古くて素朴で新しい、赤瓦
沖縄の家々を彩る、赤瓦屋根。
古くから強い台風や塩害から
沖縄人(うちなんちゅ)の生活を守ってきました。
晴れていても突然雨が降り、すぐにまた晴れるという沖縄の気候のなか、
赤瓦は雨を吸収し、晴れた時に蒸発させ、
気化熱によって、家の中を涼しく快適に保っていたのです。
漆喰で塗り固められているのも、瓦が台風で飛ばないようにするためとも、
見栄えを良くするためともいわれています。
もともと朝鮮半島と日本本土、それぞれのルートから
沖縄へと伝わったとされる瓦は灰色でした。
灰色の瓦は、空気を入れずに焼く還元焼成というやり方で、難易度が高く、
沖縄で作る際には、どうしても空気が入って酸化焼成になってしまい、
3割ほどは赤や褐色の瓦になってしまっていたんだとか。
しかし、その希少性からか王族や権力者が赤瓦を好むようになり、
やがてそれが一般的に普及していったそうです。
当初、那覇を中心に作られていた赤瓦でしたが、
海運の発達にともない、沖縄北部(やんばる)から船で運ばれてきた木材と、
瓦に適した良い土があったことから、
那覇東部の港町、与那原(よなばる)町へと産地が移行。
現在でも与那原の町中では、赤瓦の工場を散見できます。
しかし、家の建築様式の変化から、その需要は低迷していました。
そんな状況を打破したかったと、
新垣瓦工場の企画担当、新垣拓史さんは話します。
「悶々とした想いで尻すぼみの家業を手伝うなかで、
ある日、事務所で仲間を呼んで飲み会を開いていたんです。
その時、泡盛を割るためのアイスピッチャーが
結露でビチャビチャになっていたので、近くにあった赤瓦を敷いたんですね。
そしたら、ぐんぐん水滴を吸い取ってくれて
。
その時に、これだ!と思いました」
湿度の高い沖縄では、冷たい飲み物は結露で水浸しになるため、
飲み屋などではコップの下におしぼりを敷くのが定番だったそうです。
それを、もともと沖縄にあった赤瓦を使って解消しようと
新垣さんが生み出したのが、こちらの商品でした。
「赤瓦コースター」
屋根瓦と同じ素材なので硬くて丈夫。
そして、抜群の吸水性です。
はじめは周囲に、硬いコースターなんて売れっこないと反対されたそうですが、
実用性に富み、沖縄らしいこのコースターは、
またたく間に、沖縄土産として定着したそうです。
現に私たちが取材でお邪魔した先々でも、
この赤瓦コースターを敷いて飲み物を出していただきました。
ご覧に通り、コップに付いた水滴は、
みるみるうちに赤瓦に吸収されていました。
「はじめは瓦を小さく薄くすればコースターにできると、
高をくくっていましたが、そう簡単ではありませんでした。
薄くすると乾燥時に曲がってしまう
。
だから、乾燥の仕方にも工夫が必要です。
また、吸水性も、焼き方によって変わってくるんです」
そう新垣さんが話すように、赤瓦で培われた技術は、
繊細さを極めながら、コースター製造で活かされていました。
さらに、赤瓦の時よりも小さな窯で済むようになり、
エネルギーのコストダウンにもつながったそうです。
現在、新垣瓦工場では、コースター製造一本に切り替えられ、
かつて使用していた赤瓦用の窯は、打ち合わせ部屋へと見事に変化していました。
「沖縄のモノづくりはこれまで観光に頼ってきた部分が大きいんです。
今後は、どこかに沖縄らしさを残しておきながらも、
自然と日常に取り入れられて、
実はメイド・イン・沖縄という、他が真似できない
質の高いモノづくりをしていきたいですね」
そう話す新垣さんは、
今では、沖縄らしい柄や色のバリエーションを増やしながら、
着実に、赤瓦の新しい可能性を広げていっています。
古くて素朴で新しい、沖縄の赤瓦コースター。
現代のくらしを少し豊かにしてくれる要素は、
意外と身の回りに眠っているのかもしれません。