MUJIキャラバン

「佐賀」カテゴリーの記事一覧

食器が持つ役割

2012年10月05日

数ある有田焼のなかでも、
ふと目に留まった食器がありました。

持ち手が大きく、つかみやすいマグカップ。

さらには、
お皿の縁が盛り上がっていて、すくいやすそうなお皿。

その名も「すくい易い器」シリーズ、
そう、ユニバーサルデザインの食器です。

こちらを手がけるのは「しん窯」。

1830年、有田の地で鍋島藩の藩窯として創業した窯元です。

「そこに目を付けられるとは、お目が高い!
この器がしん窯の原点ともいえる作品なんですよ」

しん窯の8代目、梶原茂弘さんが、
くったくのない笑顔で迎えてくれました。

梶原さんがこの「すくい易い器」を手がけ始めたのは、
今からなんと37年前! 1975年のことでした。

きっかけは、ハンディキャップのある方のための食器づくりに意欲を燃やす、
「でく工房」という木工制作の青年たちとの出会いでした。

それまで料亭などで使われる営業用食器を作っていたしん窯も、
当時、何かを求めていた、と梶原さんは思い返します。

「社会的に意義のあることですから」

といって引き受けた梶原さんでしたが、
そこから試行錯誤の毎日だったそうです。

施策と改良を重ねること約3年、
「すくい易い器」の原型が誕生。

ハンディキャップのある方の使いやすさも考慮に入れた磁器食器の開発は
当時、初めてのことでした。

この食器によって、
介添えなしで食べることができるようになった子どももいたそうです。

「ハンディキャップのある方にも使いやすいと言うことは、
我々、健常者にとってはもっと使いやすいということ。
つまり、我々が一番使いやすいものはなんだということを、
自然に追求していたんですね」

梶原さんは、この食器づくりを通じて、
食器が持つ本来の役割を教えられたといいます。

そして、その翌年、今ではしん窯の柱の商品ともいえる
「青花(せいか)」シリーズが誕生することにつながるのです。

生地は生地屋さんが、と分業制の進む有田において、
できる限りの工程を自社で賄うしん窯の食器からは、
一つひとつ丁寧に作り上げられた温かみが感じられます。

そして、何といっても青花の特徴は、
この呉須(藍色に出る顔料)で描かれた"異人"模様です。

この異人を描いたのは、
梶原さんとともに青花シリーズを立ち上げた職人、藤井さん。

佐賀から目と鼻の先の出島へ訪れた異人(オランダ人)を
イメージして描いたようです。

有田焼というと和食器を連想しますが、外国を思わせる絵柄ゆえに、
この異人シリーズは和洋中、どんな料理にも合うから驚きです。

こうした料理を盛った見せ方をするようになったのは、
梶原さんの甥、藤山雷太さんでした。

「食器は、あくまでも料理の引き立て役。料理が盛られて完成なので。
母が作った料理が映えることからヒントを得ました」

そう話す藤山さんは、
しん窯で作られる食器をショップやネットを通じて販売しながら、
有田焼の見せ方に創意工夫を凝らします。

全国の登録店などを訪問することで与えられる仮想通貨「プラ」を使い、
携帯電話内で自分の町を作り上げるゲーム、
『コロニーな生活☆PLUS』(コロプラ)とコラボレーションしたのも、
有田焼の窯元としてはもちろん、
全国のものづくり現場の中でも初めてのことだったそうです。

実際に、このゲームを通じて、
有田焼「しん窯」に興味を抱き、訪れた人も数多くいるんだとか。

伝統産業を、現代の見せ方で紹介していく。
ここにも一つの伝統産業のヒントがありました。

最後に、梶原さんに、焼物の原点を教えていただきました。

「自然の織り成す5つの要素、地・水・火・風・空。
実は、焼物はこのすべてに関係しているんですよ。
土や陶石といった『地』を使い、『水』を加える、
それを『風』で乾かして、『火』で焼く。
そして『空』は、空間を作るわけですね。
つまり、焼物は自然の恩恵そのものなのです」

梶原さんの言葉で、
思わず納得し、首を大きく縦にふっている私たちがいました。

有田焼カレー

2012年10月04日

佐賀県有田町(ありたちょう)は、
ご存じ有田焼の産地として知られています。

今回、私たちが有田町を訪れることをTwitterでつぶやくと、
「有田焼カレーをぜひ!」との返信が寄せられました。

「有田焼カレー」

有田焼の器に入ったカレーなのか、
それとも有田で作られた焼きカレーなのか!?

答えはこれでした。

「創ギャラリーおおた」さんで提供されている、
有田焼の器に入った、焼きカレー!!

なんともコクのある味わいで、
上にのったチーズとの相性も抜群です♪

しかも、メニューによっては、
この有田焼の器を持ち帰れるんだそうです。

ひと口食べて、フラッシュバックしました。

あれ? 私、この味知ってる…!

実は東京・中目黒に「アンティロミィ」という姉妹店があって、
そこで数年前に食べた味だったのです!

興奮してそれを店員さんに伝えると、
奥から1人の女性が出てきました。

有田焼きカレー開発者の太田浩美さんでした。

埼玉県出身の浩美さんは、有田焼が好きで
昔からよく有田町に遊びに来ていたんだそうです。
そして、ご縁あって有田焼の商社を営むご主人と結婚。

「大好きな有田のために何か自分が貢献できることはないか?」

そう考えた浩美さんは、18年前に作家さんの作品を紹介する、
ギャラリー兼カフェを始めました。

「得意だったケーキとパンからスタートしたんですが、
ランチ希望のお客様が多くて。
お友達にあなたのカレーはおいしいからそれを出してみたら
って勧められて、カレーを出すようになったんです」

当初は、"カレードリアンコース"というメニューで提供されており、
また、カレーのコースメニューというのも珍しく、
人気があったそうです。

その後2007年に、佐世保バーガーを全国的ヒットに導いた
元JR佐世保駅駅長の西田辰美さんが、JR有田駅駅長に就任され、
西田さんとその他有田を愛するメンバーと一緒に
有田の魅力を発信していく「有田ハートプロジェクト」を発足、
浩美さんのカレーを"駅弁"として販売していくことに。

すると、それは有田焼ファン、カレーファン、
駅弁ファンを中心に、次々と口コミで広がり、
2011年には、全国駅弁ランキングで1位になるまでの
人気メニューになりました。

有田駅構内のキヨスクで販売していますが、
その場で温めてくれるそうです。

また、有田焼の器ごとの販売なので、
お土産として買っていかれる方も多いんだとか。

ところで、カレーをお弁当にしてしまう発想自体が斬新ですが、
カレーは持ち歩いても大丈夫なのでしょうか?

「普通カレーは添加物が入っていないと3日程度しかもちませんが、
うちのカレーは使っている水が特徴で、
冷蔵庫で1週間保存しても検査を通りましたから」

有田焼カレーは、28~31種類のスパイスを
科学者が開発した蘇生水で1週間かけてじっくり煮込んだもの。

もともとマクロビオティックを勉強していた浩美さんが
健康食として考え出した薬膳カレーだったのです。

また、もちろん他の原料にも気を遣っていて
お米は有田の棚田米、牛は佐賀牛と
「日本で一番原価の高いカレーかもしれません(笑)」
と浩美さん。

佐賀で再会した、有田焼カレーは、
新たに考えられたご当地グルメではなく、
これまでもその地にあったものを活かし、
食と器を同時に楽しめる、一度で二度おいしい絶品でした☆

有田焼の挑戦

2012年10月03日

「日本の伝統産業は変わらなくてはいけない」

1647年(正保4年)より有田の地で焼物を手がける、
(株)百田陶園の社長、百田憲由さんはそう切り出しました。

「1616年から磁器の生産が始まった有田焼は、
日本で最初に栄えた産業といっても過言ではありません。
今一度、有田焼が良かった時代に戻るためには、変わるしかない」

百田さんの言葉からは、並々ならぬ覚悟が感じられました。

もともと鍋島藩の御用達の窯元として、
窯焼きの仕事に従事していた百田陶園。

今は有田焼の総合商社として、
お客様に喜ばれる商品の提供に尽力されてきましたが、
リーマンショック以降、その業績にも陰りが見えてきたそうです。

「それまではなんとか新商品を企画すれば売れていました。
ただ、リーマンショック以降は何をやっても駄目。参りましたね」

そんな時、百田さんのもとへ、一件のオファーが入ります。

それは今年5月、東京・丸の内にオープンした、
パレスホテル東京のホテルアーケードへの出店でした。

「正直、悩みました。このオファーを断れば、他が入ってしまう。
ただ、やるなら徹底的にやらなくては、と」

百田さんは腹をくくります。
そして、コンタクトを取ったのが、
プロダクト・空間デザイナー、柳原照弘さんでした。

ショップの空間のみならず、プロダクトもゼロから作り上げたいという、
百田さんの想いの表れでした。

はじめは断るつもりだったという柳原さんも、
百田さんの想いに共感。

ここから有田焼・百田陶園の挑戦が始まります。

柳原さんは有田の地まで足を運び、
有田焼の現状を一通り把握し、こうつぶやいたそうです。

「有田は先人に飯を食わせてもらっていますね」

当時のことを百田さんはこう振り返ります。

「さすがにその時は悔しかったですね(笑)
ただ、その後に発した"50年後にも美術館に置かれるものを創りましょう"
のひと言で、気持ちは固まりました」

明確な目標を見据え、改革に向けて歩み始めた百田陶園は、
柳原さんの紹介で、今やminiクーパーのデザインも手掛ける
オランダ人デザイナーのショルテン&パーイングスとも手を組みます。

日本のマーケットを見据えたとしても、
これだけ食生活が多国籍化してきている昨今、
海外の食生活を熟知したうえでの感性が必要と考えたためです。

ここから先、血のにじむような努力の毎日が始まります。

原料、成型、釉薬…、
焼物の基本のすべてを見直すべく、
有田焼の各工程のスペシャリストを招聘するも、
なかなか理解してもらえません。

「新しいものを創るということは、過去の概念を捨てるということ」

職人にそう言い聞かせながら、
百田さんは自分自身を鼓舞していたそうです。

こうして血のにじむような努力の結果生まれたのが、
「1616 / Arita Japan」。

今までにない有田焼の誕生です。

柳原照弘さんデザインのシリーズ1616 / TY "Standard"では、
昔の有田焼をモチーフにしたライトグレーの器が誕生。

釉薬を使わずに焼きしめ、最後に研磨の工程を加えることで、
独特の質感が実現されています。

また、ショルテン&パーイングスデザインの
1616 / S&B "Colour Porcelain"では、
淡く、はかない色合いの器が生まれました。

驚かされたのが、
両シリーズともに、高台が付いていないこと。

高台には、焼成による収縮やゆがみのリスクヘッジ
の意味合いもあるようですが、これをなくすというのは、
それだけ難易度が高くなることを意味するそうです。

努力を重ねたという薄さも、上品さを醸し出しています。

さらに驚かされたのが、その価格帯。

これだけ手がこんでいながら、
なんと500円からラインナップが充実しており、
一般的にも求めやすい値段になっているんです。

「いいね、で終わっては意味がないと思っているので。
日常使いしてもらえる器のために頑張りました」

百田さんは、その価格帯を実現したことに胸を張ります。

事実、今年4月に出展したイタリアの見本市、
ミラノ・サローネではNY Timesを筆頭に各社が大絶賛。

今では、海外の代理店とも契約を結び、
着実に海外展開の一歩を歩み始めています。

「このシリーズで、かつて世界を席巻した有田焼を、
今一度、世界に見せつけたい」

「正直、内心はまだ不安だらけですけどね(笑)」

と照れながら話す百田さんには、
有田焼の未来が託されているようにすら感じました。

きっと50年後、その先も世界中の家庭で
有田焼が使われているのではないでしょうか?

おいしい海苔

2012年10月02日

お寿司やおにぎり、磯辺巻、ラーメンなど、
日本の食卓に欠かせない食材の一つが海苔。

世界的な寿司ブームに後押しされ、
今や欧米でも海苔が食される昨今ですが、
国産海苔の生産量、消費量ともに日本一なのが、佐賀県です。

佐賀県、福岡県、熊本県3県合わせると、
実に国産海苔の約40%が有明海で作られているものだそうです。

ただ、同じ海で同じように作ったとしても、
作り手によって味は変わるもの。

佐賀市で地元でも知る人ぞ知る、おいしい海苔があると聞いて、
賞味してまいりました。

一見、普通の海苔のように見えますが…

食べてみてその味にビックリ!

口の中で溶けるように磯の香りが広がり、甘さの後には少々の塩気も。
一瞬、味付け海苔と勘違いするほど、しっかりとした味わいです。

そして、この海苔で作られた無添加の佃煮。

おいしくないわけがありません。
ついついご飯を食べすぎてしまいそうです。

さらには、この海苔に佐賀産のジャージー牛のミルクで作った
「焼のりアイス」なんていうのもありました!

ミルクの甘みと海苔の風味が
とても上品な味わいを演出していました。

「海苔ってご飯の他にも意外と合うものが多いんですよね。
いろいろな食べ方を訴求して、美味しい佐賀海苔を知ってもらいたいです」

こう話すのは、佐賀海苔を手がける、
「合同会社 佐賀市漁村女性の会」の代表・古川由紀子さん(写真左)。

良質な佐賀の有明海産の海苔をブランド化しようと、
平成18年に漁業協同組合から独立し、会社を起ち上げました。

「作り手によって海苔の種類や質が変わるのに、
それをすべてまとめて同様の金額で出荷するのはおかしい
と常々思っていたんです」

古川さんがそう話される背景には、
海苔の養殖過程における差異がありました。

海苔の養殖は、「海の農業」と表現できる通り、
別の場所で育てた海苔種(苗)を海に沈めて育てていきます。

海苔種専門業者から仕入れて種付けを行うのが一般的ですが、
古川さんたちが扱う海苔の生産者は
自分たちで海苔種を育てるところから行うそうです。

「海苔種は光合成で成長していくので、
天気が悪い時には電気をつけたり、逆に天気がいい時には遮光を調節したりと
大変な作業なんですが、人間の子と同じで赤ちゃんのうちの育て方で
その子(海苔)の性格も決まると思うんです」

また、昔はほとんどの生産者が、干出(かんしゅつ)と呼ばれる、
海に浸していた海苔を太陽光に当てることによって、病気を予防していたのが、
海苔は海に浸していないと成長しないため、
干出の仕方に違いが生まれるようになってしまいました。

そして、生まれたのが「酸処理」という手法。

海に浸かっている海苔網を一度、
リンゴ酸などの有機弱酸に浸けることによって、病気の予防をするのだそうです。

「決められた酸を使った処理は決して悪いことではありませんが、
一部モラルのない人たちがいるのも事実。
海苔本来の味を引き出すには、やっぱり干出です」

手間のかかる分、多くの生産量も望めないようですが、
古川さんたちグループの漁師さんたちは、酸処理に頼らずしっかりと干出を行っており、
手塩にかけて育ててあげることが、良質な海苔をつくる秘訣だといいます。

それからこうも話してくださいました。

「私たちが母親だからできることなのかもしれません。
未来の子供たちへの食の安全を考えたら、
手間でもこの作り方を選択しました」

こうして作られた海苔は、
生産者と舟の名前を明記して出荷されています。

名前を出すことによって、
中途半端な海苔はつくれないという気持ちが、
生産者側にも生まれるようです。

人間も海苔もすくすく育つには、
母親(生産者)の愛情が大事だと感じました。

大人のおやつ

2012年10月01日

お茶の請け菓子としても、お酒のおつまみとしても
どちらにも合うお菓子に出会いました。

佐賀県鳥栖(とす)市にある、高砂屋さんの作る
「豆菓子」です。

豆菓子といっても、ピーナッツ(落花生)から
エンドウ豆を使ったものまで、原料の豆の種類はさまざまありますが、
高砂屋さんでは"そら豆"をメインに扱っています。

自分たちにしかできない商品は何かを考え、
他があまり手掛けていなかった、そら豆に目をつけたそうです。

もともと佐賀県内ではそら豆を生産しており、
乾燥そら豆を焼いたものが、腹持ちがよく保存も利くことから
筑豊炭田で作業する人々のおやつとして食べられていました。

しかし、現在、野菜として食べられるそら豆は、
四国と九州の一部で栽培されているようですが、
乾燥そら豆についてはほとんどが輸入だそうです。

「うちは中国の"青海そら豆"を使っていますが、
安いからではなく、質がいいからそれを選んでいます」
と、社長の森光さん。

青海そら豆は、中国最西部のチベットに近い青海地区で栽培されており、
標高約2500mの高地なので、害虫がいないため農薬を使っていない、
安心・安全の原料だといいます。

また、粒が大きく、味が濃いのが特徴だそう。

豆菓子を作るには、まず原料の乾燥そら豆の皮を剥いて、
一晩水につけておきます。

そうして柔らかくしたものを揚げて、フライビーンズに。

この状態で味見をしてみましたが、
サクサクしたスナックのような食感です。
そして、その後の工程は、味つけによって異なります。

黒糖そら豆などりんかけ(砂糖をからめる作業)をするものは、
熱の通りやすい銅鍋に移し、
手作業で糖蜜をゆっくり絡めていきます。

高砂屋さんでは、このりんかけを12~13回も繰り返すのです。
とっても手間のかかる作業で、
さらには全体に均等にかかるように、経験が活きる職人技。

りんかけ後のそら豆を噛むと、
じっくりとした甘さが口の中に広がりながらも、
そら豆のサクサク感と、そら豆自体の味も残っていて
なんとも深い味わいです。

一方のおつまみそら豆は、
フライビーンズをさらに焼いてから味つけします。

よりサクサクッとして、黒こしょうを絡めたものは
まさにビールが進みそうな味に!

他に、みそ味、カレー味、ゆず味など
バリエーションが豊富なのもうれしいですね。

「そら豆の味がしなくなったら意味がないので、洋物は作らないんですよ」
とおっしゃるように、見てみると確かに厳選された
"和"の味が並んでいました。

高砂屋さんでは、そら豆をいかにおいしく食べてもらうかに注力して、
味つけに合わせて製造工程も変え、
また、注文が入ってからしか作らないそうです。

素材の味を存分に引き出したこの豆菓子は、
上品で贅沢な味わいです。

ふと、「大人のおやつ」というワードが頭に浮かんできました。

高砂屋さんの豆菓子は、Found MUJIの商品として
MUJIキャナルシティ博多で一部商品を販売予定です。

ぜひお試しください♪

※MUJIキャナルシティ博多での販売商品は、別パッケージになります

1年ぶりの再会

佐賀県は実は昨年の今頃にもお邪魔していました。

このMUJIキャラバンの前身企画で「なるほど調査隊 in 福岡周辺」
と称して、福岡・長崎・佐賀の3県を旅しながら
"なるほど"を探す旅をしていたのです。

その際に訪れた、無印良品 ゆめタウン佐賀
1年ぶりに行ってきました!

すると、うれしい再会が♪
ちょうど1年前にも迎えてくださったスタッフさんが
今年も笑顔で迎えてくださいました。

早速、恒例の人気商品を伺うと…

あえるだけのパスタソース」をご紹介いただきました。

しかも、このパスタソースシリーズ、
佐賀県唐津市で作られているんだそう。

現在、8種類の味で展開していますが、
スタッフさん一押しの味は「うにクリーム」!

実は、私のお気に入りもこれでして。

パスタを茹でて絡めるだけなんですが、本当においしい☆
バリエーションが豊富だと、全部試してみたくなってしまいますね。