「大阪」カテゴリーの記事一覧
鷹の爪
とある催事場に足を運んだときのこと、
とても香ばしい香り漂う一角がありました。
その香りに引き寄せられるように集まる人だかりの中心には、
貫禄あふれる風貌の男性の姿が。
大阪堺市で100年余り、和風香辛料をつくり続けている老舗、
「やまつ辻田」の4代目、辻田浩之さんです。
「日本人は昔からほのかな香りを楽しんできました。
さらに、目でも辛みを味わってきたんです」
辻田さんが手掛けるのは、国産唐辛子を使った七味唐辛子。
それも、この時は高知県北川村で、
種から60~100年かけて育てられた「実生の柚子」もふんだんに加えた
「柚七味」の配合中でした。
その香ばしい香りと、豊かな色彩に、
自然と味覚が反応し、思わず唾液が溢れそうになります。
「唐辛子を使った食べ物といえば、何を思い浮かべますか?
漬け物、きんぴら、辛子明太子
、色々と使われていますが、
たぶん皆さん口にしているのは、ほとんどが外国産のものです」
辻田さんいわく、
現在、日本に流通している赤唐辛子の99%が外国産で、
その多くが「天鷹」に代表される中国産品種だそう。
そんななか、やまつ辻田で代々、こだわり続けているのが、
国産純粋種の「鷹の爪」。
よく耳にする名前ですが、
実は絶滅の危機に瀕している希少な唐辛子の品種なんだそう。
やまつ辻田のある大阪府堺市も、
昭和30年代までは鷹の爪の一大産地だったといいます。
ただ、複数の実が同時に収穫できる三鷹などの品種に対し、
一房ずつ摘み取る鷹の爪は、手間がかかるため採算が合わず、
多くの農家も栽培をやめてしまったのです。
そんななか、やまつ辻田では100年以上に渡り、
この鷹の爪の純粋種を守り、伝えてきているのです。
「国産の鷹の爪は香りが高い。
そして、辛みのもとであるカプサイシンは外国産辛口品種の約3倍。
香り、辛み、そして風味において、他に勝るものはありませんよ」
江戸時代の医師であり、学者であった平賀源内も、
72品種の唐辛子について解説した「蕃椒譜(ばんしょうふ)」の中で、
鷹の爪についてこんな記載を残しています。
「甚だ小さくして、愛すべき風情」
「食するには、これを第一とすべし」
そんな鷹の爪に恋していると話す辻田さんは、
その役割をこう表現してくださいました。
「名脇役。素材を汚さずに、引き立ててくれる存在」
確かに、麻婆豆腐やキムチなど、香辛料の味が強く効いたものと比べ、
日本での唐辛子の味わい方は、実に慎ましいものがあります。
千枚漬けやきんぴらごぼう、明太子にしても、
主菜の持っている本来の味を損なないほどのアクセントですよね。
さらに、そこに風味を求めるのも日本人ならではかもしれません。
唐辛子に6種もの香辛料を加えた七味唐辛子が、
日本生まれというのも、興味深い事実です。
江戸時代、江戸・両国の近く薬研堀(やげんぼり)で誕生した七味唐辛子は、
漢方薬を参考につくられ、当時は薬の一種として考えられていたそうです。
「薬味」という言葉があるように、それぞれの効能も無視できませんが、
今日まで日本人に愛され続けているのも、
その絶妙な風味のハーモニーからこそでしょう。
「ただ、それは一年中、同じじゃない。素材にはそれぞれの旬があります。
唐辛子の旬、山椒の旬、柚子の旬
。
それら原料のその時期にしか楽しめない香りを大切にしたいんです」
辻田さんがそう話す通り、やまつ辻田では旬の素材が生きるよう、
時期によって微妙に配合を変えているんだそう。
注文を受けてから七味唐辛子の配合を行うのも、
こうした理由からでした。
「モノを売るだけでなく、魂を伝えていきたい」
と話す辻田さんは、夜は地元道場の剣道師範としての顔も。
その子供たちに対する厳しくも愛情のこもった態度と、
唐辛子を語り接するときの態度が、妙にリンクしたのは、
そこにかける辻田さんの魂が同様だからなのかもしれません。
取材後、家で早速「極上七味」を、すき焼きの溶き卵に振っていただくと、
七味の香りと辛みが口いっぱいにふんわりと広がりました。
「国産鷹の爪、七味唐辛子を守り伝えていくことは、
日本の食文化を守ることです。
そして、それは自分の使命だとも思っています。」
そう話す辻田さんのつくる七味唐辛子から、
どこかやさしさを感じたのも、
辻田さんの魂が宿っていることの表れなのかもしれません。
木桶と日本人
酒蔵、味噌蔵、醤油蔵など、昔から続く醸造元で、
今も大切に使われ続けている「木桶」。
小豆島(写真右)では、桶(こが)と呼ばれ、
今も1000本以上の桶で醤油づくりが行われています。
「風が吹けば桶屋がもうかる」
ということわざがあるほど、桶屋は各地に欠かせない存在だったそうです。
そんな木桶を作る職人は現在、全国でも数えるほどまでに減少。
なかでも、大桶を作れる職人は希少で、
「大阪・堺にはまだ残っている」という噂を道中、何度か耳にした程度でした。
今回、その大阪の桶屋を、念願叶って訪ねることができました。
堺市にある(株)ウッドワーク(藤井製桶所)。
事務所もトイレも桶の技術を用いてつくっている、
生粋の桶屋さんです。
「ここ2~3年で、木桶の価値が一気に見直されはじめました。
それは"発酵"に対して、世の中の注目が集まっているから。
木桶は、日本の発酵食の文化を支えてきた存在なんです」
そう話すのは、ウッドワークの創業者、上芝雄史さん。
「酒や醤油、味噌などを発酵させるのに木桶を用いると、
まろやかに仕上がるといわれているんですよ」
現にキャラバンで巡った、今も木桶を使う醸造元でも、
酒であれば"口当たりがなめらかになる"、
醤油であれば"カドがなくなる"、
といった具合に、木桶による効果を表現されていました。
実際に、多孔質の木桶には、蔵特有の菌が生息するといわれ、
外気の変化に影響を受けにくく、桶の中の温度を一定幅に保ち、通気性もあるため、
発酵を促すには絶好の環境なんだとか。
「そんな木桶に対し、戦後、行政が"衛生的でない"と指導してきました。
以降、全国に100万個あったといわれる桶はみるみるうちに減少。
当然、桶屋の数も、急速に減っていきました」
現在は再び、醸造元からの発注の多いウッドワークですが、
前身の藤井製桶所(現在も存続中)の時代には、薬品会社からの注文も多かったそう。
薬品を調合する際に高温となるため、
木桶のその断熱性と耐久性が評価されてきたといいます。
そうした需要に支えられながら、桶の技術を多面展開するために、
ウッドワークを立ち上げ需要を発掘しながら、今日まで発展してきました。
「100~150年といわれる桶の寿命。
それは、桶が壊れても、桶屋が修復を繰り返してきたからで、
その技術は日本人のくらしのなかにずっと息づいてきたものでした」
桶は小さなもので18枚、大きなもので約40枚の板を用いた寄木細工で、
修復では、腐ったりして使えなくなった板だけを差し替えるんだそう。
初め酒蔵に卸され、使い古された木桶は、その後、醤油蔵や味噌蔵へと渡り、
それらをまた桶屋が削り直して、ひとまわり小さな桶が作られます。
そして最後には、薪になるという循環を繰り返してきました。
今でこそエコやリサイクルといわれますが、
桶屋にとっては昔から当たり前の技術だったのです。
「日本人には、古くから身近な素材をどう使うかの知恵がありました。
材に杉を使ったのも身近に多くあったから。
軽くて木の香りや色が食品に移りにくい杉は、物流にも醸造にも適した素材です」
身近な素材といえば、接着には米糊や竹釘を用いるなど、
昔ながらの技法で、桶を組み立てていました。
そして、上芝さんが何よりも大切にしているというのが、古い桶。
修復のために回収してきた古い桶にこそ、
過去の桶職人からの教えが詰まっているといいます。
「学習する相手はいないけど、そこには技術の証がありますから」
そう話す時の上芝さんの微笑みは、
追求に追求を重ねてきた職人の表情でした。
「産湯の湯桶から棺桶に至るまで」
日本人がお世話になってきた木桶。
効率や衛生面で、一時期、日本人から見放されてきましたが、
その概念が見直され、今一度、醸造元でも木桶を用いようとする動きも生まれています。
これは「日本人が本物志向に戻ってきた傾向」と上芝さんはいいます。
こうした、木桶ならではの味わいを楽しめるのも、
上芝さんのような木桶の技術をつなぐ職人がいるからということは、
いうまでもありません。
もしも無印良品が今日生まれたら
「もしも、無印良品が今日生まれたら」
そんな想像をベースにつくられた店舗が、大阪・梅田に誕生しました。
4月26日(金)にオープンしたばかりの
「無印良品 グランフロント大阪」。
無印良品としては、有楽町店に次ぐ世界で2番目に広い店舗面積を誇り、
西日本最大の旗艦店となるそうです。
Cafe&Meal MUJIを併設した店内へ一歩入ると、
その広大な敷地を余すところなく利用した展示に心躍らされました。
まるで一つひとつの商品が訴えかけてくるような感覚です。
定番のノートもこの通り、一目瞭然のディスプレイ!
これならどんな種類があるのか、分かりやすいですね☆
旅行関連グッズの「MUJI to GO」のラインでも、
旅行のシーンに合わせて、利用シーンを想起させるような
提案型のディスプレイになっているんです。
私たちもキャラバンの道中、「この商品、こんな使い方があったんだ!」と、
使い道を知らないまま、その価値を見過ごしていた商品が多くありましたが、
こうして訴求されると、改めて新しい発見があったりします。
そして、まるで収穫祭を想起させるのは、食のコーナー。
「あ、これおいしそう!」「これって何だろ?」
といった具合に、次に何が出てくるのかワクワクしてしまいます。
食品のみならず、通常の無印良品では見かけないものも 。
これらは、「Found MUJI」と呼ばれる、
日本各地・世界各地の文化・風土で育まれてきた食品、
普遍的な日用品を集めたラインです。
大量生産システムではつくることのできない、
その土地固有の伝統文化から生まれたものがほとんどで、
私たちがこのキャラバンで取材してきたものもたくさんありました。
このように、くらしを豊かにするためのものであふれた店内ですが、
なんと店舗の一角には、家もありました!
無印良品の家には、現在「窓の家」「木の家」「朝の家」の3タイプがありますが、
こちらは「木の家」の1/2サイズのモデルハウス。
半分の大きさのため、一室空間の家を俯瞰して見ることができるんです。
くらし方やライフステージの変化にも無理なく対応できる無印良品の家を、
この目で見たいという方に、気軽に見ていただきやすい場ですね。
その名の通り木の特徴を活かした「木の家」ですが、
店内の什器の所々には、大阪産の木材が使われており、
店舗全体から木のぬくもりを感じることができました。
また、店内には「東京おもちゃ美術館」監修のもと、
子供の頃から木に親しみ、森を想う気持ちを育んでほしいという思いを込めた
「木育広場」なる遊び場が設置され、木のおもちゃも多く取り扱われていました。
日本の森林の現状を垣間見てきたキャラバンでしたが、
国土の2/3を森林が占める日本において、森林に対する関心が
子供の頃から育まれるのは素晴らしいことだと感じます。
さらに、「OPEN MUJI」と呼ばれる店内常設の展示イベントスペースもあり、
現在、「木育キャラバン」と称して、親子で一緒に木と触れ合える場が提供されていました。
「マイ箸づくり」「ぶんぶん独楽づくり」「無印良品の紙管こどもイス」など、
親子で参加できるワークショップが5月中旬まで開催中です!
店長の松枝展弘さんは、今回の新店舗についての想いをこう語ります。
「"今あるものを見直す"という無印良品の根底にある考え方。
それには、無印良品自身を見直すことにも当てはまります。
このお店は、いつも見慣れている無印良品とは何かが違うと、
お客様に新鮮に感じていただけるように努力しました。
ぜひ、人と情報が交わる新しい梅田を感じてほしいです」
その言葉通り、今までと違う無印良品は、店舗のみならず、
こんなところにも表れていました。
買い物用の手さげ紙袋。
「無印良品」のロゴは紙テープにあるだけで、
紙袋そのものにはロゴが印字されていないんです。
紙テープを剥がせば、無地の紙袋として使えます。
これぞまさに「無印」!ではないでしょうか。
「もしも無印良品が今日生まれたら」
のコンセプトがふんだんに感じられる無印良品グランフロント大阪。
無印良品に対する"新しい"発見が、たくさん詰まっている場所です。
こんぶ出汁(だし)
日本料理に欠かすことのできない"だし"。
日本におけるだし文化のルーツは縄文時代にまでさかのぼるほど古く、
現在のだし文化の基礎は、江戸時代に花開いたものといいます。
土佐(高知県)、紀州(和歌山県)で開発されたかつお節に、
開拓地蝦夷(北海道)から商船"北前船"によって運ばれた昆布、
かつお節や昆布と比べ安価で庶民に親しまれてきたイリコ等など
。
肉ベースのだしが主流の欧米の料理とは異なり、
日本料理には実に多彩な素材から取られただしが使われています。
だしの種類は地域によっても異なり、
大まかに分けると、北前船が寄港した日本海側や関西は昆布だしで、
かつお節の生産が盛んだった四国や関東はかつおだしが主流でした。
北前船の起点であり、終点でもあった大阪は、
北海道から多くの昆布が運び込まれ、昆布の一大集積地となったのです。
そんな歴史を受け継ぎ、今も昆布だしの文化を
世に広める一軒のお店が、大阪中心地の空掘(からほり)商店街にありました。
「こんぶ土居」
大阪市内で100年以上前に創業し、
今やパリの三つ星レストランのシェフが直接買い付けにくるほどの老舗です。
上質な北海道産の昆布を取り扱っていますが、
特筆すべきは、その目利き力。
既に産地で等級分けされてきている昆布を、再度職人の目で確認し、
だし用、佃煮用、とろろ昆布用など、用途によって使い分けをしています。
実際に、味見をさせてもらうと、
右の黒っぽいものは、鼻に抜けるような強い風味があり、
左の白っぽいものは、まろやかで深い味わいを感じる等、
同じ昆布、同じ産地とはいえ、実に風味は様々。
「右のがBランクのもので、左のがAランク」
昆布の種類は14属45種とあるそうですが、
こんぶ土居では、これらの産地や生産者によって異なる昆布を、
毎年きちんと採点していっているんだそうです。
そして、3代目の土居成吉(しげよし)さんは、30年ほど前から
産地に直接足を運ぶようになったといいます。
それは、ちょうど昆布の乾燥方法が変わり、養殖が始まった時期であり、
土居成吉さんは昆布の見た目や味からその変化を察知し、
実際に現場で何が起こっているかを確かめに行ったのです。
以来、毎年産地を訪れ、生産者との信頼関係を作る一方で、
産地の小学校へ出向いて「いかにその地のこんぶが素晴らしいか」
を伝えるなど、生産者の後継者を育成する活動も行ってきました。
最近では父親に続いて、4代目の土居純一さんも
毎年産地に行って昆布漁を手伝うなどされ、
産地では"土居"の名が広く知れ渡っているそうです。
「昆布にはグルタミン酸といった、
うま味成分が多く含まれているんですよ」
そんな息子の純一さんに、だしのいろはについて教えていただきました。
人間の味覚というのは基本的に、甘味・塩味・うま味・酸味・苦味を
感じることができ、その内のうま味成分の一つが昆布に含まれています。
うま味には他にも、かつお節に多く含まれるイノシン酸などもあり、
これらが組み合わさると、よりおいしさが増すんだそう。
「昆布は水出し、かつお節はお湯出しが基本。
ただ、現在売られている合わせだしの素などは、
パックをそのまま煮出すから、昆布のうま味がキチンと出ていないんですね。
うちでは業界初(!?)昆布とかつお節のパックを分けた、だしパックを開発しました」
他にも、昆布とかつお節からとっただしを濃縮した
10倍に薄めるだけで使える「十倍だし」という商品も。
伝統を大切にしながらも、時代にあった本物の品を提供していっています。
「海外では注目されつつある日本のだし文化も、
肝心の日本では下火なんですけどね」
現在、日本では、そもそも素材からだしを取る家庭が少なくなってきており、
洋食化や簡易な化学調味料に流れているのが現状だそうです。
素材から取られるだしには、うま味成分を始め、
化学調味料にはないミネラル等、様々な微量の栄養素が含まれます。
なにより自然素材ゆえに画一化した味にならないため、
調理のおもしろさがそこにあるんだとか。
かつてイタリアの飲食店での勤務経験を持つ純一さんは、
こうした日本食文化の持つ良さを外から気付き、
その維持繁栄のために、父親の後を継ぐ決心をし、帰郷されました。
今では、だしの取り方講座を店舗で開催したり、
だし文化の啓蒙活動にも精を出されています。
「日本独特のだし文化。この文化を輸出産業にしていきたいですよね」
日本料理の命ともいえるだし文化を伝える「こんぶ土居」親子の役割は、
日に日に大きくなっていきそうです。
良い石鹸
江戸時代、生活物資の多くが集積し、
それを全国の消費地へと送っていた大阪は、
「天下の台所」と呼ばれていました。
その名残からか、大阪は今もものづくりが盛んです。
そのうちの一つが「石鹸」。
石鹸の起源は紀元前にまでさかのぼるようですが、
日本に伝わったのは種子島に鉄砲が伝来した頃といわれています。
明治初期には、日本で本格的に石鹸生産が始まりましたが、
当時は高価なもので、一般的に普及していったのは明治後期以降のこと。
CMソングで知られる「牛乳石鹸、良い石鹸♪」が大阪に誕生したのもその頃で、
当時から既に日本の石鹸産業の中心地は大阪でした。
そんな地で、創業以来、
天然素材と伝統製法で作り続ける石鹸メーカーがありました。
桶谷石鹸株式会社。
伝統の釜炊き製法で作られる、
無添加・無着色・無合成界面活性剤の国産純正石鹸です。
「グツグツ、ポコポコいってるのが聴こえるやろ。
今、石鹸が良い石鹸になりたいって、ワシに語りかけてきてるんや」
と、まるで我が子のことを語るかのように石鹸のことを話すのは、
2代目の桶谷正廣さん。
蒸気を吹き込みながら煮込まれた原料は、
ちょうど界面活性剤の一種、石鹸へと変化を遂げる過程でした。
「常に自然環境は変わるやろ。
毎日同じ作り方しとっても、同じ変化はしてくれへん。
だから舐めて味を見たり、五感を使って確かめるんや」
桶谷さんが使う原料は、牛脂とヤシ油、苛性ソーダに食塩水のみなので、
舐めても刺激を感じることはありません。
さらに排水後、成分は1日以内にバクテリアによって分解されるため、
環境に負担をかけることもないそうです。
現在、一般に多く流通している、香料など化学成分が添加されている合成洗剤は、
バクテリアによる自然分解に時間がかかるうえ、その歴史も浅いため、
何世代にもわたり使い続けた際の人体や生態系への影響は
まだ判明していないのが実態だそう。
「合成洗剤は安くて、匂いや効果など即効性があるように感じる。
一方の石鹸は、体に刺激を与えない。敏感肌の人はすぐ分かるで」
桶谷さんは、石鹸は漢方薬のようだと話します。
「良い石鹸を使い続けることで、冬場の肌のトラブルなどを緩和してくれる」
その自信はあると語ります。
6~7時間ほど炊かれた釜には、
できたてホヤホヤの石鹸の姿がありました。
これを2~3日枠に入れて成型し、カットして自然乾燥させ、
製品となって出荷されていくのです。
「何も語らんけど、かわいいやろ」
できたての石鹸を眺めながら微笑む桶谷さんは、
まさに石鹸の父親の表情をしていました。
自然にも体にも優しい桶谷石鹸には、
作り手の優しさがにじみ出ているかのようでした。
西の旗艦店で人気の逸品!
大阪の二大繁華街の一つ、ミナミの玄関口「難波(なんば)」。
その一角の一等地に、無印良品難波店がありました。
難波センタービルB2~3Fの5フロアを占有する
無印良品、関西の旗艦店です。
B2フロアには、Cafe&Meal MUJIのレシピ本で知られる
松岡シェフが腕を振るう『Meal MUJI』を構え、
食品コーナーには、
全国の良品が集められた「Found MUJI」のラインナップが展開されています。
上階は、ゆったりとした店舗スペースをふんだんに活かしたレイアウトで、
ファーニチャーを扱う3Fでは、収納アドバイザーの相談を受けながら、
オーダー家具の注文をすることもできます。
これだけ大きな無印良品の人気商品とは一体、何でしょう?
さぞかし大きな商品が人気だろうと思いきや、
スタッフさんにご案内頂いた先は
、
なんと化粧品コーナーでした!
そして、その手に持っている人気商品はなんと、
「洗顔用泡立てネット」!
空気と水分をたっぷりと含ませ、石鹸を包むようにしてよく揉むと、
ふわふわの泡ができ、優しく洗顔ができる逸品です。
奇遇にも石鹸つながりの商品でした。
それもそのはずで、
店舗面積の広い難波店では、ビューティー&コスメコーナーで、
よく泡立て方のデモンストレーションも行っているんだそう。
情報に敏感なエリアに位置しているがゆえに、
お客さんにもスキンケアに敏感な方が多いのかもしれませんね☆
日本人による、日本人のための自転車
今でこそ、誰もが気軽に乗っている自転車ですが、
日本で一般的に普及したのは明治時代のこと。
当時、大半の自転車はアメリカ、イギリスからの輸入品でしたが、
明治末期頃から、国内の製造会社が技術力と販売力をつけてきました。
その頃、活躍したのが戦国時代から培われてきた金属加工技術を持つ、
大阪・堺の鉄砲鍛冶でした。鉄砲の銃身を作る技術が、
自転車のフレームのパイプを作る技術として転用されたのです。
現在では、その生産拠点のほとんどが海外に移ってしまった自転車産業ですが、
今でも自転車利用者の多い大阪。
そんな大阪の街角で、一際目を引く自転車に出会いました。
お店の前に並べられていた自転車は、これまであまり
日本では見たことのないスタイルのもの。
なんだか過去に旅した自転車王国・オランダで見かけた
自転車を想起しました。
「これ、僕が通勤に使っている自転車なんですよ」
そう話すのは、日本製ハンドメイド自転車フレームを手掛ける、
「E.B.S.(Engineered Bike Service)」代表の小林宏治さんです。
「僕自身が大阪市内に住んでいて、車を持たない生活なんですが、
自転車がそれを補えるツールでありたいと思って。
荷物をたくさん積める自転車を作りました」
長年、自転車の流通業に携わっていた小林さんは、
欧米製の自転車を輸入・組立てしていく中で、
日本人の体型や生活に合った自転車のリクエストを
数多くお客様から聞いてきたといいます。
そんな時に出会ったのが、かつて自身も選手として自転車競技の実業団に所属し、
大阪の名門フレームファクトリーに勤務していた経歴を持つ、
佐々木隆二さんでした。
「自転車の可能性を広げたい!」と意気投合した2人は、
レンガ倉庫の一角を借りて工場を構え、
ゼロからの自転車作りをスタートしました。
彼らの作る自転車のコンセプトは、
「生活に即した修理可能で、永く快適に使える自転車」。
最近、スポーツ自転車フレームの素材として使われているのはカーボンが主流で、
その場合、溶接等ができないため修理が利かないそうですが、
「E.B.S.」では、修理や仕様変更の自由度が高い、
クローム・モリブデン鋼(クロモリ)を使っています。
例えば、この"LEAF-LONG"というお子様の送り迎え用の自転車は、
子供が成長した後に、フロントのカゴと後ろの荷台を取り外せば
スポーツ自転車として使えるのです。
また、自分たちが試乗して感じたことや、お客様からの声で、
その仕様は日々改善されていくそう。
"LEAF-LONG"では、子供の乗せ降ろしの際にしっかりと動かないようにと、
安定感のあるスタンドに変更されました。
さらに、小林さんは自転車のほかにこんなものも開発されていました。
「箱具」と呼ばれる、持ち運びできる木製の組み立て椅子で、
木工職人と共同で作ったものです。
「これを自転車のカゴにポンと乗せて出掛けたら、
どこでも走って出掛けた場所がピクニック空間になる」
斬新なアイデアを次々と形にしていっている「E.B.S.」ですが、
果たして肝心の乗り心地はどうでしょうか?
お店の前で試乗させてもらうと
ビックリするほどにスイスイと坂道を上れてしまうではないですか!
一瞬、電動自転車に乗っているのかと錯覚してしまうほどでした。
それは、プロ仕様の自転車に用いられてきた技術を
佐々木さんが一般向けにアレンジして採用しているからです。
最後に、佐々木さんと小林さんそれぞれに
自転車づくりにかける想いを伺いました。
「乗ってよかったと思ってもらえるように、
常に乗る人のことを考えて作っています。
僕自身が自転車に乗っていたからこそ、
自転車の寿命や乗る人の気持ちが分かるんです。
幼稚園児の頃、祖母に買ってもらった自転車で遠出してしまい、
迷子になってパトカーで送ってもらった思い出があるくらい自転車が好き。
自分は自転車に乗るために、自転車を作るために生まれてきたんだと思っています」
(佐々木さん)
「20~30年のライフスタイルで永く使える自転車を、永く作り続けたいですね。
目の届く範囲で、派手ではなくコツコツと誠実に続けていきたいです」
(小林さん)
性能はもちろんのこと、乗ってわくわくし、
いつまでも使える自転車を作り、提案し続けている「E.B.S.」。
日本人による、日本人のための自転車がそこにありました。
こども通貨「まーぶ」
「地域通貨」ってご存じですか?
地域通貨は、あるコミュニティ内で循環するお金のこと。
以前、大分県の別府温泉で、入浴をはじめ、飲食や宿泊などに利用可能な
地域通貨「湯路(ユーロ)」を見たことがありますが、
大阪府北部の箕面市(みのおし)で
子ども向けの地域通貨が流通しているという話を聞きつけ、早速足を運んでみました。
そこは北芝エリアと呼ばれる閑静な住宅街。
昔から地域活動が盛んで、この道路も全国に先駆けて、
18年前に住民参加型で造ったそうです。
道路にある馬の蹄(ひずめ)のマークは、
かつてこのエリアを馬車が通っていたことからデザインとして採用し、
子どもたちが"けんけんぱ"をして遊べるようにつけられたとか。
そんな北芝エリアで2011年7月より発行しているのが、
こども通貨「まーぶ」です。
この地域では「人と人とをつなぐ支えあいのきっかけ」として
過去にも2回、地域通貨の活用をしてきましたが、
今回は「子どもたちの将来の選択肢を広げること」を目的に、
18歳以下を対象としているそう。
「山口県のデイケアセンター『夢のみずうみ村』を見学に行った時に、
高齢者向けの地域通貨『Yume(ゆーめ)』が流通していて、
リハビリになることをすると『Yume(ゆーめ)』が稼げて、
みんなが本当に生き生きとしていたんです。
それを見た時に、子ども向けの地域通貨ができないかなって思って」
「まーぶ」の開発者である、
特定非営利活動法人暮らしづくりネットワーク北芝の武田緑さんは
「まーぶ」発行のキッカケについてそう話します。
当初は、子どもに勉強を楽しくしてもらうことを目指して始めたそうですが、
「もっと人と人とがつながって何かを体験することで実現できないか」
「『まーぶ』を稼ぎ、使い、また稼ぐというプロセスを
子どもたちの日常に組み込めないか」ということで、
「まなぶ」と「あそぶ」をくっつけて「まーぶ」に。
では、実際にどんなシーンで「まーぶ」は使われているのでしょうか?
例えば、「まーぶ」を稼ぐ場としては、
地域のお祭りやイベントの準備の手伝いのほか、
イベント当日、地域のゆるキャラ「ゆずるくん」役を演じたり、
地域の草むしり、会報誌のポスティング、託児サポートに至るまで多岐にわたり、
大人が本当に助かる仕事を任せているそうです。
「"ままごと"だと持続可能じゃないと思うので。
いかにほんまもんの値打ちの仕事ができるかですね」
大人と子どもが対等にやりとりすることが重要だと、武田さん。
また、月1回、「こども風呂敷市」なるものが開催され、
出店料に100まーぶを支払うと、
子どもたちが自分でモノやサービスを売ることができるという場もあるそう。
それから、子どもたちが「まーぶ」を稼ぎたくなるこんな仕掛けも。
地域の大人が講師を務める「樂画喜堂(らくがきどう)」で、
パステルを使ったお絵かきや、造形など、
学校や家では使う機会のない画材を使って
1回100まーぶでアート体験を楽しめたり、
地域の駄菓子屋でお菓子を買えたり、漫画を借りられたり、
地域の塾の授業料の一部としても、「まーぶ」が使えます。
さらに、子どもたちが「まーぶ」を"みらいのじぶん銀行"に積み立てて、
「スタディツアー」に参加することも可能なんです。
昨年11月には、5000まーぶを預金した中学2年生が2人、
私たちも取材で訪れた、徳島県の上勝町に
地域の大人たちと一緒に訪れ、農家の民泊を体験。
また「夢コンテスト」という自分の夢の実現に使うという取り組みも行われていました。
10月には、3人の子どもが審査員の前で自分の「夢プラン」を発表し、
3つのプランがそれぞれ条件付きで採用となり、
夢の実現に向けて動き出しました。
みんな夢実現のために「まーぶ」を貯めるべく働いています。
「『まーぶ』を介して、子どもたちが自分に自信を持ち、
人とつながることで、未来に希望を持てるような社会を作りたい。
今後は、このプロジェクトへの協力者、共感者を増やして、
"地域の子どもたちを、地域みんなで支え育てる"
という地域文化を作っていきたいです」
地域の宝である子どもたちを地域で育てるということは、
もしかすると昔は当たり前に行われていたことかもしれません。
しかし、人と人との結びつきが弱くなってきているといわれる昨今、
地域通貨という仕組みを使ってそれを促進している箕面市の事例は、
他の地域のくらしにおける良いヒントではないでしょうか。
ダンボールの可能性
このカフェ、一見普通のカフェと同じようですが
何かが違うのが分かりますか!?
実はこのカフェの机も椅子もライトも、全部ダンボールでできている、
その名も「cafe だんぼうる」なんです!
これは、天王寺にあるダンボールケース製造会社・矢野紙器の運営するカフェ。
矢野紙器では、就労領域の拡大のための活動の一環として、
「cafe だんぼうる」を3年ほど前から行っています。
というのも、矢野紙器は"障がい者雇用"という概念がほとんどない時代から、
聴覚障がい者をはじめ、障がいのある方を複数採用してきた歴史があり、
昨今増えている発達障がい者やニートと呼ばれる人も含めて
彼らの職業体験の場としても機能させるべく、カフェを始めたのです。
「僕のいる部署は、『人の可能性とダンボールの可能性を
もっと社会に役立てること』がミッションなんです。
ダンボールを使った工作教室や、
ダンボールでできた遊具や展示品のレンタルなんかもやっていますよ」
Able Design事業部 プロダクトマネージャーの
島津聖(しまづきよし)さんが説明してくださいました。
「工作教室は材料と道具だけ用意して、あとは自由にするんです。
子どもの発想力って面白いですよ。
親子で教室をすると、大人は自由といわれると悩みますが、
子どもがテーマを与えてくれるんですよ。
『これで家作りたい!』『飛行機がいい!』とか」
「子どもと一緒にお父さんがたくさん参加してくれる人気のイベントです。
お母さんと一緒のイベントはあっても、
お父さんが活躍できるイベントはあまりないので」
材料はもちろん工場で作っているダンボール箱や端材、
折り紙、紙コップなどできるだけ手に入れやすいものを用意。
それは、家庭でもできるように考えてのことです。
「ダンボールが親子のコミュニケーションのツールになれば」
と、島津さん。
ダンボールでできた巨大なボウリングや、
全長4.6m、高さ2.6mにも及ぶダンボールのマンモス、
通称「ダンモス」は人が集まるイベントなどで大活躍だそう!
矢野紙器のダンボールを使ったこれらの斬新な取り組みが
なぜ行われるようになったのか、
気になって尋ねてみると、こんな答えが返ってきました。
「僕自身がものすごい田舎で育って、遊び場がないから
自分でものづくりして遊んでいたんですよね。
近所のおじちゃんに手伝ってもらったりして、
そこで大人との対話が生まれて。
僕の原風景を形にしているのかもしれません」
広島県出身の島津さんは、大学のゼミで「福祉と経営の融合」
について勉強しており、
事例を調べていく中で矢野紙器と出会い、卒業後に入社。
その際、社長から「ダンボール」「障がい者」
「ダンボールを好きな形に切れる機械」をキーワードに
やりたいことをするようにいわれ、今の活動があるといいます。
「よく"ダンボール=強い"って思われがちなんですが、
箱が頑丈すぎると中に衝撃が伝わってしまって意味がないんです。
"ダンボール=弱い"という特徴も伝えていけたら」
また、今後は地域のクリエーターと組んで、
ダンボール製品も増やしていきたいと、島津さんは話します。
尊敬する人の言葉で「やればわかる やればできる」
をモットーとする島津さん、
そして矢野紙器のダンボールへの挑戦は今後さらに広がりを見せそうです。
大阪文化の象徴!?
大阪万博のシンボルとして、
今も存在感を発揮する「太陽の塔」。
その場所に程近い「無印良品イオン茨木」で、僭越ながら、
我々、MUJIキャラバン隊がイベントを開催させていただきました!
この日本一周前に果たした世界一周の話も交えながら、
旅路で見つけてきた逸品が当たるというトーク&クイズイベント。
札幌、福岡に引き続き3回目にして、初めてのクイズ形式だったのですが、
さすがは大阪の方々です!
正解かどうか定かでなくても、お構いなし。
手が挙がる!挙がる!
積極的に参加していただけたので、
話しているこちらも楽しくて仕方がありませんでした。
イベントにご来場いただきました皆様、
誠にありがとうございました!
そんな、こちらの店舗での人気商品もご紹介!
MUJIキャラバンのハッピでそろえた
素敵なスタッフさんたちの持っているものは
、
「優しい昔菓子」。
このシリーズ、私たちも好きなんです!
マーブルチョコに、ふがし、ボーロ、きなこ棒、わた菓子等々
。
その名の通り、昔懐かしいお菓子ばかりで、
見ているだけでもワクワクした気持ちになれます☆
店長によると、
「大衆文化の色濃い大阪ならではの人気商品じゃないでしょうか!」
とのこと。
確かに大阪には、
「中野の都こんぶ」や「当たり前田のクラッカー」など、
昔ながらの名物おやつが生まれていますからね。
無印良品にお立ち寄りの際には是非、おやつコーナーへ♪
大阪人ならずとも、童心に返った気分に浸れると思います。