紅型(びんがた)
沖縄でよく見かけるこの衣装、
沖縄の伝統衣装の琉装です。
これは、琉球王朝時代の王族や貴族の装いで、
「紅型(びんがた)」という伝統的な技法で染められています。
紅型の「紅」は「色」を意味しており、
紅型とは「色」(顔料)と「型」を使った染物を指すそう。
琉球王朝時代は首里城の周りに染屋が置かれ、
王家から手厚く庇護されていましたが、
廃藩置県後は庇護を失い、さらに第二次世界大戦で多くの型や道具が焼失し、
多くの染屋は廃業を余儀なくされました。
しかし、戦後に、
「沖縄びんがた伝統技術保存会」を結成し、
昭和59年に国の「伝統的工芸品」の指定を受け、
現在では沖縄県内でおよそ30の工房によって、振興が図られています。
そのうちの一つ、糸満市にあるびんがた工房「くんや」を訪ねました。
こちらの工房では宜保(ぎぼ)聡さんと理英さんご夫妻と
2人のスタッフが働いています。
夫の聡さんは着物や帯、風呂敷などを染めています。
昔から紅型の代表的な色である黄色は、高貴な色とされ、
着用できるのは王族のみと決まっていたそうですが、
それは、明るい黄色を皇帝の色と定めていた中国の影響なんだとか。
また、紅型は沖縄の強い日差しのもとで染められているため、
ビビッドでカラフルな風合いに仕上がるんだそう。
確かに、古典柄は、色やデザインがとてもハッキリとしていて、
日本というよりも、どちらかというと中国・韓国や東南アジアの雰囲気があります。
柄には、花鳥風月を取り入れたものが多いそうですが、
面白いのが、それらに季節感がないこと。
沖縄以外で作られる染物は、季節によって柄が違うのですが、
紅型は季節が混ざっているのです。
例えば、下の写真の柄は「桜」と「雪」が同時に表現されています。
琉球には存在していない雪が描かれているのは、
亜熱帯気候に住む琉球人の"四季"に対する憧れから来たのではないか
と推測されるようです。
作業工程は、デザイン制作、型彫り、色挿し、
隈取り(くまどり)、水元(みずもと)
など、
ざっと数えて10以上ありますが、
こちらの工房では、そのすべてを1人の職人さんが担当しています。
「工房内で分業するケースはありますが、
他の染めの産地と違って外注していないのが、
紅型の工房がここまで残っている要因なのかもしれませんね」
聡さんが作った型を見せてもらいましたが、その細かいこと!
型彫りだけでも、相当根気のいる作業だということが分かりました。
一方、妻の理英さんは紅型小物を製作しています。
同じ紅型でも、聡さんの作る古典柄やクラシックな柄とは違い、
ポップで遊び心あふれるオリジナルの柄が中心。
柄が違うとこんなにも印象が変わるものなんですね!
「柄に決まりは特にないんですよ。このゆるさが沖縄らしいでしょ!
あ、でも最近、昔の人は計算してゆるくしていたんじゃないか
って、思うようにもなったんですが
」
と理英さん。
伝統は大切に守りながらも、
新しいデザインも柔軟に取り入れていけるところに、
沖縄らしい民芸を感じます。
さらに、紅型の展開はこんなところまで広がっていました。
南城市に住む、ヨコイマサシさんが作るのは「紅型陶器」。
その名の通り、紅型と陶器を組み合わせたものです。
「沖縄に来て陶芸を始める時点で、構想はあったんですよ」
そう話す陶芸家の横井さんは、仲間の紅型作家と共同で
紅型陶器を生み出しました。
今ではご自身も紅型の勉強をされていて、
型づくりから手掛けているそうです。
「紅型は最初に色に目が行ってしまうので、
紅型陶器ではあえて色を使わないようにして、
型のよさを引き立てるようにしました」
確かに、紅型の柄そのものを楽しむことができますし、
染物の紅型とはまた違った、落ち着いた魅力があります。
今では沖縄内外から、表札としての発注があるんだとか。
沖縄中の表札が紅型陶器で埋め尽くされたら素敵ですよね。
琉球王朝の終焉、戦争など、過酷な歴史の中で生き残ってきた紅型は、
独特のチャンプルー文化を持つ沖縄の地で、
デザイン・用途を少しずつ変化させながら引き継がれていっています。
最後に、作り手である理英さんがとっても感動されたという
紅型展「琉球の紅型」のご紹介を。
東京目黒の日本民芸館で11月24日まで開催中だそうです。
生の紅型を間近で見るチャンスです!
お近くの方は出掛けてみてはいかがでしょうか。