MUJIキャラバン

サステイナブルなカップ

2013年07月10日

初めてそのカップを見たのは、東京のとあるショップ。
その輝きと発せられるオーラに目を奪われました。

てっきりイタリアなどの海外製品かと思いきや、
話を聞くと、日本製。

「SUS gallery」と名付けられたこのカップは、
なんと結露しないんだとか。

見た目の美しさに加え、機能まで優れ、
一瞬でこのカップの虜になった私たちでしたが、
このたび、念願かなって生産現場を訪ねることができました。

訪れた先は、金属加工の町として知られる新潟県燕市、
豊かな田園風景広がるなかに株式会社セブン・セブンはありました。

笑顔がとてもチャーミングな澁木収一社長は、
同じ燕市で金属原料調達も行う、恒成株式会社の代表でもあります。

「SUS galleryは今でこそブランド名となっていますが、
最初は本当にステンレス製品を展示するギャラリーだったんですよ。
それは大失敗でしたけどね(笑)」

時はリーマンショック以前、
価格の高騰にともない、市場のステンレス離れを危惧した澁木社長は、
ステンレス製品を訴求する目的で、東京・青山の一角にギャラリーを創設。

ステンレス製のキッチンや花器などを展示し、
消費者に直接、より豊かな生活を提案していたそうです。

そんな矢先、リーマンショックに見舞われます。

市場の冷え込みに、ギャラリーの縮小も余儀なくされ、
一時は撤退も検討されるなか、そこに立ち上がったのが、
当時、ギャラリーのディレクションをしていた鶴本晶子さんでした。

「ちょっと待って!って感じでした(笑)
この技術を用いれば、何かできるはず!なんとかしなくちゃ!!
そんな想いで動き始めたんです」

ギャラリーにたった一人残された鶴本さんは、
運営から経理まですべてを担いながら、商品開発へも乗り出します。

当時、セブン・セブンは魔法瓶を生産できる国内唯一の工場でした。
この魔法瓶の原理を元に作られていた、真空二重構造のカップ。

この技術に並々ならぬ可能性を感じていた鶴本さんは、
このカップを"世界のブランド"へのし上げる青写真を描きます。

「世界にない良いものを作れば、売れると分かっていました。
世界の高級金属テーブルウェアのなかでも、他に類を見ない存在になろう!
それも日本の技術で!!」

NYのマンハッタンでの生活経験も持つ鶴本さんは、
日本の繊細な技術を用いて作られる、きめ細かいものづくりに、
確固たる自信と潜在性を感じていたそうです。

そこから足しげく工場を行き来し、職人とも会話を進める日々。
そんななか、鶴本さんが発見したのが、不良品箱の中でいびつに光るカップでした。

「見た瞬間、これだ!と思いました。
これが失敗作と言うから、職人に"もう1回、失敗して!"と懇願したんです(笑)」

こうして秋のギフトショー前夜に生まれたのが、
今のSUS galleryの原形となる6個のチタンカップでした。

鶴本さんの狙いは見事的中。
たった6個のチタンカップが、大手百貨店のバイヤーなどの目に留まり、
そこからSUS galleryの快進撃が始まるのです。

当時の様子を、工場長の幸田正昭さんはこう語ります。

「失敗作を作れって、はじめは訳が分かりませんでしたけどね(笑)。
ただ、言われた通り作ったら、鶴本はキチンと売ってきてくれました。
作れないものを作ることが、私たちの任務だと思っています」

ただでさえ卓越した技術を必要とされる真空二重構造に加え、
いびつに乱反射するチタンの表面加工を施せるのは、
現在においては、ここセブン・セブンのみだといわれています。

この技術は国からも認められ、
2010年、日本で開催されたAPECにおける乾杯のカップ、
および、参加20カ国の首脳への贈答品として選ばれました。

素材がチタンなので、軽くて丈夫。
その構造から、持っても冷たさや熱さを直接感じることはありません。

また、通常のガラスタンブラーと比べると6倍の保温・保冷力のため、
氷が溶けるスピードも格段に遅く、飲料が薄まる前に飲めるんです。

「SUS galleryのSUSには、"sustainability"の意味も含まれているんです。
チタンは金属なので、不要になったら溶かして何度も再生可能。
日々のくらしを豊かにしてくれながらも、ゴミにならないものって、
今の時代に合っていると思いません!?」

チタンの奥深さに魅了されているという鶴本さんは、
最近では、表面の酸化被膜の厚さによって見え方が異なる原理を生かした、
様々な色合いのカップも開発されていました。

一切、着色を施したわけではなく、表面の反射のさせ方で
色みが変わって見えるというから、驚きです。

これらは海外のマーケットでも評価され、
現在では欧米を中心に世界へ展開していっています。

怒涛の快進撃を続けた過去5年間を、
鶴本さんはこう振り返ります。

「私がデザイナーとしてかかわっていたら、ここまでできなかったと思っています。
内部の人間で、マーケティングから販売まで担うファシリテーターとして、
そして消費者としての感覚を忘れないようにしていました。
必要以上にデザインしすぎないこと。
だって日常生活にドレスは必要ないでしょ?」

大分の自然のなかで育ち、海外生活を経た鶴本さんは、
自分のミッションを、日本中の世界一を海外へ伝えることと話します。

そんな東京の鶴本さんに対し、燕市の澁木社長もこう呼応します。

「コストだけ考えたら、海外で作った方が良いでしょう。
ただ、ここに技術がある限り、ここで生み出せるものがあるはず。
これからもこの技術を生かして、人に喜んでもらえる商品を作りだしたい」

日常使いながら、ちょっとラグジュアリーな気分を味わえるカップが、
世界中を席巻し始めています。

そんな華々しい展開遂げているSUS galleryの背景には、
それぞれの場所で必死に役割を果たしてきた人たちの姿がありました。

  • プロフィール MUJIキャラバン隊
    長谷川浩史・梨紗
    世界一周の旅をした経験をもつ夫婦が、今度は日本一周の旅に出ました。
    www.cool-boom.jp
    kurashisa.co.jp

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