんたち一人ひとりが、
使い手に「幸せになってほしい」と想いを込めながら、
作り上げられていくOCICA。
商品は一つひとつ、作り手さんの屋号の印が押され、
売れた分の一部がお母さんたちの収入に直接つながっています。
これも、カキ養殖の時に浮き輪に屋号を付けることから、
活かされた知恵でした。
「これを主な生業として暮らすのを目指しているのではなく、
公民館に集まってのOCICAの作業日の後、決まって催される、
お茶っこ(お茶会)が楽しいから続けてるのよね」
と話す阿部さん。
実際に、隣の浜の人とも仲良くなって、
道で会ったら挨拶したり、お茶を飲むようにもなったそうです。
OCICAは単なるモノづくりのみならず、
コミュニティを再興することにもつながっていました。
「多いときには12~13人ほどいた作り手さんも、
カキ養殖が再開した今は、4~5人になりました。
これも復興している証だから、寂しくはありませんよ」
震災前、カキ養殖が主要産業だった土地に、
地元の資源を使った新たな生業を生み出したOCICAプロジェクト。
震災というきっかけですが、
他の土地においても参考になる事例が、
東北では次々と生まれているように感じました。