MUJIキャラバン

ロングライフデザイン

2012年10月15日

佐賀県と長崎県の県境にまたがる「肥前皿山地区」は、
豊富な天然資源を背景に、各地で焼き物の生産を主産業としてきました。

焼き物の産地に必要だった条件、

1. 斜面があること(登り窯を作るため)
2. 燃料(松)があること(登り窯を焚くため)
3. 水が豊かなこと(唐臼を動かすため)
4. 原料(陶石・陶土)があること

以上の4つが、「肥前皿山地区」にはそろっていました。

4つ目の原料は、「豊臣秀吉の朝鮮出兵」で連れて帰った
鍋島藩の李参平という陶工が、1616年に、有田の泉山で陶石を発見。

ここから、日本で最初の磁器生産が始まったといいます。

肥前皿山地区のひとつで、長崎県の北東に位置する
波佐見町(はさみちょう)は、
四方を山に囲まれた内陸の町で、佐賀県有田町とも接しています。

町を見渡すと、あちこちに窯の煙突を見ることができ、
「やきものの町」であることが一目瞭然です。

献上品などを作っていた隣町の有田と違い、
波佐見では一般の人々が日常使いできる器を作っていました。

その代表ともいえるのが「くらわんか碗」。

江戸時代、商人が小舟で「酒食らわんか餅食らわんか」と声をはりながら
食事などを大型船に対して売った「くらわんか舟」に由来するそうですが、
船の上でも中身がこぼれないように、どっしりとした構えの器です。

手頃な金額で売られた「くらわんか碗」は、多くの庶民の人気を得て、
"磁器は高級なもの、庶民には手が届かない…"
というそれまでの常識を大きく変えました。

そして、需要が増えた波佐見焼の窯は巨大化、
大量生産を行うようになったそうです。

その証ともいえる、全長170m、33窯部屋を持つ、
世界最大といわれる巨大な登り窯の跡がありました。

この手軽で良質な生活の中の器を作る波佐見地区で、
無印良品の波佐見焼および白磁シリーズは作られています。

青みがかった、透けるような白さが特徴です。

そして、これらの白磁を語るのにはずせない人物が、
陶磁器デザイナーの故・森正洋氏。

彼との協業で無印良品の白磁の器が生まれたのです。

今回は、森正洋氏とともに働き、現在も無印良品の器を生産をしている
生産者の元を訪ねました。

「先生はよくこうおっしゃっていました。
"時代やくらしが変わっているのに、焼き物だけ変わらないのはおかしい"と」

当時、森氏のアシスタントをされていた阪本さんはこう振り返ります。

森氏は、素材は伝統を守りながらも、形・デザインは新しく、
現代の生活にいかに根差すかを考えていきました。

森氏が一番大事にしていたものは、
人々の生活の中で長く使われるもの=「ロングライフデザイン」。

※森正洋氏の直筆のラフ画

「孫の代まで仕事があるように、10年、20年続くものを作ろう」と、
例えば、めし茶碗はこのデザインになるまで、
何度も何度もラインの幅などを見直していたそうです。

さらに、商品化された後も、自分がデザインした器を使って、
"生活に根差したデザイン"かどうかを試し、
その使い勝手を追求し続けていたといいます。

さて、そんな波佐見地区で最近人気のこの商品も作られていました。

白磁歯ブラシスタンド

一人暮らしや二人暮らしなどの場合に、
スペースをとらずに歯ブラシを置くことができる優れものですが、
実はこの商品、作る工程においても優れたポイントがありました。

器を焼く際の窯の隙間が埋められるため、焼成の工程において無駄がないのです。

これは、森氏が1961年度の「第1回グッドデザイン大賞」を受けた
「G型しょうゆさし」の開発概念と同じ。

このように氏のものづくりへの姿勢は
現在も波佐見地区の職人に受け継がれていました。

「G型しょうゆさし」が今も変わらず私たちの食卓で使われているように、
「白磁歯ブラシスタンド」はじめ、波佐見地区で新たに開発されるものも、
未来へ残るロングライフデザインとして作られていくのだと思います。

  • プロフィール MUJIキャラバン隊
    長谷川浩史・梨紗
    世界一周の旅をした経験をもつ夫婦が、今度は日本一周の旅に出ました。
    www.cool-boom.jp
    kurashisa.co.jp

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