やちむん
沖縄の焼き物は琉球の方言で「やちむん」と呼ばれています。
そして、「やちむん」といえば、「壺屋焼」(つぼややき)が主流。
1682年に、琉球王府は焼き物産業を発展させようと考え、
各地に点在していた窯場を壺屋(つぼや)地区に集め、
焼き物の里を作ったことが、壺屋焼としての始まりです。
しかし、1970年代に那覇市は公害対策のため登り窯の使用を禁止、
窯場はガス窯への転換を余儀なくされ、
登り窯での制作を好む職人たちが、
本島中部の読谷村(よみたんそん)に窯を移しました。
そうして現在、壺屋焼は、
壺屋地区と読谷村の2大エリアで主に作られています。
今回は300年の伝統を誇る、壺屋地区の窯元「育陶園」へ。
壺屋焼は、中国や朝鮮、日本、東南アジアの国々の技術が
チャンプルーされて(混ざって)、
琉球独自の焼き物として発展してきたといいます。
ぽってりとした厚手の成形と、
陶器というよりも、磁器に描かれるような鮮やかな彩色。
中国の純白の磁器に憧れた昔の陶工が、
赤土の上に真っ白な土を掛けて再現したことから生まれた
「化粧掛け」という技法が使われています。
そして、この化粧掛けに施した「赤絵」も
中国に学んだものだそうです。
また、化粧掛けした上から削っていく「線彫り」は、
ガス窯で出せない色の味わいを
デザインで表現することから発展していったんだとか。
一つひとつ下絵なしで仕上げていくというので
失敗が許されない、熟練の技を要します。
他にも、スポイトで化粧土を絞り出して、
盛り上がった紋様を描く「イッチン」(写真左)や、
福岡の小石原焼や大分の小鹿田焼で多用されていた「飛び鉋」(写真右)
など、様々な技法を使って、壺屋焼は作られていました。
こんなにも種類豊富な焼き物を作る窯元には、
これまで出会っていなかったかもしれません。
ずっと眺めていても飽きない
とても洗練された器たちです。
ご案内いただいたのは、
6代目・高江洲忠(たかえすただし)さんの
長女で企画・販売責任者の高江洲若菜(たかえすわかな)さん。
「うちは壺屋焼という伝統だけでなく、、
沖縄という伝統を大切にしています。、
そのなかで、形やデザインは現代風にアレンジさせていっています。、
工房とお店が近いので、お客様の声を反映させながら、
進化させていけるのがいいのかもしれません」
育陶園は、壺屋地区に3店舗構えていますが、
それぞれお店のコンセプトや対象としている客層が違うそう。
私たちがお店にいる時にも職人さんがお店に顔を出して
お店のスタッフにお客様の反応を聞いていたのが印象的でした。
それから、育陶園には器の工房とは別に、
シーサーを作る獅子工房もあります。
もともと瓦職人が瓦を打ち砕いてシーサーを作っていましたが、
17世紀以降、壺屋焼きの発展とともにシーサー製作の場は
壺屋に移ってきたといいます。
シーサーは型に陶土を押し込み成形し、
その後、口や耳、表情をつけて仕上げていきます。
型やシーサーの表情は窯元ごとに代々引き継がれていくもの。
育陶園では、作り手がシーサーの歴史的背景などを知ったうえで作るべき、
と週1回「シーサー勉強会」なるものを自分たちで行っているそうです。
沖縄には、昔から琉球信仰が深く根付いており、
魔除けのためのシーサーは、今でも各家の軒先に置かれています。
こうした置物としての焼物が産業として成り立っている地は、
このキャラバンで巡った地の中でも沖縄が初めてでした。
この沖縄の人々の敬虔な信仰心が、
壺屋焼が繁栄してきた一つの要因といえそうです。
琉球王国の時代に生まれ、
沖縄の人たちとともに発展してきたやちむん。
今後も変わることなく、沖縄の象徴として、
沖縄の地で作り続けられてほしいと思います。