MUJIキャラバン

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吉野の山を守る〜出来杉計画〜

2013年02月22日

「将来節が出ないように、枝を落としていくんですよ」

この日、山でヒノキの枝打ち作業中だった梶谷哲也さん。

6メートルの一本はしごに上りながら枝を斧で切り落としていきます。
こうしてきちんと手入れをされた森では、
木に日の光が十分に当たり、土からの栄養も行き渡って良質な木材が育つのです。

日本は島国であるとともに、実は国土の約3分の2を山地が占める山国でもあります。
このキャラバンで各地を車移動するなかにもそれを実感しますが、
一方で、手入れの行き届いた山が少ないことにも気付かされます。

道中、切った木がそのまま倒れている現場を目にし、
それを梶谷さんに伝えると、こんな答えが返ってきました。

「使い道のない木はそのまま置いておくんです。腐ってそのまま土に還るので。
業界用語では"捨て切り"っていうんですが、
東京から来た僕も最初はびっくりしましたね。
なんだか申し訳なくて、僕は"切り置き"っていっています」

梶谷さんは東京生まれ東京育ちですが、昔から田舎暮らしをしたい
という想いがあり、15年前に奈良県中部に位置する黒滝村に移住。
組合の森林作業員として、働いています。

山仕事を始めて3~4年経った頃、
使い道がなく土に還っていく間伐材を使って何かできないか…
そう考え、2000年に日本に入ってきたばかりの「チェーンソーアート」に挑戦。

2006年には吉野町で仲間と一緒に
「吉野チェーンソーアートスクール」を立ち上げて、月1回講師を務めたり、
地元の高校で授業を行ったり、県内外のイベントで実演をしたりと活動しています。

「あくまでも山仕事がメインですが、いきなり林業の話をしても
みなさん戸惑うと思うんですよね。
チェーンソーアートを見せながら木の説明をしたりして、
林業のPR活動としてやっています」

梶谷さんは、活動全般を"杉のために出来る事をスギスギ(次々)やっていこう!"
「出来杉計画」と命名し、ブログも開設して、情報発信をしていっています。

「人工林や花粉症など何かと印象の悪い"杉"ですが、
昔からその扱いやすさで日本人とともに歩んできたのも事実。
杉の学名は『Cryptomeria japonica(隠れた日本の財産)』というくらいですから」

吉野の林業従事者は梶谷さんが移住した15年前と比べると半減。
梶谷さんは杉の可能性を見つけるために、杉の葉を使って染物をしたり、

杉のおがくず堆肥を作って、自家菜園で使ったりと、
まさに"スギスギ"と活動の幅を広げられています。

「この辺では山で仕事をする人のことを"山行(やまいき)"って呼ぶんですが、
それは昔から町で働けない人っていう見られ方もしていて。
自分は東京から山仕事がしたくて来ている。
子どもや家族に胸を張って『お父さんは山行なんだ』って言ってもらえるように、
そんな気持ちでこれからも山に入っていきたいですね」

吉野の山を守る〜聖山〜

梶谷さんたち作業員によって間伐された吉野の木材は、
山の麓の製材所へと運ばれ、そこで加工されてから市場に並びます。

「これまでは吉野の丸太にブランド力がありすぎて、
自分たちの力を入れてこなくても正直売れていました。
だけど、見つめ直さないといけない時代になりました」

そう話す、坪岡林業の坪岡常佳さんは、
県の商業振興課が行う「奈良ブランド開発支援事業」の一環である勉強会に参加し、
"製材所でできること"を改めて考えるようになったといいます。

「突き詰めていったら、それは『板』やったんです」

そして、2年前から親族のデザイナー・坪岡徹さんと一緒に
「聖山(ひじりやま)」というブランドを立ち上げます。

「聖山」は、もともと坪岡さんらのご先祖様で、
江戸時代の樽職人が屋号として使っていたもの。
吉野郡川上村に実際に「聖」という地区が実際にあるんだそう。

彼らが最初に開発したのが、吉野杉で作った「折敷」です。

とてもシンプルで、天然の年輪が美しいこの折敷は、
「それぞれに使うシーンを創造してほしい」
と、最低限の様式美を追求し、無駄を省いた作りになっています。

他にも、坪岡さんは、
"製材所としてできることで、どのようにしたら今の生活に取り入れられるか"
を考え、いろいろと考案中。

「ヴィンテージデニムのように、木のキズも風合いにして、
それを味方に変えていければ」

と、木肌にヴィンテージ加工を施したり、

※左板は加工後、右板は加工前

製材所で作業に使っている"馬"と呼ばれる鉄の作業台をヒントに、
スツールとしても使え、2つ置いてそこに板を乗せたら、
簡単にテーブルができてしまう「馬」を開発したりしています。

「加工だけではなく、ものづくりをしたことで、
初めて直接お客様から"ありがとう"っていってもらえましたね。
自分で土俵作っていかないとダメやと思ってます」

梶谷さんも、坪岡さんも、これまでの吉野木材の歴史を踏まえつつ、
それぞれが今できることを、それぞれのやり方で発信し、
吉野の山を守っていっています。

吉野割り箸

2013年02月21日

私たちの生活に欠かせない道具のひとつ、お箸。
なかでも、外食時に多用している「割り箸」については、
「使い捨てはなんだかもったいない…」
そのように考えている人も少なくないかもしれません。

しかし、もとを正せば、この割り箸こそ、
「もったいない精神」の産物だったのです。

奈良県吉野地方は、古代から杉やヒノキが多く生えており、
1500年頃に造林が行われた記録があり、"林業発祥の地"と呼ばれたりもします。
一般に吉野の木材が多量に搬出されるようになったのは、
豊臣秀吉が大坂城や伏見城の建築を開始し、その建材利用や、
神社仏閣の用材としての需要が増加し始めた頃からだといいます。

江戸中期以降には酒樽の生産が盛んになり、
吉野杉材で作る樽の材料の端材が捨てられるのを惜しんで
「割り箸」が考案されました。

現在も、家の柱などの建築材として使われる中心部分を切り取り、
"木皮(こわ)"と呼ばれる残った部分を材料として、
「吉野割り箸」は作られています。

実は無印良品でも、毎年年末に吉野杉の割り箸を取り扱っています。

その生産者を訪ねると、端材を割り箸の長さにそろえるところから、
割り箸の形に加工されるまでの工程を見せていただくことができました。

また、驚いたのが、加工後の選定作業。
割り箸一本一本の年輪の幅や色を目でチェックし、ランク別に仕分けていくのです。
気の遠くなるような作業です…。

並べてみると、その違いが一目瞭然。
同じ杉を使っていても部分によって色が異なるのです。
左から順にランクの高いものですが、一番左の赤杉は木の中心部分を使うため希少で、
香りや抗菌作用が、白い部分よりも強いのだとか。

「残念ですが、日本で消費されている割り箸の98%は輸入品なんです。
海外産の割り箸は大根のかつら剥きのようにした板から作るので、
木目の向きなど関係なく、仕上がります。杉の割り箸はまっすぐに割れますよ」

生産者の涌本友晴さんがそう教えてくれました。

割り箸の大きな特徴は「食べる直前に割って使う」という点。
日本において、割り箸を割る行為は、
祝い事や神事などの「事をはじめる」という意味を持ち、
大事な場面には真新しい割り箸が用意される風習があります。

塗り箸もナイフやフォークも、何度も使うものなので、
1人1回きりしか使用しない割り箸が、
実は、本来客人をもてなすための「ハレの日」用なのだそう。

私たちも普段割り箸を割る際に、2本が均等に割れると
何かいいことが起こるような、そんなハッピーな気分になるものです。

ところで、吉野の割り箸は、
吉野で切った木をそこで加工し、そのまま出荷するので、
今回その工程を見てみても、何か薬品を使ったりすることはありません。
一方で、海外産の(特に竹製の)割り箸は、輸入の際に防カビ剤や防腐剤、漂白剤などが
使われているといいます。

使い捨てから"もったいない"というイメージを持たれがちな割り箸ですが、
本来そのまま捨てられるはずの端材や、森林整備で生じた間伐材を
有効活用することから生まれた、アイデア商品。

既にコンビニエンスストアや外食チェーン店の一部で、
国産材を使った国内産割り箸が使われているようですが、もっとそれが普及すれば、
割り箸が日本の森林を継続的に支えることのできるアイテムとなるかもしれません。

普段なにげなく使っているものが、
「どこでどのように作られているのか」を知ったり、
「"もったいない"といわれているものは本当にそうなのか」
などと掘り下げていくことが、
日本の森林問題のような大きなテーマに結びつく第一歩なのかもしれません。

履き心地の良い靴下

2013年02月20日

普段は当たり前だと思っていることでも、
よくよく考えてみると不思議なことってありますよね。

「なぜりんごは落ちるのか?」の疑問から
ニュートンが万有引力を発見した話はあまりにも有名ですが、
まだまだ日常に疑問は眠っています。

例えば、「なぜ日本車は右ハンドルなのだろう?」とか、
「なぜバレンタインは女性から男性にチョコレートを渡すのだろう?」
「なぜテレビは長方形になったのだろう?」などなど…。

そこには様々な背景が隠されているのですが、
得てして、外からの目線で気付くことが多いものです。

無印良品の足なり直角靴下も、こうした疑問から生まれたそう。

「なぜ人のかかとは90度なのに、靴下は120度なのか?」

そんな疑問を抱いたのも、無印良品の開発担当者が、
チェコのおばあちゃんが編んだ90度の靴下に出会ったことからでした。

疑問を解消すべく、靴下の歴史について調べていくと、
1560年頃、エリザベス女王1世に贈られたという手編みの靴下が、
直角だったことが分かります。

120度の靴下が一般的になったのは、工業化以降のことで、
機械で量産できる角度が120度だったというわけなのです。

さらに、靴下をお店に並べる際、かかとから半分に折り畳むため、
キレイな形に畳めるように、角度が決められていたんだとか。

つまり、生産効率や店頭での見た目の美しさが重視され、
形による履き心地については注目されないまま、現在に至っていたわけです。

チェコのおばあちゃんの手編みの直角靴下は、
かかと部分がすっぽりと収まって余ることなく、ズレ落ちにくく、
とても履き心地の良いものだったそう。

そんな直角靴下の履き心地の良さを、
もっと多くの人に手軽に味わってほしい。

無印良品の開発担当の想いから、編み機の改造を加えるなど試行錯誤を重ね、
2006年11月、満を持して3種類の「足なり直角靴下」が誕生します。

大ヒット商品となり、2010年2月にすべての靴下が直角となり、
2012年10月には、さらなる履き心地の良さを追求してリニューアルを果たしました。

そんな無印良品の「足なり直角靴下」を作る現場を訪ねました。

実は、奈良県は靴下の国産生産約6割を占める一大産地。

1910年代に、とある農家が農業の閑散期における副業として、
アメリカから靴下製造の機械を導入したことがきっかけで、
今も納屋に機械設備を構える家内工業の生産者が多いそう。

ただ、最盛期には920社あったといわれる生産者も、
2000年以降、安価な海外産の靴下に押され、現在では150社ほどに減少。

それでも、これだけの生産者が残っているのは、
国産の品質の良さが評価されてのことです。

驚いたのが、その糸の種類の多さ。

昨今、様々なデザインの靴下があるので、
糸の色の種類が豊富なのは分かるのですが、
なんと1足の靴下に表糸、裏糸、ゴム糸に加え、柄糸と、
3種類以上の糸が使われているのです。

これも足によりフィットさせるための工夫で、履き心地を追求した結果です。

工場内は、リーズナブルな価格で提供できるようにと、
驚くほどの機械化が進められていました。

編み方を指示すると、自動で刺繍の様な織柄も含め編み上げてくれるという優れた機械。

5分ともしないうちに、1本の靴下が編み上がっていきました。

この時点ではつま先部分は縫合されておらず、なかには連なっているものも。

「この機械を使いこなせるか。ここがメーカーの腕の見せ所」

その道47年の生産革新部の向井部長はそう語ります。

この工場では右足用と左足用とで編み分けており、
こうした技術が培えたのも、普通なら機械を調整する会社しか触らないところも
積極的に自分たちでいじって、改良を加えていったからだそう。

右足用と左足用とで作り変えている箇所も、
かかとの内側と外側のアーチの角度だとか。

ここまで細部にこだわった靴下ですから、履き心地が悪いわけがありません。

左右によって違う靴下は「R」と「L」の刺繍の様な織柄が目印です。

実は、向井部長は、過去に健康を害し入院生活を送ったことがありました。
そんな寝たきり状態では、それまで履いていた靴下がとてもキツく感じたそうで、
より履き心地の良い靴下を開発しようという想いが巡ったんだとか。

靴下って健康と同じで、不快に感じると気になるものですよね。
私たちもこの旅でずっとこの足なり直角靴下のお世話になっていますが、
今まで一度も不快に感じることも、買い換えることもありません。
それだけ足になじんでいて、さらに丈夫なのです。

最後に吉谷社長は、靴下生産にかける想いをこう語ってくれました。

「一度、技術を途切れさせてしまったら、復活させるのは難しいことです。
この技術を途絶えさせないように、雇用を大事にしながら、
常に新しい技術革新を起こしていきたいです」

無印良品の足なり直角靴下は、
こうした様々な方たちの「想い」が結晶となったものでした。

吉野の葛菓子

2013年02月19日

小さい頃、私が風邪を引いた時には
母は決まって「くず湯」を飲ませてくれました。

以来、くずとは何なのかを調べることもなくきましたが、
奈良県でついにその正体に出会うことになりました。

吉野葛(くず)。

多量のデンプンを含む葛の根を原料としたもので、
全国的にも山野に自生しているものなんだそう。

吉野葛は全国シェアの約4割を占めていますが、
修行の地であった大峰山を登る際に、
修行僧が持ち歩いていたというほど、葛は栄養価が高いものだといいます。

葛湯に葛餅、葛きりなどの和菓子から、
揚げものの小麦粉や片栗粉の代わりにも万能な素材として使われています。
葛のあんは、常温でも固まるし、冷めてもとろみが取れないのが特徴だそう。

奈良県下では、この葛を使った和菓子屋さんを多く見かけましたが、
なかでも、ひと際目を引いたのがこちらのパッケージ。

千本桜で有名な世界遺産の吉野山にある、
「TSUJIMURA」が手掛けたものです。

葛を使った干菓子に、
黒糖から和三盆、上赤糖など各種糖を配合してあり、
一つのパッケージで様々な風味が楽しめます。

3代目の辻村佳則さんご夫妻は、奈良県の商業振興課が行う
「奈良ブランド開発支援事業」の一環である勉強会に参加し、
講師に「歴史に甘んじるな」と怒られたといいます。

「世界観があってモノが売れる時代。
これまでのいいところを残して、今の時代に合わせてやっていこう」
と、店舗のリニューアルを含めて取り組んでいました。

新しいパッケージで提供する葛菓子「TSUJIMURA」のコンセプトは"贈り物"。

「自分が好きなものをみんなにも紹介してきたい」
と佳則さんは話してくれました。

それぞれのお菓子のタイトルも
「雪あかりの小路」「森の中へ」「星とダンス」と秀逸で、
さらにパッケージには、地元ヒノキの経木や吉野和紙を使い、
吉野ブランドで演出しています。

今春、吉野の山に桜の花が咲き始める頃に、
「辻村芳栄堂」は新スタートを切る予定。

地元のお茶屋さんとのコラボ企画なども準備中といい、
今から春が待ち遠しいです。

家の中を快適に

「東大寺」の大仏や、猫も見つめる聖徳太子ゆかりの「法隆寺」など、
数多くの世界遺産を持つ、古都・奈良には
昔から声をかけずとも、多くの人が訪れてきました。
私もそうですが、修学旅行でこの地を訪れたことのある人も多いのでは?

奈良は、大阪の"食い倒れ"、京都の"着倒れ"に対して、
"寝倒れ"という言葉で表現され、
人々はあくせくせず、のんびりと過ごしてきたといいます。

奈良公園周辺にいるシカさんたちを見ても確かにおっとりしていたかも…。

そんな奈良県でお邪魔したのが、無印良品 イオンモール橿原(かしはら)店
ここでご紹介いただいた人気商品を聞いて、
その理由とともに「なるほど!」と納得しました。

イオンモール橿原店の人気商品は、

超音波アロマディフューザー」でした!
お店の中でもよく見かける品ですよね。

でもなぜ奈良県でこの超音波アロマディフューザーなのか、
不思議に思っていると、店長からこんなお話が。

「奈良県って、専業主婦率が全国1位なんですよ!」

なるほど☆アロマディフューザーが人気なのは、
過ごす時間の長い家の中を快適にする工夫かもしれません♪

ちなみに一緒に使う、エッセンシャルオイルは20種類近くありました。

たくさんあっていろいろと試してみたいけど、どれから選んでいいか分からない。
そう思っていたら、ネットストアに「香り選びチャート」がありました!

"ホッと癒やされたい"+"お休み前にゆったり過ごしたい"を選んだら、
「ラベンダー1滴」+「ベルガモット3滴」を、

"元気を出したい・いきいきしたい"+
"仕事や家事をひと頑張りする元気がほしい"を選んだら、
「ゼラニウム1滴」+「グレープフルーツ3滴」を提案されました。

これまで1種類のオイルしか使ったことがありませんでしたが、
ブレンドして使う方法もあるんですね★

手延べそうめん

2013年02月18日

韓国の冷麺、ベトナムのフォー、イタリアのパスタなど…、
ぱっと思いつくだけでも、世界中に広がっている麺文化。

麺の発祥には諸説ありますが、大陸を経て伝わった日本では、
そば、うどんをはじめ、そうめん、ラーメン、近年ではパスタなど、
世界でも有数の麺愛好国となっています。

これまでの旅路でも、
痩せた土地や山間部の傾斜地などでは救荒作物のそば文化が根付き、
良質の小麦が採れる地域ではうどん文化が発展するなど、
各地の気候風土に合わせた麺文化の軌跡を見ることができました。

そして奈良県では、日本ならではの発展を遂げた麺に出会いました。

「三輪そうめん」です。

その歴史は奈良時代にまでさかのぼり、そうめん発祥の地ともいわれています。

三輪山周辺から湧き出る水にミネラルが多く含まれており、
肥沃な土地と湿度により、そうめん造りに適した小麦が採れたのです。

江戸時代、伊勢参りや大神(おおみわ)神社などへの往来で、
三輪の地を訪れた人たちが、参拝ついでに習い覚えて帰り、
各地にそうめん文化が広まっていったそう。

今も三輪(現桜井市)には数多くのそうめん製造業者が存在していますが、
その中でも、老舗で知られる「三輪そうめん山本」を訪ねました。

寒い冬季の作業になるそうめん造りは、農家の閑散期の副業として広まり、
地域とともに発展してきたというから、その功績から考えても、
紛れもなく地域におけるリーディングカンパニーといえるでしょう。

造られているのは、昔ながらの「手延べそうめん」です。

「手延べ」とは、薄く延ばした生地を刃物で切る「切り麺」とは異なり、
その名の通り麺を手で延ばしていく製法。

三輪そうめん山本では、独自のそうめん専用の小麦粉を使用し、
気温や湿度に合わせて小麦と塩を配合、少量の綿実油を塗布しながら、
徐々に麺に撚り(より)をかけながら延ばしていきます。

延ばした麺を8の字にかけたものを細くしていく、
手延べ体験をさせていただきました。

力を入れるとグーッと延びていきました。
まるでチューインガムを延ばしているかのような感覚です!

約60cmまで延ばしたものを、室(むろ)に入れて翌日まで熟成。

この延ばしては寝かせてというのがポイントで、
熟成を促し、麺に粘りが加わるんだそう。

こうしてしなやかになった麺を、さらに
そうめんの細さまで少しずつ引き延ばしていきます。

機(ハタ)にかけて1m程に延ばしたら、登場するのが2本の棒。

8の字に巻かれているため、両サイドへ開くことで
粘着した麺がほぐれていくのです。

2m程まで延びた麺を指で触ってみると、
ハープの弦のように美しくなびいていました。

その後、これらをじっくりと乾燥させ、
人が食べやすい19cmに切りそろえたら完成。

といいたいところですが、そこから蔵に入れられ、
厄(やく)と呼ばれる高温多湿の梅雨期を越すことで、
茹でのびしにくくコシの強いそうめんができるのだそうです。

現在では、機械が導入されていますが、
あくまでも人の手の補助的役割であって、製造工程は全く変わっていません。

実に麺づくりの工程だけでも36時間、
商品として出荷するまでに1~2年を要するのです。

そんな三輪そうめん山本では、
世界最細という手延べそうめん「白髪」も造られていました。

その細さ、なんと直径0.3mm!

繊細な技術が必要とされる手延べ麺において、
ここまで細さとコシを実現できるのも、
あらゆる点で妥協のない証ではないでしょうか。

かつて保存食として生み出された三輪そうめんは、
現在においても、食卓で多くの人に愛されています。

その背景には、地域繁栄のために尽力した先人たちの努力と、
おいしさを保つために、伝統製法を守り続ける
生産者たちのひたむきな姿がありました。