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発酵と人生の設計図
宮崎県のほぼ中央にある綾町は、「有機農業の町」として知られており、
私たちもキャラバン中にその町づくりを取材しに訪れた場所です。
そんな綾町で造られているお酢があると聞き、生産者を訪ねました。
Found MUJI でも取り扱っている「綾の有機黒玄米酢」です。
「うちのお酢は代々、酢杜氏によって引き継がれてきたものです」
大山食品株式会社の4代目社長・大山憲一郎さんに
お酢づくりの現場をご案内いただくと、
そこには辺り一面に並んだ瓶(かめ)の数々が目に飛び込んできました!
南国の太陽が降り注ぐ南斜面にあることに加え、
雨よけのアルミ傘が光を反射し、とても眩しい光景です。
「この瓶の中に、綾産の有機玄米と綾の地下水、黒麹、種酢を
入れるだけのシンプルな製法ですが、
昭和5年の創業以来変わっていないやり方です」
大山食品では、この瓶仕込みの際に、焼いた状態の備長炭を入れるそう。
それは瓶内を発酵しやすい環境にするための工夫だとか。
また、瓶の蓋には通気性の良い米袋を使用し、
その上に5円玉を置くことで、その色の変化で中の発酵状況を
見極めているといいます。
「宮崎の焼酎蔵の多くも瓶を仕込みに使っていますが、
お酢づくりにはこの瓶がもってこいなんです。
瓶の中で最初アルコール発酵が起こると、アルコールは軽いので自然と上に行き、
次に酢酸発酵すると、酢酸は重いので下に行く。
下の部分がとんがった瓶の中で自然と対流が起こり、発酵が促されるのです」
さらに、屋外に瓶を置くことで、昼と夜との温度差が
味に深みとコクを与えてくれるんだそう。
瓶から直接汲んだ黒玄米酢を味見させていただくと、
お酢特有の鼻に抜けるようなツンとした感覚はなく、
とてもまろやかで、コクのある優しい味わいでした。
大山食品の"黒玄米酢"とは、「黒麹」を使ったお酢のこと。
一般的にお酢を仕込む際に使う「白麹」だと、さっぱりとした味の仕上がりに、
大山食品の使う「黒麹」だと、コクのある仕上がりになると大山さんは話します。
また、お酢は春と秋に仕込んで、瓶の中で6ヵ月発酵させ、
さらにタンクに移してからも最低6ヵ月熟成させます。
そうすることで、さらに味がまろやかになるのだそう。
ところで、大山食品の本社は綾町のお隣、国富町にあります。
てっきり「有機農業の町」だから、綾町に工場を構えたのかと思っていたら、
こんなお話を聞くことができました。
「40年ほど前に綾に工場を移転したのですが、
それはお酢の仕込みに欠かせない"水"を求めてきたからです。
当時の綾は過疎化が進み、『夜逃げの町』といわれていたくらい。
それでも『有機農業の町』としての方向性はありましたから、
原料にこだわりのあるお客様からの依頼とも一致して決めました」
今年から会社として、農業の本格スタートもした大山食品。
「目標は、すべての原料を自分たちで作って、加工、販売もすることですね」
そう話す大山さんは、着々と自分の夢を実現させていました。
20歳でお酒の魅力にハマり、将来お酒造りをしたいと決めた大山さんは、
現在、どぶろく造りも手掛けています。
そのための製造や販売を行う施設も作り、一歩一歩前へと進んでいます。
そんな大山さんがいつも持ち歩いている手帳には、
○歳で○○をするという、明確な人生の設計図が描かれていました。
「大きな将来の絵を描いて、それを繰り返し見ることで
やりたいことを潜在意識に摺り込みます。そうすると自然と行動に移せる。
発酵食品を極めて、世の中に貢献するのが私の人生の目標です」
お酢の伝統製法と味は守りながらも、
自らの道を決めて、歩み続けている大山さん。
すっきりと澄んだ「綾の有機黒玄米酢」の味は、
まっすぐとした眼差しで前を向いている、
大山さんの信念そのものかもしれません。
【お知らせ】
MUJIキャラバンで取材、発信して参りました生産者の一部商品が
ご購入いただけるようになりました!
その地の文化や習慣、そして生産者の想いとともに
産地から直接、皆様へお届けする毎月、期間限定、数量限定のマーケットです。
[特設サイト]Found MUJI Market
綾町の美しい町づくり
宮崎県のほぼ中央、宮崎市から西に約20kmの地に、
多くの緑に囲まれた美しい町があります。
綾町(あやちょう)。
人口7200人強の小さな町です。
今、この小さな町が世界中からの注目を集めています。
2012年7月11日、ユネスコのエコパークに登録されたのです。
ユネスコのエコパークとは、一言で言うと、
地域の文化を守りながら、地域社会の発展を目指す地域のこと。
評価された点は大きく以下の点で、
日本固有種の多い照葉樹自然林の面積が日本一広く、
その保護・復元活動に積極的に取り組んでいる点と、
町を挙げて有機農業を推進し、自然と人間の共存に配慮した地域振興策。
約380戸ある農家のすべてが、
綾町の認める有機農業に準じているのです。
そもそも綾町が有機農業を推奨し始めたのは昭和48年のこと。
今でこそ有機栽培された野菜が注目されていますが、
当時から町ぐるみで有機農業に舵を切っていたとは驚きです。
そこには、亡き郷田実、前町長の強力なリーダーシップに基づいた
町政がありました。
『命を守り心を結ぶ-有機農業の町・宮崎県綾町物語-』(自治体研究社)
によると、前町長は、町づくりの目標は、
「目先の住民ニーズよりむしろトレンド(方向・近未来像)を示すこと」と置き、
「心の豊かさ・余暇を楽しむ・健康を買う時代の到来」と捉えます。
そして、かつて農山村の伝統であった『結いの心』に焦点を当て、
町民が生き生きした生活文化を楽しむ町づくりを推進しました。
昭和40年代前半、
綾町にも大規模な国有林の伐採計画が持ち上がったことがありましたが、
前町長は、「照葉樹林を町の発展のために最大限に利用したい」として、
国に直談判をし、計画を阻止。
その後、「森を守ろうという気運を高めたい」と、
照葉大吊橋の建設を決めました。
同時に、「自然の仕組みを生かし、健康な野菜をつくろう」と
地域住民に対して有機農法を導入した、一坪菜園の推進と
野菜種子の配布を行ったのです。
現在、綾町役場で有機農業振興係を務める
入田さんにお話を伺いました。
「綾町では、昭和63年には全国に先駆けて、
自然生態系農業(有機農業)の推進に関する条例を制定しました。
家庭から出るし尿や生ごみ、家畜糞尿などを町で回収して、
堆肥や液肥にリサイクルすることも進めています」
こうした取り組みも、前町長の提唱する
「土づくり」の考えに基づいたものです。
「薬をかけないとは言わない。土をつくれば薬は必要なくなる」
町内で資源循環を行うシステムが出来上がっているのです。
「さらに綾町では、管理状況に応じて、
農産物のランク付けを実施しています。
厳しい基準の認証制度をクリアしているので、
安心・安全な自然生態系農産物の証といえると思います」
認定は、過去の農地の管理状況に加え、
栽培された作物の栽培管理状況によって、
総合的にランク付けされるようです。
入田さんにお薦めされ、地元で生産された新鮮な有機野菜などが並ぶ、
町中の「手づくりほんものセンター」に足を運ぶと、
そこには確かにランク分けされた野菜が並んでいました。
こうした農産物は、町内の公共施設をはじめ、
学校給食の食材にも使われていますが、
最近では、県内はもとより県外へも販路が拡大し、
町内への供給がひっ迫するほどだそう。
そんな綾町へは有機農法による農業を求めて、
毎年30組ほどの移住希望者がいます。
町では有機農法の厳しさを正直に伝え、それでも取り組みたい、
という希望者を、年間3~5組受け入れているそうです。
観光客に関しては、年間120万人が訪れるまでに。
綾町の町づくりは、
あくまでも地域住民が生き生き楽しく暮らせる町をつくることであって、
そこに時代と周囲が付いてきているのです。
帰りがけ、前町長の娘さんが営まれている、
「薬膳茶房オーガニックごうだ」へと立ち寄りました。
限定メニューで提供される料理の数々は、
どれも健康と美味しさのバランスが取れたものばかり。
綾町には、
町づくりのうえでも、人が生活を営んでいくうえでも、
様々なヒントが隠されているように感じました。
飫肥杉とともに生きる
宮崎県南部に位置する、日南市(にちなんし)。
市の面積の約78パーセントを森林が覆い、
その多くは飫肥杉(おびすぎ)に占められています。
江戸時代に飫肥藩によって植えられたそれらの木は、
まるで運動会に整列する園児のようにズラリと並んでいました。
なかでも、日南市北郷町(きたごうちょう)の森林は、
全国で48ヵ所ある「森林セラピー基地」に認定されています。
「森林セラピー基地」とは、
森林浴によるリラックス効果があり、血圧低下や身体の免疫効果向上など
心身を癒やす効果が高いことが科学的に実証されている地域のこと。
この基地を活用して、北郷町では
「森林ノルディックウォーキング」や「森林ヨーガ」などの
セラピープログラムを実施しています。
このプログラムの企画・運営を行うのが、「NPO法人ごんはる」。
森林セラピーの他にも、地元にあるモノを活かしていこうと、
様々な商品開発および一部製造と販売までを一手に担っています。
スタッフの方が使っていたこのバッグも
彼らが手掛けた商品のひとつ。
すれ違ったら、おもわず二度見してしまうほど
異彩を放っていました!
実際、出張で県外に行くとよく声をかけられるんだそうです。
「木を身近で利用したい」という想いがキッカケで
飫肥杉を使った商品開発に及んだという姫野さん。
飫肥杉は、樹脂を多く含んでいるため水を吸収しにくく、
軽量で強度が高く、曲げにも強いことから
造船用として盛んに利用されていた過去もあり、
バッグにはもってこいの資材だったのです。
また、傷や汚れがついても磨けばまた元通りになり、
さらに杉の香りも楽しめるのが特徴です。
また、こちらのランプも、同じく飫肥杉を使ったもの。
地元住民と一緒に作り出したものだそうです。
灯りを点すと、うっすら木目が浮き上がり、
部屋の中でも、木のぬくもりを感じることができます。
「地元の人には、この杉が当たり前になってしまっているので、
むしろ地元以外の人や都会の人に、木の魅力を発信していきたいと思います」
そう話す姫野さんたちは今日も、飫肥杉と向かい合って生きています。
オリジナルの冷や汁を♪
旅の楽しみのひとつは、地元の味をいただくこと。
食材も、レシピも簡単に手に入ってしまう時代ですが、
その土地や季節ごとに味わうものは、また格別なものです。
私たちが宮崎県を訪れたのは8月下旬。
まだギラギラと光る太陽と暑さに迎えられました。
そんななか、飲食店のメニューに"夏季限定"で見かけたのが
「冷や汁」です。
冷や汁は、古くは鎌倉時代の書「鎌倉管領家記録」に、
「武家にては飯に汁かけ参らせ候、僧侶にては冷汁をかけ参らせ候」
と記されており、僧侶が全国に広めた料理といわれています。
それが後に、夏の暑さが厳しい宮崎県の風土に適して
郷土料理として定着するようになったのだそう。
ただし、宮崎県全域で食べられるようになったのは最近のことで、
各家庭で作られているのは、宮崎市周辺のみのようです。
冷や汁に関しては、
冷たいお味噌汁をごはんにかけて食べるもの、
といった予備知識はありましたが
何が入っていて、どのように作られているのか、
これまで知ることはありませんでした。
今回は宮崎市内の料理店「アンドレ貴島」さんにご協力いただき、
実際に冷や汁づくりにチャレンジしてみました!
材料はこちら。
あじ(素焼きにして身をほぐしておきます)、味噌(麦味噌)、
きゅうり、いりごま、豆腐、みょうが、大葉、水
まず、すり鉢でごまをすり、そこにあじの身を加えてまぜ、
さらに味噌を加えてペースト状にします。
続いて、この味噌ペーストを焼きます。
本来は、すり鉢の内側に味噌をのばしてつけ
逆さまにして炭火で焼くそうなのですが、
今回はアルミホイルにのせて、オーブントースターで焼きました。
味噌を焼くのは、味噌の生臭さを抑えて、香ばしさを出す工夫。
焼き味噌ができたら、味見しながら水をお好みの量加えます。
ごはんにかけるので、少し濃いめでもいいかもしれません。
氷を加えて、きゅうりとみょうが、大葉を入れたら
基本の汁の出来上がり!
これに各家庭によって、種類の違うお豆腐を入れたり、
たまねぎのスライスやトマト、梅干しを入れたりするそうです。
お豆腐入りはごはんにかけなくても、それだけで主食になる味で、
トマト入りはなんだか別の食べ物のよう。
ちなみに、無印良品からも「宮崎風 冷や汁」が出ているので、
お好みの具材を入れて、オリジナルの冷や汁を作ってみては
いかがでしょうか?
もちろん、汁から手づくりもオススメです!
神話の里
神話の里といわれる宮崎県といえば、
高千穂を思い出す方も多いのではないでしょうか。
高千穂町にある高千穂峡は、
なんと約12万年前と約9万年前の2回の阿蘇火山活動の時に
噴出した溶岩流(火砕流)を五ヶ瀬川が浸食した侵食谷。
上流の窓ノ瀬から下流の吐合間が中心で、1934年11月10日に
五ヶ瀬渓谷(ごかせがわきょうこく)として、
名勝及び天然記念物に指定されています。
この日の高千穂峡は残念ながら、台風のため、濁流でした。
ボートから望む滝を楽しみにしていたのですが、ボートは中止
。
でもこの景色だけでも圧巻でしたよ!
この七ッヶ池(ななつがいけ)は、まるで時が止まっているような場所。
この高千穂峡だけでも、神話があちこちに書いてありました。
この土地に神話がたくさん残っているのも納得です。
傘も飛ばされる嵐のなかでしたが、
景色とともに神話を想像しながら時間を過ごしました。
特別な何かがありそうな高千穂エリアには、神社もたくさんあります。
まずは、高千穂神社へ。
創建は1900年前にさかのぼるという高千穂神社は、
「高千穂皇神社」として「続日本紀」にもその名が見られる歴史ある神社です。
天孫降臨の地と神話がある高千穂の八十八社の総鎮守。
夫婦が手をつないで周囲を3度回ると
夫婦円満・家内安全・子孫繁栄の願いが叶うという
樹齢800年以上の「夫婦杉」がどどーんとお出迎えしてくれました。
2本の大木が、根元で一つにつながっていることから、この名がつけられたそう。
私たちキャラバン隊も2人で回ってきました。
それから、天岩戸神社へも行きました。
相変わらずの土砂降りで、しばし雨宿り。
雨が落ち着いてから、神社からさらに奥へ10分ほど進むと、
天の安河原と呼ばれる場所があります。
ここは、神話に登場する天照大神の岩戸隠れの際に、
八百万の神々が策を練るため集ったとされる場所だそうです。
鳥居の周りで石を積んで願い事をすると叶うというのですが、
残念ながら、濁流のためこれ以上は近づけず
。
いつかまた出直したいです。
さて、高千穂町では毎年11月中旬から2月上旬にかけて、
町内のおよそ20の集落でそれぞれ氏神を民家等に迎えて奉納する
「夜神楽(よかぐら)」が行われています。
天照大神が天岩戸に隠れた際に、岩戸の前で、
あめのうずめのみことが舞ったのが始まりと伝えられるもので、
古くからこの地方に伝承され、秋の実りへの感謝と翌年の豊穣を祈願するのです。
夜神楽には33の番付があり、夕方から始まり翌日の昼前まで
舞い続けられるそうですよ。
世界を見ても、こんなにも長時間にわたって演ずる舞台はないんだとか。
高千穂神社の神楽殿では年間を通じて、
毎晩代表的な4番を観ることができるというので行ってきました。
写真からも伝わるでしょうか? 勢いのある舞いです。
後半は、舞台を降りて観客を巻き込むシーンも。
神聖なものとわかっていながらも、笑いも起こる、そんな舞台でした。
昔から、この神楽で、自然に感謝しながら豊作を祈り、
自然とともに生きてきた文化があり、
それが今も伝承されているところに、人々の願いの強さを感じます。
そして、それこそがこの土地のパワーになっているのではないのでしょうか。
宮崎に並んだ"あれ"
年間快晴日数、年間日照時間、年平均気温、降水量、
どれをとってみても上位にランクインする宮崎県。
そんな宮崎には、南国情緒あふれるこんな木々が並んでいます。
県の木としても制定されているフェニックス(ヤシ科の樹木)です。
並んでいるといえば、どこかで見たことのあるこんな顔ぶれも
。
なんとモアイです!
サンメッセ日南に立ち並ぶこのモアイ像(レプリカ)は、
イースター島を司っている長老会が、世界ではじめて認めた
島外のモアイ像なんです。
イースター島のモアイ像を修復する際に、日本企業が貢献をしたことから、
それに感謝をする証として認められたんだそうです。
日本が貢献したモアイ像修復については、こちら。
そして、無印良品イオンモール都城駅前では、
こんなものが立ち並んでいました。
歯ブラシです!
そう、こちらの店舗での人気商品が、
この「白磁歯ブラシスタンド」なんです。
この最低限の大きさにして、歯ブラシが倒れない優れもの。
店長の手の上でもこの通り、倒れません。
並んでいるといえば、店内にはこんな旗まで!
MUJIキャラバン隊へ向けた「都城へ ようこそ!」の旗を、
店内の至るところに飾っていただいていました。
うれしかったです。
無印良品イオンモール都城駅前店の皆さま、ありがとうございました!
それから私たちが宮崎県に滞在中の8月31日(金)に、
県内3店舗目の無印良品がオープンしました!
向かった先は、イオンモール宮崎。
無印良品 イオンモール宮崎店、堂々のオープンです!
当日は快晴に恵まれて、平日にもかかわらず大盛況でした。
こんなに元気な店長と副店長が迎えてくれました。
宮崎の皆さま、宮崎にお立ち寄りの皆さま、
ぜひ、遊びに行ってみてください♪