野菜の一生
人にはそれぞれ生まれ持った個性があるように、
それは野菜においてもいえることを、
長崎県の雲仙市吾妻町で農家を営む
岩崎政利さんに教えていただきました。
「今はまだ赤ちゃんですが、よかったら見ていってください」
岩崎さんが赤ちゃんと呼んでいるのは、野菜の苗のこと。
私たちが岩崎さんの畑を訪れた10月初旬は、
9月に植えたばかりという種が発芽して間もないタイミングでした。
「こいつらは一つひとつ個性が強いので、
欠点を抑えて、良いところを伸ばしながら育ててあげるんです」
岩崎さんは、まるで我が子のことを話すように、
野菜の育て方について話してくださいました。
この個性が強いといわれているのは、在来種のこと。
岩崎さんは絶滅危惧の在来種の野菜を、種から育てているんです。
江戸時代の日本には、大根一つ取ってみても、
全国に150以上の種類があったそう。
それが流通の発達により、形のそろった均一の野菜じゃないと
市場で値段がつかないようになり、
形の良い大量生産に向いた品種に絞られていきました。
「そうした品種は、種ができにくかったり、
できたとしてもどんな子が生まれるか分からない。
これまで代々受け継がれてきた在来種は、
形はいびつですが生命力にあふれています」
岩崎さんの両親の世代ぐらいまでは、
農家は代々作ってきた野菜の種を採取していたそうですが、
現在では、種苗会社が精力かけて開発した
作りやすい野菜の種を買うのが一般的なんだそう。
そのため、各地で作られてきた在来種の野菜は
絶滅が危惧されているのです。
岩崎さんは、こうした在来種の種を地元はもとより全国から譲り受け、
ここ雲仙の土地で育て、後世に残そうとしています。
収穫した野菜から、母となる野菜を選別。
畑の一角に植えられた母野菜は、
冬を越え、春になると花が一斉に咲き誇ります。
花が輝くこの時期が、一番野菜と近づけると岩崎さんはいいます。
どんな野菜になりたいか、と花と語らい合うんだそう。
そして花はやがてサヤとなり、刈り取られ、じっくりと乾燥させられます。
それを一つひとつ岩崎さんが手でほぐし、
風であやしながら種を採っていくんです。
「在来種が、その風土や作り手の想いに応えてくれるようになるには、
最低5年はかかります。種が採れるのは年1回ですから」
こうして何年、何十年と採り続けられる種は、
徐々にその土地になじみ、農薬や肥料をやらなくても
土そのもので育つだけの強い生命力を備えていくそうです。
そもそも岩崎さんがこうした農業を手掛けるようになったのは、
30年ほど前。
それまで当たり前に使っていた農薬の影響か、
2年間ほど寝たきり状態になるほど体を壊したことがきっかけでした。
「はじめは仕方なく有機農業に切り替えたのですが、
やがて自分にしか作れない野菜を作りたいと思うようになったんです」
今では、全国から岩崎さんの元に在来種が集まり、
県の依頼で、有機栽培に強い品種の検査も担っています。
「野菜の一生を見ることができる農業は素敵」
そう岩崎さんはいいます。
最後に、一つの野菜を大切そうに抱えながら、
こんなことを話してくれました。
「このカボチャは、地震の起こる数年前に、
福島の農家から預かった在来種のカボチャ。
今、向こうでは作れなくなってしまったから、
この種をつないでいくのが、私の使命と思っています」
その土地土地で代々受け継がれてきた在来種は、
今こうして岩崎さんをはじめとした
数少ない生産者の手によって守られています。